さて、最後にここで絵本『にかのる王傳』に戻る。この最終場面には、イエスの言葉「えり、えり、らま、さばくたに」が刻印されているが、これは、よく知られているように、一般には「わが神、わが神、なぜ私を見捨てたもうか」の意である。澄生の「にかのる王」は、Artabanの物語とはやや異なり、イエスの磔刑場面に立ち会って、十字架上の七つの言葉のうちの一つを聞いたという設定になる。これは、イエスの言葉であると同時に、とうとうベツレヘムでの生誕に間に合わず、不思議に意味深く臨終を見届けるにとどまった「にかのる王」の内面にも重く響く言葉となったであろう。さらに言うなら、これは、「受け容れられない愛」を生涯ずっと抱え込んできた澄生の深部にも通じていた言葉ではなかろうか。
しかし、イエスが神から見放されていないように、ヴァン・ダイクのArtabanはもちろん、「にかのる王」もまたイエスから見捨てられたのではないだろう。少なくともそういう主題でないことは明らかである。33年も「にかのる王」が遅れてきたことは、むしろ主の意思に自ずと従っていたことの証であったに違いない。そして、澄生もまた55年間、「受け容れられない愛」を抱き続けてきた作家、一人の男であった。
わが恋を知り居る人は皆死して我ハ七十六才となる
わが恋人とあいてもお互いにわからざるべし五十五年へぬ
わが恋いし君も七十過ぎたらん我は七十六才となる
(以上「短歌」『川上澄生全集』第14巻)
「えり、えり、らま、さばくたに(わが神、わが神、なぜ私を見捨てたもうか)」という人の子イエスの悲痛な言葉には、澄生の多大な共感が込められていたのではなかろうか。先の短歌に見られるように、55年経っても、なお受け容れられなかった自分の愛の意義を改めて問うのが川上澄生である。そして、33年遅れて主のもとに到達したのが、「にかのる王」であり、彼が『にかのる王傳』を制作した時にも、「受け容れられない愛」を感じてから30年の歳月はとうに経ていたのである。
〔補説〕
(一)澄生にとっての「受け容れられない愛」、これは異性への愛が主要なものであるが、必ずしもそれだけではない。少年に対する愛を示すような詩的断章(大正14年3月6日)も残されているし、何よりも大正4年に亡くなった母への愛、そして大正6年に再婚した父との関係も、澄生の「受け容れられない愛」を考察する上では重要であろう。
澄生は、大正6年のカナダ行きに際して、再婚した父親から言われた「嫌になったら帰って来い、嫌でなければ帰って来なくてもよい。まさか飢え死にはしないだろう」という言葉をわざわざ『履歴書』に書き残しているほどである。また、こうも『履歴書』に記している。「母は大正4年6月5日に死んだ。私は何もしないで毎日遊んでいた。父は何も云わなかった。」
特に母を亡くしてからの澄生にとっての「父の愛」という問題は、『にかのる王傳』にも新たに結びつく「父と子の関係」における彼の「受け容れられない愛」を改めて考察する上で、やや別個の興味深い問題を提起するものだろう。
(二)川上澄生の『雪のさんたまりや』(昭和36年)と新村出の『南蛮更紗』にある「雪のサンタマリヤ」との関係は、澄生の『にかのる王傳』とヴァン・ダイクのアルタバンの物語との関係とは異なっている。後者の関係は、本稿で見てきたように筋書きの根本部分がパラレルなものであるのに対して、前者の関係はそのようなものではない。一方、澄生がヴァン・ダイクを知っていたかどうかは今のところ明らかではないが、澄生が新村の著作から影響を受けたことはよく知られている事実である。
しかし、澄生の『雪のさんたまりや』と『にかのる王傳』は、いずれも『聖書』から直接取材した作品ではないから、伝統的なキリスト教的主題に類例を見出すことは難しい。だが、『にかのる王傳』は、ともかくも「三王礼拝」の変形譚として「もうひとりの賢人」という西洋に共通する原型が見出された。
澄生の『雪のさんたまりや』における蝶(変容した大天使)がマリアの口から入って処女懐胎させるというモティーフと、天における焦がれ死にした「呂そんのおう」とマリアとの結婚という結末は、キリスト教的な観点からは全く破天荒な内容であり、同時に想像力溢れたイメージとなっている部分であるが、これらは隠れキリシタン文書『天地始之事』に明らかに結びつくものである。正統的なキリスト教でなく、隠れキリシタンの伝承にこそ心動かされた澄生の姿勢がよく解る作品である。
(三)澄生の『ヨナ物語』は、『にかのる王傳』や『雪のさんたまりや』に比べれば、あまり重大な変更が加えられることなく、一つの典拠から取材された作品としてもよいものであろう。もちろん、『旧約聖書』の「ヨナ書」からである。
しかし、率直に言って『旧約』における「ヨナ書」の意味内容やその特質が、澄生による6場面だけで伝えられたかどうかには大いに疑問が残る。特に『ヨナ物語』の最終場面が「一夜にしてそのふくべ枯れヨナ神の御心を悟りてひれ伏すこと」としたのは、ふくべ(今日の訳では「とうごま」)が枯れたのを見て、ヨナが神の御心を直ちに悟ったわけではないので、神とニネベの国や民に対するヨナの複雑な心理状態や態度を単純化し過ぎているように見える。むしろ最終場面では、神に向かってヨナがとった不満な態度をそのまま表現して終わったほうが絵を読取る者に意外の感を起こさせ、「ヨナ書」の本質的内容を示唆しえたはずである。澄生は、「ヨナ書」を纏めるのにやや急であったのではないか。
『にかのる王傳』と『雪のさんたまりや』では、物語の主人公の名が、キリシタン文化や文学的なキリシタン趣味を擬古的に反映させるかのように平仮名で表記されている。この点でも『ヨナ物語』とは異なる。
とは言え「ヨナ書」は、一面において、神に不満や怒りを示す預言者ヨナの独特な性格を表しているものであるから、澄生にとって、「父と子の関係」からしても、大変興味深い内容のものであったろうと想像される。それゆえ、澄生が『ヨナ物語』を制作したこと自体には、大変意義深いものが感じられる。
(四)なお、小論の主旨と直接関係ないが「ナタルの前夜」におけるローマ字は次のように読める。「ガラサみちみちたもふマリアに御礼をなし奉る。御あるじ御身とともにまします。女人の中にをひてわきてご果報いみじきなり。」
しかし、イエスが神から見放されていないように、ヴァン・ダイクのArtabanはもちろん、「にかのる王」もまたイエスから見捨てられたのではないだろう。少なくともそういう主題でないことは明らかである。33年も「にかのる王」が遅れてきたことは、むしろ主の意思に自ずと従っていたことの証であったに違いない。そして、澄生もまた55年間、「受け容れられない愛」を抱き続けてきた作家、一人の男であった。
わが恋を知り居る人は皆死して我ハ七十六才となる
わが恋人とあいてもお互いにわからざるべし五十五年へぬ
わが恋いし君も七十過ぎたらん我は七十六才となる
(以上「短歌」『川上澄生全集』第14巻)
「えり、えり、らま、さばくたに(わが神、わが神、なぜ私を見捨てたもうか)」という人の子イエスの悲痛な言葉には、澄生の多大な共感が込められていたのではなかろうか。先の短歌に見られるように、55年経っても、なお受け容れられなかった自分の愛の意義を改めて問うのが川上澄生である。そして、33年遅れて主のもとに到達したのが、「にかのる王」であり、彼が『にかのる王傳』を制作した時にも、「受け容れられない愛」を感じてから30年の歳月はとうに経ていたのである。
〔補説〕
(一)澄生にとっての「受け容れられない愛」、これは異性への愛が主要なものであるが、必ずしもそれだけではない。少年に対する愛を示すような詩的断章(大正14年3月6日)も残されているし、何よりも大正4年に亡くなった母への愛、そして大正6年に再婚した父との関係も、澄生の「受け容れられない愛」を考察する上では重要であろう。
澄生は、大正6年のカナダ行きに際して、再婚した父親から言われた「嫌になったら帰って来い、嫌でなければ帰って来なくてもよい。まさか飢え死にはしないだろう」という言葉をわざわざ『履歴書』に書き残しているほどである。また、こうも『履歴書』に記している。「母は大正4年6月5日に死んだ。私は何もしないで毎日遊んでいた。父は何も云わなかった。」
特に母を亡くしてからの澄生にとっての「父の愛」という問題は、『にかのる王傳』にも新たに結びつく「父と子の関係」における彼の「受け容れられない愛」を改めて考察する上で、やや別個の興味深い問題を提起するものだろう。
(二)川上澄生の『雪のさんたまりや』(昭和36年)と新村出の『南蛮更紗』にある「雪のサンタマリヤ」との関係は、澄生の『にかのる王傳』とヴァン・ダイクのアルタバンの物語との関係とは異なっている。後者の関係は、本稿で見てきたように筋書きの根本部分がパラレルなものであるのに対して、前者の関係はそのようなものではない。一方、澄生がヴァン・ダイクを知っていたかどうかは今のところ明らかではないが、澄生が新村の著作から影響を受けたことはよく知られている事実である。
しかし、澄生の『雪のさんたまりや』と『にかのる王傳』は、いずれも『聖書』から直接取材した作品ではないから、伝統的なキリスト教的主題に類例を見出すことは難しい。だが、『にかのる王傳』は、ともかくも「三王礼拝」の変形譚として「もうひとりの賢人」という西洋に共通する原型が見出された。
澄生の『雪のさんたまりや』における蝶(変容した大天使)がマリアの口から入って処女懐胎させるというモティーフと、天における焦がれ死にした「呂そんのおう」とマリアとの結婚という結末は、キリスト教的な観点からは全く破天荒な内容であり、同時に想像力溢れたイメージとなっている部分であるが、これらは隠れキリシタン文書『天地始之事』に明らかに結びつくものである。正統的なキリスト教でなく、隠れキリシタンの伝承にこそ心動かされた澄生の姿勢がよく解る作品である。
(三)澄生の『ヨナ物語』は、『にかのる王傳』や『雪のさんたまりや』に比べれば、あまり重大な変更が加えられることなく、一つの典拠から取材された作品としてもよいものであろう。もちろん、『旧約聖書』の「ヨナ書」からである。
しかし、率直に言って『旧約』における「ヨナ書」の意味内容やその特質が、澄生による6場面だけで伝えられたかどうかには大いに疑問が残る。特に『ヨナ物語』の最終場面が「一夜にしてそのふくべ枯れヨナ神の御心を悟りてひれ伏すこと」としたのは、ふくべ(今日の訳では「とうごま」)が枯れたのを見て、ヨナが神の御心を直ちに悟ったわけではないので、神とニネベの国や民に対するヨナの複雑な心理状態や態度を単純化し過ぎているように見える。むしろ最終場面では、神に向かってヨナがとった不満な態度をそのまま表現して終わったほうが絵を読取る者に意外の感を起こさせ、「ヨナ書」の本質的内容を示唆しえたはずである。澄生は、「ヨナ書」を纏めるのにやや急であったのではないか。
『にかのる王傳』と『雪のさんたまりや』では、物語の主人公の名が、キリシタン文化や文学的なキリシタン趣味を擬古的に反映させるかのように平仮名で表記されている。この点でも『ヨナ物語』とは異なる。
とは言え「ヨナ書」は、一面において、神に不満や怒りを示す預言者ヨナの独特な性格を表しているものであるから、澄生にとって、「父と子の関係」からしても、大変興味深い内容のものであったろうと想像される。それゆえ、澄生が『ヨナ物語』を制作したこと自体には、大変意義深いものが感じられる。
(四)なお、小論の主旨と直接関係ないが「ナタルの前夜」におけるローマ字は次のように読める。「ガラサみちみちたもふマリアに御礼をなし奉る。御あるじ御身とともにまします。女人の中にをひてわきてご果報いみじきなり。」