田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

今年の夏も終わり・・田切駅大掃除

2010-09-06 21:12:00 | 飯田線の旅
 北海道・青森旅行シリーズが終わっていないが、実は先週夏の田切駅大掃除に行ってきた。だからといって中途半端に打ち切って新シリーズをはじめるのではなくて、この掃除旅行で感じたことを忘れないうちに書いておこうと思う。

 今年の夏はものすごく暑かった。ここ何年か田切の夏掃除は8月が過ぎて9月の第1週目の週末に行っている。そこで、掃除をして旅が終わると「夏が終わって秋になる」といった少し寂しい意じがあった。しかし今年は掃除が終わっても「夏がまだ続いてて秋になってない」気分だ。旅行の細かい行程はそのうち始める「田切夏掃除」シリーズで紹介するとして、田切駅下の現を紹介しつつ昔話をしよう。

 その昔、築堤上の無人駅の田切駅の階段を下りて、続く路地を下ると2軒の店があった。雑貨屋の小松屋と、酒屋の下村商店だ。10年以上前、僕らは駅を降りると小松屋で食材を仕入れ下村で缶ビールなどを買って、中田切川の川原まで歩いて行って遊んだものだった。僕らが飯田線に行き始める遥か以前、いわゆる旧型国電があった頃にも撮影に訪れる鉄道ファンは小松屋の世話になったはずだ。それが時代の流れで閉店して、旧店舗の建物も普通の住宅に建て変わった。下村さんは今でも店舗時代の建物がそのまま残っているが、看板の類はなくなった。


 路地から見上げる田切駅。駅自体に小さな変化はあるものの、ここ十年来この景色は変わらない。

 しかし今でも、下村商店・・という言い方も、店を閉めてるから正確ではないけど。・・・で、田切駅のスタンプを保管してもらっているので、田切に行ったら少し足を伸ばして店だった頃から変わらない入り口の引き戸を開けて声を掛けてみるといい。今回僕らも掃除が終わった後で、下村さんに挨拶するために伺った。下村のおばさんに会うのは久しぶりだったが、相変わらずお元気そうだった。予てより馴染みの僕はいろいろと話しをたのだが、小松屋のおばさんが亡くなったということを聞かされた。もう何年も前に体調をくずして入院していたのだが、今回改めて亡くなったという事実を聞いて、なんともやりきれない気分だった。かなりのお年だったこともあり何れはという思いはあったが、直面するとやはり重い。体調が回復したらまた店を開けたいとおっしゃっていたのだが。


 写真手前左が小松屋だった場所。右側にあった建物が解体され更地になっている。


 更地の状態。この路地を上がった先に旧田切駅があった。

 飯田線も僕が行き初めてからかなり変わった。田切のある北部だけでも、急行型車両だった快速みすずが消え、貨物列車が消え、列車本数自体が激減し、有人だった駅が無人化し、伊那谷駅弁がつぶれて駅蕎麦がなくなり・・・なくなっていく物だらけだが、今回は小松屋が完全に記憶の中だけのものになった。


 下村のおばさんが、「あ~るの景色もうちの前だけになっちゃったね」と寂しげにおっしゃったのが印象的だった。

 最近でも田切を訪れる人は結構多いようだ。そのうちの何人が下村商店の存在を知り、スタンプを押しに訪れているのだろう。つまり、何人がただ無人の駅とその周りを見て写真に撮るだけで帰ってしまうのだろうか。
 やはり、今年の夏も終わったのだ。