自分の心を見てみると、晴れの日や曇りの日、雨の日、風の日、その日の天気で簡単に気分が動いている。
また、心に重さがあるのかどうかと知らないが、確かに言葉を聞くことなどにより、ふと軽くなったり重くなったりしている。
鷗外の「舞姫」に出てくる言葉だが、もはや何事にも何者にも動じないような「ニル アドミラリ」の心構えにはとうてい到っていない。
到ることは非常に難しい。
そこに到ることが良いことなのかどうかもわからぬ。
西洋の油彩画を見ていくと、そこにいかに物質というものへの強いこだわりがあるかがわかる。
衣装の襞や光沢、宝石の輝き、溢れるほどの果物や花、貨幣や甲冑に至るまでの物質感の飽くことなき追求。
ここにはすべての被造物への徹底した観察という面も、作品によっては、あるのかもしれない。
昨日の新聞に生き方としてのミニマリズムについて、3人の意見が載っていた。
ミニマリズムには、私も憧れる。そうした美術用語が生き方を表現する言葉になる以前から憧れていた。
羨ましく、ただ憧れるのみである。