峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

父方の祖母の話

2007年05月24日 11時12分55秒 | 実家の話

父方の祖母は昭和26年10月25日に63歳で亡くなりました。
私の生まれる前に亡くなった祖母であり、写真でしか知らないのですが、
先日、その一周忌である昭和27年に、身内と親しかった方だけに配られた
追悼の小冊子を初めて見ました。

口絵には、祖母の冥福を祈るために高木古泉画伯が描いて下さったという、観音像。
たしか、引越しの最終日に発掘した絵の中にありました。




そして、三枚の写真。




追悼文は祖父、伯母たち、父、従姉妹、他親戚、祖父の仕事上のお付き合いのあった方たちなど多くの方が書いていますが、
「賢かった」 「優しかった」 「美しかった」 などは、追悼文なんだから孫として割り引いて読むとしても、「質素であった」 という部分は素敵だな と思いました。

追悼文集の中には、祖母の少女時代からの友人の言葉を父の従兄弟が聞き書きしているものがありますが、
明治時代の田舎の少女たちの生き生きとした様子が垣間見られます。
長くなりますが、その文章のほぼ全文を転記します。


(註・祖母は伯母宅の養女となり、祖父はさらに婿養子となった)

【幼き頃のサヱさん】  永松すま氏 述

 私とサヱさんとは幼い頃からの親友でした。
当時私たちの家は福岡県三池郡駛馬村馬込にありました。
今では大牟田市に編入されましたから、すっかり変っている事でしょう。
 サヱさんは母の胎内にいる時分から既に今の西さんの家の養女か養子になる約束だったのですよ。
私達の子供の時は、私の家が高い丘の上にあり、サヱさんの家がすぐその下の低い所にありましたので、私達はほんとに幼な友達でした。
その当時 - 昔はネ、「サヱさん」 と呼ばないで 「西さんとこのオンゴ、オンゴ」 と呼んだもんです。
(註、オンゴとは方言でお嬢さんと云う謂なり)

所が私達は淑やかなお嬢さんどころか凄いお転婆でしてね。小学校時代から夏なぞ近所の小川に女だてらに泳ぎにばかり行きましたよ。
頭に手拭をかぶって、毎日泳いでは、それから近くの畑へ行って、着物を汚したり、まっ黒になったり、畑でブブン貝を拾っては、その貝でおはじきをしたり、「ナンコナンコいくつ」 なぞして遊んでばかりいたのでサヱさんのお母さん - そうそう、今年、八十八歳になったあの御隠居さん - が未だとても若くてね、しょっちゅう髪を まげ に結うて、色の白い肥えたきれいな人でしたがね、そのお母さんに、「あんたがたは男の子のようだ」 と云って叱られたもんですよ。
私達の子供の時分は小学校は四年で卒業でした。それからは高等学校だったのですが、私達の村は、何しろ凄い田舎でしょう。
山もあり、畑も、田圃もあり小川の水がきれいに流れていてね 遠くの山が遥かに見えて、そして暖国的な雰囲気と環境に包まれた よく言えば、とても平和なのんびりした田園ですが、その代わり高等学校なぞ村にないので、止むを得ず一里位遠い大牟田まで通学を余儀なくされたのです。
私の村が大牟田に合併したのは、私達が二十歳の頃です。

 さて大牟田の高等学校へ進学したお友達はえー、私とサヱさん、カズさん、ハルさん、ユキエさん、キヨカさん、ノモさん位のものでしたよ。
私達の十二、三の頃はね、髪は 「桃割れ」 と云うのに結いましてね (口絵写真参照を乞う) 
縞の袴 - 大てい海老茶 - でしかも、みんな自宅で織ったゴツゴツした袴でございました。
所が、その大牟田の学校の往復がまた大変なんです。
雨の降った時は下駄に袴でしょう、今のようにゴム靴なんて、シャレたものは無いんですからね、みんな下駄をぬいで はだし なんです。
ランドセルもかばんもないのですから、皆、風呂敷へ本もお弁当も包んでね、帰りには空の弁当箱がガランガラン音がするのよ。
その荷物をお互いに友人に持たせようとしてね、順々に交替で持つのです。
何時交替するのかと云うと、「馬の糞」 に出会うまでが荷物運びの当番になるのです。
そしてやがて川の所に来ると、荷物はほおり出して水あびをしたり、お腹がへると、近所の百姓の畑のさつま芋をほじって来て、川で洗って、キュウスに入れ、川端へカマドを作って、煮たり焼いたりして、
それでも、そのお芋を 「仏様に上げるのだ」 と言い乍ら その実みんな、自分達で食べてしまうのです。
お芋どころか茄子などちぎって来て、口の周囲をまっくろにして食べたりしたもんです。

 当時の校長さんは岩井先生と言う方で、とても立派な先生でした。
サヱさんはその時分から頭がよくて、学校の成績も非常によくって、性質は温厚でした。
学校は朝九時十五分に、はじまるので、毎朝一里の田舎道を駆け足で行ったんです。

 あの頃の思い出などはとても懐かしいですよ。
それが東京でお互いに暮らすようになるなんて、私はサヱさんとは、全く因縁が深い間柄です。
それも大正十二年の震災後、(略) 馬橋のお宅を訪問したのが三月三日でした。
大牟田の高等学校を十五歳の時に卒業してから、まあ、何十年振りの再会でしょう。
以来、私は毎年三月三日にサヱさんちを訪問するのを年中行事にしていましたのに、そして私が訪問する毎に帰りには必ず省線の駅まで送って下さったサヱさんだったのに、私を残して急に死んでしまうなんて、私にはまるで夢のようです。

 十月二十五日に電報が来て、驚いて私がかけつけた時に、サヱさん!、奥さん!と大声で呼んだら眼を一パイあけて、うなづいたようでしたけれど、それから十分位でとうとう死んでしまいました。
私はもう三十分も早く行きたかったと、今でも残念です。
 でも、サヱさんはやっぱり運のよい人ですよ、立派な旦那さんのお蔭でさ、あんな立派なお葬式をやって貰ってさ、だから今ごろは極楽浄土に行っているでしょう。

 思い出はつきませんが、私にとって、嬉しいことは、数年前、奥さんが郷里の九州へ行かれた時、大牟田の私の妹の家を訪ねられて、一と晩泊まられたと云うので、帰京されてから、私にお礼を言われたのが、私達の子供の時代から死ぬまで、終始変わらぬおつきあいした深い因縁の私達の間で私が仏前に供えるせめてもの思い出となってしまいました。

≪ 速記・文 土屋利保氏 ≫



この祖母の描いた絵を、去年の11月3日の記事 『父方の祖母の絵・人体解剖図』 に載せました。


母とテン

2007年04月14日 15時45分08秒 | 実家の話
今日は、母の誕生日です。
    ハッピー 誕生日 マイ 母~ 

さっき実家に電話したら妹が出て、昨日から体調崩してダウンしてるとのこと。
つい数日前、近所の4歳児に、
「お腹に赤ちゃんいるの~?」 と、聞かれたというほど、元気そうな母なのに。( ̄ー ̄;
( 若くてスリムな母親は、慌てて息子の口を押さえたという。)

画像は、2ヶ月くらい前に妹が送ってくれた、母と飼い猫のテンちゃんです。
テンちゃんの向こう側にクロスワードパズルの本が見えますが、彼女の趣味ではありません。母です。

テンちゃんは引越しする前の実家の天井裏から出てきた猫でした。
過去に作ったHPからその経緯をコピペすると…。

実家の天井裏で3日間子猫の鳴き声がしていたという。
どうやらどこからか入り込んで出られなくなったらしい。
困った母は、便利屋さんを呼んで出してもらった。
生き物を飼う気など毛頭なかった母なのだが、便利屋さんに
「猫好きのやさしいおばあちゃんの家で良かったね~」
と猫に話しかけられ、飼わざるを得なくなったそうだ。
名前は天井裏から来たから、「テン」と便利屋さんによって名付けられた。


元HPは、こちら。
文字化けしたら、Internet Explorerの左上表示ボタン → エンコード → 日本語自動選択 にしてください。
私が開くといつも文字化けしとるです。

前の家では自由に出入りして外の世界を満喫していた猫でしたが、引っ越してきたら家から一歩も出ようとしなくなりました。
朝6時頃になると 「ニャ。早く寝床、代わってよニェ」 と、母を起こし、昼間は我が物顔で母のベッドの中で寝ています。
夜になると、部屋の中を走り回ったり、ぶら下がってる紐に飛びついて遊んでいるそうで、
母はよく 「寝不足だ」 と愚痴をこぼしています。

     バタバタバタ...ヘ(ヘ(ヘ(ヘ(ヘ(ヘ(ヘ(ヘ( ^-x-^)ヘ
     ヘ(^-x-^ )ヘ)ヘ)ヘ)ヘ)ヘ)ヘ)ヘ...バタバタバタ

      ~ξヾ( ^-x-^)ブリブリ

テンちゃん、じつは人嫌いです。
前の家ではほとんど姿を見ることはできませんでした。
私たちが行くと、いつもどこかに隠れてしまうから。

引っ越してからは母の布団をめくると会えるようになりましたが、
すごく嫌そうな顔されます。
        




用心深い猫のテンに比べて、うちのトトはなんとノーテンキなのでしょう。





あんまり長くて携帯カメラじゃ入りきらないから、3分割して撮影しました。
( ヘンになっちった )



今日は何の日

2007年02月14日 10時13分13秒 | 実家の話

世間では、バレンタイン・デー としてワクワクドキドキしてることでしょうが、
私にとっては父の命日です。
まったくもー、狙ったようにバレンタイン・デーに亡くなるんだもん。
9年経った今なお、父にはチョコを贈り続けています。

本当は今日は母と墓参りに行く予定でしたが、三男が頭痛で欠席。
「行ってもいいよ」 とは言ってくれたけど、やっぱ長くは留守にできない。
天気も悪いことだし、母も後日にするというので自宅にて父を思い出すことにします。

トップ画像は、このまえ岡本太郎のことを書いたとき、
「そういえば太郎の父の岡本一平の絵がうちにあったような…」 と思って探したのでした。
でも、勘違い。 岡本天明 でした。



母の話によると、父がどこかで見つけてきたらしいです。
ホンモノかなあ?





わき目もふらず、猪突猛進するかなあ

2007年01月08日 14時47分20秒 | 実家の話

今年は年女です。
つまり、2436486072になります。
上のどれかは、ヒ・ミ・ツ  (既にバレバレでも隠す女心)

どれにしろ、イイ年なので そろそろ自分の道に向かって猪突猛進したいところですが、
もともと試験勉強の前になると部屋の掃除をしたくなるタイプなので、いつごろエンジンが掛かるものだか。

ところで 「猪突猛進」 という言葉は、
「周囲の人のことや状況を考えずに、一つのことに向かって猛烈な勢いで突き進むこと」
で、本来あまり良い意味ではないようですが、今年は敢えて周りや状況を見ることなく突き進んじまおうかな。 
ヽ( ´ー`)ノ フッ

ということで、「見る」 をキーワードとして、
トップ画像は、実家にあった眼の模型の画像にこじつけました。
前にアップした  の仲間です。
ナカマ♪((o(*^∇^)X(^∇^*)o)) ナカマ♪


これは後ろ側




他にもこんなスプーン

2006年12月15日 10時50分13秒 | 実家の話

やっぱ、年末は忙しいですね~。
この忙しいのに、怪しいトラックバックが昨夜から11件も入ってました。
申し訳ありませんが当分、「トラックバックは受け付けません」 の設定にさせて戴きます。


さて、ニュルンベルクのスプーンほどのインパクトはないけれど、同じときにもらってきた他のスプーンも紹介します。

まずはトップ画像の文字入りスプーン。「福徠壽」と「福壽」に通貨みたいの。
別に面白かないです。


           


次は東京みやげ?





二重橋と皇居と富士山かなあ?


         


次はどこの土産かわかりません。



上に風車小屋がついてて、下の部分は浮き彫りになっています。
風車の羽部分は手で動かすと回ります。




風車小屋の中だかわかりませんが、下では なにやらドラマが。
最初は粉引きの仕事してるのかと思いましたが、よく見ると酔いつぶれた人と、それに絡んでるんだか、励ましてる人?



ちょっと不思議な人間模様。


そして、このスプーン。 意外な場所に意外な人が。
どこでしょう。

 ここよ、ここ。





 ナンチャッテおじさん






ニュルンベルクのスプーン

2006年12月11日 10時34分07秒 | 実家の話
 
もうネタがないし、掃除に専念しなくっちゃ。
ほら、今日はお日様が照ってるから、シーツの洗濯もできるわよ。
と、思っていたのに…
また、へんなもん見つけちゃいました。


スプーンをね、数ヶ月前に百円均一ショップで何本か買ったですよ。
でも、そのあと実家の屋根裏を片付けていたら、スプーンが何本も出てきたですよ。
それほど必要なかったけど、せっかくだから貰ってきました。
で、この2ヵ月くらい使ってたんですけど、昨日 一本のスプーンに仕掛けがあることに、次男が気付きました。

上の部分になんか付いてる…とは思ってたんですが…。
お地蔵さん? いやいや、西洋の物のようだから、聖人か何かの像?




そこが開く? なんで?
しかも中に出てるものは何?




こ、これは… と思ったとたん、次男が、
「おおっ、アイアン・メイデン」 と言いました。
なんで知ってるんだ。
私だって日本語の、「鉄の処女」 なら知ってたけどさ。




スプーンの下の部分に書いてあった文字をネット検索して、どうやらドイツのニュルンベルクのお土産らしいということが わかりました。




ニュルンベルクは最初に拷問具 ”鉄の処女” を所有した町として知られるそうな。

でもねぇ。 スプーンにそれを付けるって、どうよ。



答えはストーブ

2006年12月07日 15時40分05秒 | 実家の話
はじめは電球がはずしてあったもので、母は、
「なんて物の入らない物入れなんだ」 と思ってたようですが、
数年前に、他のところから新聞紙にくるまれた電球が出てきて、これにぴったりだったもんだからストーブだと気付きました。
使おうと思えばまだ使えるんだけど、電気代食うばっかりなので使うことは断念しました。
いつの時代のものか、よくわかりません。
こういうストーブは、他で見たことも聞いたこともないんですけど、どなたか知ってます?
電気使うんだから、古くても明治以降とは思います。


  



さっき妹から、こんなメールが来ました。


                  
昨日の夕ご飯にキムチ炒飯が出たの。  (夕食は母が作っている)
ちょっと焦げてたけど、めちゃ美味しかったの。
だけど、リンゴジャムが入ってた…。
「何、これ!? リンゴ!?」 って言ったら、お母さんが、
「いたずらしちゃった あんたんとこに入ってたんだ~♪」 だと。
本気のセンスじゃなくて良かったけど…、おい~っ 」
                     



母のいたずら、昔から度々ありました…。



これ、なーんだ

2006年12月06日 21時47分46秒 | 実家の話

実家に以前からあった物です。 場所を取りますが、珍しいので実家の引越し先に持っていきました。

棚の上には、既にゴチャゴチャと物が乗っていますが…
その下の部分には尾形光琳の紅白梅図屏風の絵?が描かれています。



じつは、この絵が尾形光琳の紅白梅図屏風とは全然気付いてませんでした。
章魚庵さんのブログでしたっけ? 前にこの絵が話題になったのは。
それで、はじめてこの絵のエロチックな解釈を知り、そのあと改めて見て気付いたのでした。
その解釈とは、簡単に言えば、川は女体、両岸の梅をふたりの男と見るようです。
言われてみれば、右の紅梅は川に向かって そそり立つものがあるし。

で、ここで問題。
下の扉を開けると何があるでしょう。
というか、この棚は何でしょう。
答えは………
明日にしよーっと。┗┓ ̄旦 ̄┏┛フフフ



『文藝時代』 の話 3

2006年11月23日 14時45分20秒 | 実家の話
今日も続いて、『文藝時代』 から。
トップ画像に裏の広告なぞ、載せてみました。

内容は全部読んでいませんが、(じつは、ほとんど読んでない) 編集後記だけ、ざっと目を通しました。
あの時代の文人の熱い想いとか、太宰治をめぐるリアルタイムの心情などが伝わってきます。
興味ある方は、ちょっと読みにくいけどクリックして覗いてみてください。


編集後記特集

1. 昭和23年 3月号

2. 昭和23年 5月号

3. 昭和23年 6月号

4. 昭和23年 7月号

5. 昭和23年11月号

6. 昭和23年12月号

7. 昭和24年 2月号

8. 昭和24年 3月号

9. 昭和24年 5月号

10. 昭和24年 6月号

11. 昭和24年 7月号




『文藝時代』 の話 2

2006年11月22日 12時10分32秒 | 実家の話
勘違いしてましたが、『文藝時代』 は、文芸雑誌ではなく、同人誌のようです。
商業的なものと結びついた同人誌らしいです。

今回、『文藝時代』 を記事にするのは理由があります。
この同人誌、たぶんもうほとんど現存してないと思います。
でも錚々たる面々の文章なので、もし他に保存されていなかったら…と思うと、
一抹の責任を感じます。
そこで、我家にある分だけでも作家と作品の一覧を載せたいと思います。


昭和23年3月號
『存在の無償性』  福田恒存
『悲劇の周圍(獨白に似た感想)』  高見 順
『荒野の詩論』  江口榛一
『わが思想の息吹』  坂口安吾 
『現代作家論・座談会』  舟橋聖一・椎名麟三・梅崎春生・高木卓

 - 創作 -
『滅びてゆく』  芝木好子
『童子』  舟橋聖一



昭和23年5月號
『西洋の方法』    伊藤 整
『流水の文章』  北條 誠
『創作月評』  青山光二・高山毅・八木義徳・豊田三郎
『無感覚なボタン』  武田泰淳
『ショオ見物』  田邊茂一
『斷想』  田一穂

  - 創作 -
『白蛾』  福田清人
『未知なる者が』  江口榛一
『坐像』  北川冬彦
『雪の窓』  倉本兵衛




昭和23年6月號

『批評の系譜』    瀬沼茂樹
『新人の文學的立場』  十返 肇
『イデアの文學(文藝時評)』  多田裕計
『神と人間・を語る座談会』  花田清輝・豊田三郎・北條誠・多田裕計・田邊茂一・椎名麟三・青山光二・八木義
 
 - 創作 -
『血と血』  高木 卓
『虚妄の日』  北條 誠



昭和23年7月號
『小説の反時代的談義』  青野季吉
『イデアの文学(文藝時評)』  多田裕計
『観念について語る・座談会』  舟橋聖一・福田清人・徳田一穂・福田恒存・豊田三郎・野口冨士男・伊藤整・楢崎勤・高山毅

  - 創作 -
『直江津の宿』  櫻田常久
『風塵』  竹越和夫



昭和23年11月號

  - 小説 -
『女體炎上』  松岡照夫
『黄昏』  芝木好子
『情痴』  江口榛一
『童子』  舟橋聖一

『取巻風景』  上林 暁
『戦後文學についての反省』  野間 宏
『最近の文壇を語る・座談会』  椎名麟三・豊田三郎・梅崎春生・野口冨士男・舟橋聖一・高木卓・青山光二・八木義
『永遠なる序章 その他』  佐藤晃一



昭和23年12月號
『林檎の花』  結城信一
『月光と耳の話』  椿 實
『傅説』  柿崎延子
『山河』  駒田信二
『隣人』  宇留野元一
『山雀』  水上 勉



昭和24年2月號
『怨暮記』  福田清人
『死者の位置』  北條 誠
『いもの畦道』  井上 孝
『饗宴(遺稿)』  織田作之助
『文藝時評』  田邊茂一
『一九四九年の文學・座談会』  豊田三郎・花田清輝・野口冨士男・福田恒存・青山光二・八木義



昭和24年3月號
  - 評論 -
『ある魂の遁走』  土井虎賀壽
『文學の劣等感について』  友澤秀爾
『野間宏論』  十返 肇

  - 随筆 -
『中間評論』  井上友一郎
『感動について』  芝木好子
『武田さんの言葉』  高山 毅
『戦後文學と道徳革命』  佐藤晃一

  - 座談会 -
『小説の内面』  梅崎春生・青山光二・八木義・野口冨士男

『文藝時評』  田邊茂一

『裸婦 (詩)』  平木二六
『櫻井検事』  青山光二

  - 小説 -
『濠端の道』  倉本兵衛
『未練』  江口榛一
『水の色』  峯 雪榮



昭和24年5月號
『往復運動』  荒 正人
『漂泊する近代』  村上宏行

  - 随筆 -
『壁書炎上』  豊田三郎
『妻をささげて』  木暮 亮
『町學者』  河盛好藏
『チョジュツ業』  野口冨士男

  - 創作 -
『ぷろぐらむ』  宮内寒彌
『雌』  小田嶽夫
『鏡の中の狂者』  柴田錬三郎
『對決』  和田芳惠
『小原ギン』  楢崎 勤



昭和24年6月號
『ヴァルプルギスの夜』  宍戸儀一

  - 随想 -
『平凡な感想』  梅崎春生
『くやしい心理』  中島健蔵

  - 小説 -
『男根心象』  藤原審爾
『倒木』  澁川 驍
『詩・灯の詩』  山本惣一
『灰 (232枚)』  青山光二



昭和24年7月號
『作家の戦争体験』  平田次三郎
『太宰治と織田作之助』  青山光二

  - 特集・思ひ出の太宰治 -
『友人相和す思ひ』  林 芙美子
『《櫻桃忌》提唱』  今 官一
『微風の便り』  伊馬春部
『いやな世の中でしたでせう』  楢崎 勤

  - 文藝時評 -
『文学の断層』  福田清人
『引き算の文学』  高山 毅

『平和会議その他』  徳永 直
『夢のような話』  山内義雄
『日本の都市』  草野心平

  - 書評 -
『人間復活 (船山 馨・著)』  十返 肇
『二つの世界 (花田清輝・著)』  佐々木基一
『夜の訪問者 (青山光二・著)』  八木義
『四人の踊り子 (丸山金治・著)』  多田裕計
『鵞毛 (舟橋聖一・著)』  竹越和夫
『俳人石井露月の生涯 (福田清人・著)』  十和田 操
『晩菊 (林 芙美子・著)』  野口冨士男

『迷ひ地獄』  外村 繁
『千金の夢』  松岡照夫
『詩・太陽は』  鶴岡冬一
『荒野の街』  丸岡 明 

『文藝時代』 の話 1

2006年11月21日 11時26分55秒 | 実家の話
父は私の生まれる前、『文藝時代』 という雑誌の編集をしていました。
引越しで、この雑誌の昭和23年3月号~昭和24年の7月号までのうちの10冊が出てきました。
トップ画像は昭和23年3月号の表紙です。

目次はこれ。↓



最後のページはこうですが…↓



同人にはすごいメンバーが載ってます。




父の友達で太宰治の弟子であった詩人の方が本を出版したときに、父が寄せた文章の原稿を以前読んだのですが、
「(太宰に) 一升瓶を渡したら、“君が持ってくれたまえよ。僕はペンより重いものを持ったことがないのでね” と言われて持たされた
とかいう話でした。
若い編集者である父が、言われる前に気を利かせて持てばいいのに…。それをユーモア混じりに諭してくれたんじゃないの?
と思いながら読んだ記憶があります。
引越しのとき、その原稿が気になってたけど、ついに見つかりませんでした。

昨日、母から電話で聞いた話によると、
父が母と結婚する前に、母方の伯父の面接(?)があったそうで、
そのとき 「尊敬する人は?」 と聞かれた父は、「太宰治」 と答えたそうです。
しかし、その2~3日後に太宰は自殺したそうで、それを聞いた父方の祖父が
「惜しいことしたな~。これでダメだな~」 と言ってたそうです。
ま、なんとかなったから私も存在するんですけど。

母の話によると、父は三鷹あたりの太宰の家に通って、最後の方は口述筆記で原稿をもらっていたそうです。
「そこは一字開けて」 など、指示はかなり細かかったという話です。

後にブログなんてものが発達して、こうして書くとは思わなかった。
生きてる間にもっと詳しく聞いて記録しておけばよかったと後悔してます。
せめて母が生きてるうちに、私の記憶があるうちに…と。

あと、父の話で覚えてるのは、金田一京助氏や豊田三郎氏に原稿を取りに行った話とか。
豊田三郎氏というのは、『天国に一番近い島』 の、森村桂さんのお父さんです。
子供であった桂さんはそのとき、父に恋したそうで、
2度目の結婚式のとき、「西さんは初恋の人ですから」 というカードを添えて招待状を下さいました。
そのカードを父は小さな額に入れて飾ってましたが、これも引越しのとき見つかりませんでした。
森村桂さんの、『それでも朝は来る』 という作品には、実名で父が出てきます。
桂さんは一度実家に来ていただいて父と雑誌の対談してくださったことがあります。
そのとき私は学校に行っていたので会えませんでしたが、『天国に一番近い島』 の感想を書いた手紙を母に託し、渡してもらいました。
その後、兄の結婚式に出席していただいたときに私もお話することが出来て、実物の桂さんの、はにかみがちで純粋な可愛らしさに魅了されました。
いつか軽井沢のケーキ屋さんに行って、父が亡くなったこと、
あのときとても喜んでカードをいつまでも大切にしていたことなどを伝えたかったのですが、叶いませんでした。

さて、『文藝時代』 ネタはまだまだ続きますが、余談で長くなりましたので続きは次回に。



石琴 (サヌカイト) ?

2006年11月19日 11時20分17秒 | 実家の話

実家に昔からあって、「何に使うんだろう。楽器かなあ」 程度にしかよくわからなかった物です。
ネット検索できるようになって、これが 「サヌカイト」 というものらしいことがわかりました。

日本文化いろは事典というサイトから引用させていただきますと、

石琴 ・ サヌカイト
香川県だけに産出する自然石で、1891年ドイツの地質学者ヴァインシェンクが 「讃岐〔さぬき〕の岩」 の意をこめ 「サヌカイト」 と命名しました。
木槌で叩くと神秘的で澄んだ美しい音を奏でるところから、地元では 「カンカン石」 と呼ばれています。
この石をマリンバのように並べて音を奏でる楽器です。


と、あります。

今回は音階順に並べてみませんでしたが、以前並べて叩いてみたら
普通のドレミファじゃなくて、和風音階っぽい感じだったような記憶があります。
「通りゃんせ」 みたいな曲の最初だけ叩けたような。
専門的なことはよくわかりませんが。






ロベルト・コッホ

2006年11月15日 22時40分37秒 | 実家の話
今週に入って多忙一段落ではありましたが、やはり何かと所用が続いて更新出来ませんでした。

トップ画像はやはり実家にあった、コッホの写真です。
裏には、



コッホ先生肖像  明治四十一年十一月六日  北里博士寄贈
と、書いてあります。

たぶん、祖父が寄贈されたわけじゃなくて、廻り廻ってやって来たのではないかと想像してます。
私には、よくわかりません。

ドイツ生まれのコッホさん。
和服姿がカッコイイじゃありませんか。



余談ですが、少し前に放映した 『オーラの泉』 で、歌舞伎役者さんの後ろに、ドイツの医者か研究者がいるというような話が出たとたん、「コッホ?」と思いました。ちょうどその前日くらいにこの写真を撮ってきたので。
そのあと、「それほど古い時代ではない」とか、「細菌か何かの研究をしていた」と話が続いたので、ちょっとびっくりしました。 全然違ってるかもしれませんけど。
( しかも会った事もない人の後ろに居るって話だから関係ない )




坂本龍馬じゃん

2006年11月12日 12時37分25秒 | 実家の話

実家旧宅の片付けに行くのも、一昨日が最後のつもりでした。
でも、鍵を返してなかったことが気になって、昨日もちょっとだけ行きました。

時間が無かったけれど、父の原稿を求めて最後にもう一度だけ…と思い、
母も諦めたほどの秘境地帯に足を踏み入れてみました。
も~、タランチュラかキングコブラでも出てきたらどうしようかと思いましたが、勇気を出して探検して良かった。
小学校時代の私と友達との交換ノートや、トップ画像の掛け軸などが出てきました。

一時、幕末に興味があった私は、両親と妹を引きずりまわして京都の幕末名所を周ったことがありましたっけ。
坂本龍馬のお墓も行きました。
だから、掛け軸を広げてみたときに龍馬が現れたとたん、思わず 「わあー」 と声をあげました。

価値のあるものかどうかはわからないけど、坂本龍馬は好きです。

遺伝的趣味の悪さ

2006年11月07日 09時42分34秒 | 実家の話
 
今日もこれから実家行きますんで、簡単に更新。
シャンソン教室はまた欠席。歌ってる場合じゃないからね~。

トップ画像は父の袋から出てきました。
虫食いのドングリ数珠かと思ったら……




全部ドクロ。
趣味悪りぃ~。


こんなペンダントも出てきました。
父は首から下げていたのでしょうか。 サイババ。





先日、妹が父の思い出話をしました。

「昔ね、夜、髪の毛結ぶゴムがどこかいっちゃったの。
 しばらく探して、お父さんも探してくれたけど無いから、まあいいやって寝ちゃったの。
 そしたら、真夜中にお父さんが部屋に来て、『見つけたぞ。ドアノブに掛かってたんだ!』 
 と持ってきてくれたけど、寝てたし、ちょっと不機嫌になって返事したら、
 翌日、私に自作の物語を聞かせ始めたの。
 年老いた兵士が、お姫さまの欲しがった花を命を賭けて取ってきたのに、
 お姫さまが冷たく突き放したという可哀想な話だった…

父はそんな人だった……。