田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

この一年(喪主の挨拶)

2014-12-21 16:12:20 | ヒゲの毒舌
さてさて、困ったのが、喪主・ヒゲの挨拶。
斎場から、たくさんのサンプルをもらったが、余りに時代がかった古い言い回しが多く、
舌を噛みそうだ。 「 痛っ! 」
しょうがない、自力で書こうと、iPadにメモり始めた。
焼酎を飲みながら ・・・ (笑)
義弟の時みたいに、お涙ちょうだい風にするベキか?

iPadの整理も兼、一年を振り返り、ここにも残しておこう。

本日は、お足元悪い中、ご弔問頂き、ありがとうございます。
ご存知のように、父より早く体調を悪くし、今も、やっと肺炎から治ったばかりの私です。
長く息が続きませんので、妻に代読させます。 お許しください。

戦後、満州から引き上げてきた父。
母・トモエと所帯を持ち、新市街で商売を始めました。
商売を拡大するには勉強が必要との思いで、母を残し東京へ修行に出ます。
そこで学んだスパゲティーで稼ぎ、従業員や私らを、阿久根・大島にロング・キャンプに
連れて行けるまでになります。

次の店も開店できるようになり、此処では五十円カレーで有名になります。
しかし、汗した割りには儲からないと、私にこぼしていました。
それで、和食に切り替えたのでした。
時代を読み、スナック・クラブ・和食・焼き肉と拡大して行きます。
二代目となる私達が働き始めて、ビル建設の話が持ち上がります。
そうして、親父が商売を始めた最初の場所に出来たのが、田園ビルです。

時が過ぎ、今度はビルの買収話が持ちあがり、これに乗ったのでした。
父は、 「 我が人生に悔いはなし 」 と、悠々自適の一人暮らしを満喫してたのですが、
部屋での転倒を機に入院する事に。
元来、自由気ままに生きた人でしたから、病院暮らしは気に入らなかったのでしょう。
延命治療を拒否しながらも、最後まで気丈に過ごしました。
最後の晩酌は、ヒラメの刺身にビールと日本酒を、あけみと楽しみました。
充分に、満足した人生だったと思います。
「 酒と肴んなか通夜は、いかんばい。 」 と言って、賑やかに母を送った父です。
今日は、皆さんと酒を酌み交わしながら、父を送りたいと思います。
どうぞ、お付き合いくださいませ。
簡単ではございますが、御挨拶とさせて頂きます。
         ~~~ お通夜での挨拶 ~~~  

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