今を去ること40年以上前^^;、修学旅行で間違いなく来ているのですが、全くその記憶が無い身として、
今回の長崎旅行の目的4番目位に意識しておりました。
それにしても帰宅後、この記事をものしておりますが、
この時点で余の撮影写真の多さに困惑しております…
今回はスカイロードで上の方に上がって、後は下り(冒頭写真はその到着時、第2ゲートの様子)でしたが、
実際には下のメインの入り口から入って、エスカレーター⇒下り歩き、で一通り回れるようになっているんですね
この”旧グラバー邸宅”は園内ではずっと下の方。
要は最初の人はそんなに坂を上がらなくて良いところに住み、
後の方々は煙同様上に上がっていった、というところでしょう。
さあ、後は上のパンフもクリックして詳細確認頂きつつ、写真を貼り付けていきます^^;
この辺がグラバー園上部から港を見下ろした、「展望広場」。
こんな景色を明治期の彼らも見ていた、ということで…
「歴史の泉」とか「祈りの泉」とかネーミングは微妙ですが、
これが明治初期からあったとすれば、後背地の山頂までそんなに標高差が無いので、
どうやってこの噴水をサポートする高低差と、その高みで水を得ていたか、しみじみ不明でした…
建物は「旧ウォーカー住宅」。
高台で気持ちのいい建物でしたが、不思議だったのが台所とバスルームが建物内に見られなかったこと??
ここは「旧長崎地方裁判所長官舎」、今ではレトロな西洋風衣装が着られるサービスがここで得られます。
この日は平日でオープンしていませんでした。
左の像は「三浦環」さん、日本初、国際的人気を博したオペラ歌手で、「蝶々さん」は十八番だったとか。
当然にプッチーニとも会っている訳で、彼にも三浦さんは絶賛されたとか。
”ある晴れた日に~~”ですね。
ここ大きいのですが、リンガーさんはグラバー商会で働いた後、自身の商会を開いたのだとか。
日本初の西洋料理屋、ってまあ納得ではあるのですが、
この雰囲気は修学旅行時にも感じたような…
園内でそこそこ低いところだったのが今回の印象。
3枚目、大浦天主堂が写っているのお気付きですか?
最後はこの時入港(朝9時)したイギリス船籍のクルーザー、11万トンクラス。
こういった様子をグラバーさんも見ていたのでしょう。
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