初ちゃんの「ボチボチ生きようぜ!」

毎日の生活で出会った事をボツボツ綴っていきます。

温泉

2008-01-19 | 未分類


今日は温泉に行った。


それも島根・益田市の美都温泉。


何故美都温泉かと言うと、随分前に島根の物産展を近くの店の駐車場でしていて、売り子のおじさんと意気投合して温泉の割引券をもらったからだ。


まだ通用するかと日付を見ると3月いっぱい。忘れると「損」だから今日行こうと言うわけだ。


朝10時前、割引券7枚を前に娘宅に電話すると「家族中で行く」と言う。


娘の車に乗せてもらえると言うので「じゃあ、お昼はどこにしよう」と、二人で話し合い「戸河内のイタリアンの店」にしようと言う事になった。


お風呂セットを用意して待つがなかなか来ない。


「しまった、やっぱり二人で行けばよかった。あの時間から食事をして来るかもしれん。若い人と一緒だと時間が狂う」と、夫。


何て話しているともう11時半。こりゃお昼は過ぎてしまう。向こうはいいけど私達は決まった時間に朝食を取っているのでお昼も決まった時間に取りたい。


あ~失敗と電話すると案の定「これから出発で~す。ワラビ餅を買っていくからね~」とのんびりした声。


「え~、じゃあ食事はどうするの?」


「へ?今食べましたけど」


「ほ~らやっぱり、今のうちに早く食べましょ。食べ損なうから」


と、老夫婦は昨夜仕込んだカレーを掻きこみました。


運転は雪道に強い婿殿。


風は冷たいけど雪も雨も気配の無い広島を出発して芸北町に入ると雪道になりスキー場では人口雪でスキーをしていてみんな興味津々。


芸北から匹見への道はずっと雪景色。


結局着いたのは1時前。


割引券を出すと「これは大人だけが通用します」と、400円割り引いただけ。


脱衣場に行き子供達は早くも入浴した。私と娘は浴場からおばあさんの集団が出てきたので見ていたら、一人のおばあさんが座った途端嘔吐した。


「わっ」と、驚いたがその嘔吐物を見て愕然とした。


何と「入れ歯」が混ざっている。何か言われるのだけど「フガフガ」としか聞こえない。


騒ぎを聞きつけた温泉の方がすぐに対応されたがそのおばあさんは何事も無かったような顔をされていた。


温泉は沢山の成分があり、効き過ぎたのかもしれない。


少しぬるめだが良いお湯で、帰りはやはり行きつけの湯来町の「カズエラ」に行った。


中国山地は結構雪が降り確かに冬は来ているようだ。


来週あたり夫はスキーに行く事だろう。




継続は・・・

2008-01-18 | 未分類


しつこいようですが昨日の続き


朝から出かけて夕方スポーツクリニックのリハビリから帰って、さあ今日こそカレーを炊こう、と取り掛かった。


肉を炒めながらタマネギをむいて人参を出していたら夫が「ジャガイモの皮、むこうか?」と、自発的に台所に入って来た。


「昨日みたいでいい?」と、聞きながらむいて、ごろんと転がしていたタマネギの皮も全部むいてくれた。


もしや、昨日のブログを読んだのか?読んで無くてもどうでもいい、この位の事でも嬉しいなあ。


野菜不足になりそうと、もう一つ鍋を出して残り物の人参、大根を炒めた豆腐とけんちん煮。


さらにさらに、大阪鶴橋のお店の「チャンジャ」をお豆腐に載せて食べた。


今回はどうにか自主的に家事に協力的で第一関門パス、と言う所かな?


いろんな方からのアドバイス、応援有難うございます。この調子でボツボツがんばりましょう。


今日はもう一つ、先日来悩んでいた「英語診断書」


NZのゲストハウスからNZ航空の様式がFAXで届いていました。


ただし、2枚の説明文は小さな文字でびっしりと「英語」で書かれていました。


取り合えず、息子に翻訳を頼んでおきましたが早い対応で良かった。


すでに、予約は完了、あと細々と報告が来るそうです。


ちなみに現地には24時間日本語対応の医療従事者がいて殆んど対応できるそうでこれも安心です。


現地の気温、持参物なども追ってメールが来るみたいです。


何だかすぐそこの温泉に療養に行く気分です。




「今年60のおじいさん」♪♪

2008-01-17 | 未分類


昨日の続きの話。


どうもギクシャクするのは何故かと考えてみた。


大した事じゃないがやはりお互いに「主体的でない」と言う事だと思う。


台所で食事を作ったり、片付けたりはいつも私の役目。


で、私は様子を見ながら「ジャガイモむいて」「ごぼう洗って」「トイレに行くから火加減を見てて」と言う風に断片的に頼む。


すると、夫は取り合えず言われるとおりにはする。


が、それ以上は殆んどしない。


私はこのあたりが不満だが、相手に言わせると「勝手にするとすぐ怒るから言われる事だけしてる方が楽」だと言う。


勝手にされた事は無いと思うのだが男にしてみれば、「いらんことして気分を害されるよりしてと言うことだけしてりゃ楽」と言う事だろう。


この当たり、どう対応するとお互いに主体的に行動できるのだろう。


女性同士ならば手のあいてる人がすればお互いにギクシャクする事もない。


このあたりを、どういう言葉で「やってみるか」と言う気にさせられるのか誰かに教えていただきたい。


今日も「ジャガイモむいて」と、言うと皮むき器で難しそうにむいていましたが包丁が上手に使えないのも気になり、つい「包丁でむけないの?」と、言ってしまいました。


孫の方が随分上手にむけます。でも、このことは黙っています。


こんな時に「孫は上手にむけるのよ」何て言ったらパーですからね。


ふぅ・・・「今年60のおじいさん」に教えるのはムツカシイ。




夫在宅症候群?

2008-01-15 | 未分類


 


夫が本格的に休暇に突入した。


昨日は先日から探していたスキーの道具を見つけに又田舎に帰った。


田舎の家はだだっ広くて、おまけに蔵もある。結局スキーは蔵の二階、スキーウエアは、母屋の押入れの中から見つかった。


で、スキー靴はどうしても見当たらなくて買うことにしたらしい。


肝心の雪が降りそうに無く、スポーツ用品店はガラガラ・・・。


安くなってるこの時期が買いドキかもしれない。


が、雪が本当に降るのかが怪しくなってきた今、どうも気乗りがしない様子だ。


ところで、今朝は最初の平日の朝と言う事で溜まりに溜まっていた大型ゴミのゴミ出しに午前中は費やした。


食堂の椅子が2脚、コロが壊れ使い物にならない。


これを崩し、小さくして出す。


使い物にならない机も脚を取り車へ。


気に入ってたウエーブラジオもCD部分が壊れ、修理代が高いので捨てる事に。


まだ新しいミキサーやDVDレコーダーなど小さいものは大丈夫だと聞いて車に積み込んだ。


あんなに気になっていた物があっという間に無くなったがまだまだ「ゴミ」は出てくる。


最初気張ると後が嫌になるので午前中で終わり、散歩を兼ねて電気店へ。


プリンタのインク、シールなどパソコン周辺のものを買ったらもう夕方だ。


明日は、夫は銀行の書類を出しに、私は美術館で絵を見ながら待つことにした。


ここ数日間、夫が家にいるとストレスになることが数点あった。


まず、時間に余裕が出来たのか私のブログをチェックしているらしく、何やかやと言ってくる事。


そして、これは永遠のテーマ、散らかす事。


私は几帳面では無いが、今までは出勤後に少し片付ける時間があったが毎日家にいるとあっという間に家の中がぐしゃぐしゃで、これは手に負えない。


相手も同じようにストレスを感じていることだろうが何とか話し合いで・・・と、言いつつ一触即発。


私も増えすぎた服の処分など課題がある。


やれやれ、優雅な日々は巡ってくるかな?




60歳の同窓会

2008-01-13 | 未分類

人間60にもなるとみんな昔が懐かしくなり「同窓会」があちこちで開催されている。


今日は夫の何度目かの同窓会で朝10時過ぎに出て夜の7時過ぎに帰ってきた。


先日も「同窓会」だといって出かけたが今回は近場の人だけで集まったらしい。


私は10数回転居してるので昔一度名簿が来たきり行方不明になっているみたいだ。


秋に広島在住の3人で集まろうと言う話になり、連絡を取ったが日時が合わず、年賀状に「新年早々に集まろう」と、書いてあった。


津和野では昨夏あったそうで、私は知らなかった。


せめて広島組だけでも集まり顔を見たい。


東京で教師をしている友人も今年は定年だから会いたいと年賀状に書いてあった。


数年前に我が家でミニ同窓会をした時元気だった友人がその後病気で私同様身体が不自由になり、電話での付き合いはあるがこの所、身体がきついらしい。


気になりつつ日が過ぎ、早くコンタクトを取らなければ。


男性でも、孫の話、結婚しない子供の話、退職した人の消息と話題は尽きなかったようだ。夫は同級生だが2月生まれなのでもう少しで「今年60のおじいさん」になる。


ついこの間まで「60まで生きる」事が遠い先のようだったのに年月が早く巡ってくるようになった。


大事な時間、大切に生きたい。




田舎の風景

2008-01-12 | 未分類

北広島に帰ってきた。


1月とは思えないほどの暖かさで、お正月に夫や娘夫婦が作った「かまくら」の跡形も無かった。


玄関前の土を覗くとスノーフレークがもう1センチほど芽吹いていた。


それにしても今年は早すぎる。


一昨年だったか玄関前の木に虫がつき何度も駆除した。


でも、何度も虫がつきとうとう枯れ始めたのでばっさりと切った。


暖かすぎて害虫が冬に死ななくなったのだと思う。


こんなにも身近になった「地球温暖化」恐怖を感じる。


帰り道、以前通勤で通っていた道を久しぶりに通った。


山の中で細い道だが春から秋まで四季折々の花や芽吹きなど四季の移ろいを眺めながらの通勤は私には密かな楽しみだった。


黒い冬の山に最初にマンサクの黄色い花を見つけるとほっとして嬉しくなったものだ。


それから遠くの山々にも白いコブシが見え始め、山桜や藤の花の紫などドライブの目を楽しませてくれた。


家事、仕事に追われた生活の中で一人でストレスを解消できたあの時間があったからこそ10年も暮らして行けたのだと思った。


しかし、その頃町おこしで植えられた柚子の木は半分枯れ、細くてひやひゃしながら通った道路は大きく広がり、あの頃の面影は無い。


途中の集落をもすっかり近代的な家が建ち風景は一変していた。


小さな田んぼにもびっしりと植えられていた田園風景は枯れ野となり無残だった。


温暖化、過疎化、限界集落・・・日本はこれでいいのだろうか?


私も田舎を捨てて出た人間、責任の一端を感じる。




初PC教室

2008-01-10 | 未分類

まだ気分的にお正月明けの私、久々のPC教室は立っているのがきつくて椅子を引っ張ってきて立ったり座ったり。


これも久々のEXCELでカレンダーを作った。


教室はWARDが多くあまりEXCELの授業は無いがこういう作業は早くできるのでEXCELの方が効率が良い。


ゆっくり勉強してみんな楽々出来て満足そう。


年賀状の「出来」の話などして余裕の時間。今年はどんな事を学ぶのだろう。


テキストを作ってくる先生は大変そうだけど、私は先生のテキストを見て一緒にするので楽しみでもある。


足が痛くて帰ってからは暫くソファーでごろんとなり食事の支度が出来たと思ったらチャイムが鳴って夫の帰宅。


この所、ジャズや新年会などの飲み会が続き久しぶりの我が家での食事。


「飲み会は油濃くてあまり食べるものが無い。やはり、年なのだねえ」と、言いつつ野菜料理を食べました。


ほうれん草の胡麻和え、大根と人参の酢の物、高野豆腐の煮物、黒豆、葱と牛肉の煮物、メインデッシュのブリを焼くのを忘れたけど十分満足。


これで、散歩を怠けず足を鍛えよう。



こんな事して遊んでいたらもうこんな時間!


遊んでみませんか?


http://www6.big.or.jp/~neon/nigaoe/kaomake.html




医師の言葉

2008-01-09 | 未分類


 


今日薬を貰いに行ったついでに主治医に「旅行をするんで英語の診断書書いてもらえますか?」と、お願いしてみた。


すると、「書くけど様式の書いた用紙で無いと書けん」と、言われる。


何だかいつも嫌味を言われるので嫌だな~と思いつつ「ツアーだろうから担当者に言ったらくれるんじゃないの?」といわれたので「個人旅行で切符はニュージーランドから取ってもらって旅行社は通してないのですが」と、声が小さくなる。


「個人旅行?大丈夫なの?」「はい、大丈夫です。日本人のご夫婦のゲストハウスですから・・・」


こういう風になると私は苦手。畳み掛けて私の話は殆んど聞いてくれない。


数年前も免許証の書き換え時に障害者は「医師の診断書」を出すように法が変わった。この時も「あんたは運転したらいけん」の一点張りで私も粘りに粘ったが「預かり」になった。


とうとう夫が「俺が話をつけに行く」と、言う事になったが電話があり、書いたから取りに来いと言われ散々嫌味を言われ「絶対運転しない」と言う条件で診断書を書いてくれた。


その時の事を思い出し、「はい、すぐに聞いて調べてきますから、又お願いします」と、言ってさっさっと帰った。


すると、電話がかかり「海外旅行は負担が大きいから再発の危険性がある。脳神経科に行って大丈夫かどうか見てもらいなさい。それが、診断書より先だ」「脳神経内科はもう来なくて良いと言われました」「兎に角調べてもらってから来なさい」


うえ~、やっぱり・・・面倒だなあ。兎に角用心深い先生です。


私は「先生もう10年たってるし・・・」と、抵抗したが段々声が大きくなり「はい」と、小さく答えた。それも、むっとした声で。


帰ってきた夫に一部始終を話すと「いつもの事じゃ、気にするな。何で俺が着いてるのに失礼な」と、一蹴した。


でもまあ、我々の事を心配してくださるからと受け止めて言われるとおりにしようと言う事になった。


夫が「何でそんなにこだわるかなあ。健康な人でも海外で亡くなったり事故に遭うじゃないか。お前ばかりいつも言われて・・・」と、慰めてくれたので私も不本意ながら納得。


しかし、最近の医師は低姿勢のところが多いのに古い考えの医師もいるものですね。




七草がゆ

2008-01-07 | 未分類


せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ


いつもは朝炊くのですが、昨日夫が初めてパン焼き機にセットしてパンを焼いたので今朝はパンにしました。


私の実家は七草粥に大きなお供え餅を切って焼いたものを入れていましたが、お餅が入ると少し食べ過ぎになるので今年は野菜の煮物と酢の物で食べました。


おせちを食べた胃に優しくとろとろ落ちていき胃腸を癒してくれました。


松の明けた7日に春の七草を食べる習慣は遠く平安時代からあった風習でその頃は汁物として食していたそうだ。


娘がPTAの役員の学習会で「四季折々の行事を子供と共に楽しむことは大切だ」と、習ったそうで私の子供時代と比べると子供達にはしてあげられないことも沢山あったと反省。


1月はお正月の行事、2月に入ると「寒の食べ物」寒餅をついたり、かきもちを作って保存食にしたり味噌を仕込んだりした。


今は温暖化でこの時期の水も腐るかも知れない。


2月は節分。母が炒った大豆を年の数だけ食べ、豆まきをする。


最近は恵方まきと言って巻き寿司を食べるが我が家は豆まきだけだった。


家族中が賑やかに撒いて後の掃除は大変だったろう。


3月はひな祭り。我が家には雛人形など無かったが母の友人の大きなお屋敷で部屋いっぱいに飾られたひな壇の前で菱餅、白酒、お寿司など数人の親がご馳走をして祝ってくれた。


私は我が家に無くてもひな祭りの歌を歌いながらこの上も無く幸せだった。


ただし、私はこの家の数歳下の娘さんの家庭教師を数年したが、この娘さんは脳の障害のためか学んだ事が覚えられなくて数年間私も共に悩み、何とか中学校を卒業した。


その後没落して東京に一家で引っ越したままだ。


4月の花見は近所の数人がお弁当を持って山に行き、酒盛りをして母達は酔って踊ったりした。いずこの家も父親は仕事。


盆を含む夏休みは母の兄弟の家を順番に回る。


いとこ同士、仲良く遊んだものだ。兄弟の多い母方の従兄弟が来ると大家族になり面倒を見るのは大変だったろうが、子供にとっては各家の料理を楽しんだり、料理の下手な叔母の家だと我慢して食べたり懐かしい思い出だ。貧乏でも海水浴、潮干狩りなど毎年連れて行ってくれた親に今は感謝だ。


土用のうなぎは兄が仕掛けで取ってきて家の前にたらいを置いてうなぎを放つと近所の人が取りに来た。


夏のおやつは大抵うなぎの蒲焼。たれに漬けてもヒクヒクと動き生きが良かった。広島に来るとうなぎが高く、驚いた。


秋になると山からお百姓さんがまつたけを売りに出てきて我が家の縁側はちょうど休憩に手ごろで、休むと松茸をお礼に頂く。


これが子供のおやつで私は焼いてゆずを絞って食べるのが大好きだったがこれも広島に来たら高くてビックリ。


クリスマスはもう雪が積もっていてシャレものの父はケーキを買って帰るのだが、私は甘いものが苦手で半分を大好きな近所のおばあさんに届けていた。木箱で作ったそりに乗って雪が降り積む中をサンタさんのように届ける。親はどこでどんな風にやりくりしてくれたのだろうとこの年で思う。


今日は七草粥の話が子供の頃にタイムスリップしてしまった。


長い話読んでくれて有難うございます。


あなたの子供時代の話、聞かせてね。




バチがあたった

2008-01-06 | 未分類

 



昨夜Shiozyさんのブログを読んで夫と大笑いした。


お正月のおせちを食べて食中毒になり嘔吐や下痢で大変だったとか。


お見舞いの言葉のひとつも書こうかと思いつつ笑っただけで終わった。


ブログを書いている途中でお風呂のチャイムが鳴りそのまま風呂に入り、風呂上りにスポーツ飲料を飲んでブログを書き、寝れば良いのに又掲示板をつついていたら12時を回った。


PCのある部屋には暖房器具があるけど面倒なのでそのままPCで遊んでいたらお腹がぐずり始め何と下痢をしてしまった。


それから行ったり来たり、何度も往復するので夫が「どうしたの?」と、聞いてきた。


「いや、ちょっと冷えたかな?」と言いつつトイレに駆け込むので「そりゃちょっと変だよ」と言う。


最初の3~4回は何も思わなかったが回数が増えると不安になってきた。


数年前にこういう状況で痛みが止まらなくて救急病院に行ったら十二指腸潰瘍で出血していて即入院し、手術した経験がある。


その時にピロリ菌が見つかり駆除したので以後すっかり元気になり太ってきた。


それなのに・・・。


次に嘔吐が来た。息が出来ないほどに吐いて食べたものが全部出た。


ふと、年末にネット仲間のTさんが「嘔吐下痢症」で大変だったと言う話を思い出し「もしかして嘔吐下痢症かもしれない」と、ベッドの側に洗面器と、ティッシューを用意して覚悟して寝た。


夫もいつでも病院に行ける覚悟で寝た。


そして今朝、眩しいばかりの朝日に目覚めたら9時。


昨夜の恐怖が戻ってきて食事はほんの少し。


冷えないように服をしっかり着てお腹の調子を見たら「どうもない」のである。


それでも、「嘔吐下痢症に間違い無い」と、信じる私、午前中は大人しくしていた。


やっぱりShiozyさんの事を笑ったバチが当たったみたい。(でもナイショだよ)


が、単なる「冷え」だったと判ったら途端にじっとしているのが勿体無くて「熊野筆工房」へ筆を買いに行った。


絵手紙の先輩が「やはり、いい絵を描こうと思ったら道具のいいのをそろえなければね」と、言われたが、下手で良いと自認している私にはあまり関係ないような気がする。


今晩はそんな事を考えるとおどろおどろしくてまだ筆を下ろしていない。