美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

12月3日(木)のつぶやき

2015-12-04 03:22:48 | 日々の呟き

作品に見られる「影響」には文献的に裏付けが取れる(多くの場合軽い)影響と裏付けなど取れそうもない(多くの場合深い)影響がある。
後者について、文献的裏付けがないから認められないというのは、アカデミズムの学者に多い。


特に印象にも残らず、共感できる接点もなく、一度見て、次の作品へ。私にとって、現時点で興味を持てなかった、だけでなく、作品から見れば、むしろ私のほうが相手にされなかった感がある。

Riki66さんがリツイート | 1 RT

作品を前にして、(大げさだけど)少し打ちのめされることもある。どうして、何の接点も見つけられないのか・・・と。恥ずかしながら、知識・経験・教養といったものが、圧倒的に足りていない。twitter.com/Lumiere1874/st…

Riki66さんがリツイート | 1 RT

@Lumiere1874
作品を見て「何の接点も感じない」ことは、私にもしばしばあります。それはそれでいいと思います。後で分かることもあるし、わからないまま忘れてしまうこともある。とても真摯な態度からそう感じたのだからそれでいいと思います。

1 件 リツイートされました

@Lumiere1874
学芸員は知識で作品を見てしまうようなところがあって反省しています。
学者は作品を研究対象として見てしまい、自分を振り返ります。
芸術作品であることをすっかり忘れてしまうのです。


@Lumiere1874
芸術作品を純粋に芸術作品として味わえる人こそもっとも祝福されると思いますよ。


コメント
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