こんにちは、小野派一刀流免許皆伝小平次です
小平次は、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます
タクシードライバーをやっていますと、常に違反や事故と隣り合わせです
もちろん、無事故無違反、その上稼ぐ、そんな人もいますが、多くは違反で捕まった経験があると思います
特に小平次がやっていた時代、1日50,000円稼ぐ、まあまあ大変で、駐停車禁止の交差点で客待ちするとか、みなギリギリのところでやっていましたから、点数はいつもギリギリ、免停くらって乗務できず、仲間の車の洗車でお金稼ぐみたいな人もいました
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タクシードライバーが稼ぐためには、ただやみくもに走っていてはだめなのだ。それなりに頭も使う。走るコース、天候や電車の運行状況、大きなイベントの情報、そういったものを考えながら時には交差点付近やデパートの出入り口、病院、ホテルなどで付け待ちをするなど工夫が必要なのだ。
新宿、六本木、渋谷あたりには平日の深夜でも多くの人がいて狙い目なのだが、おれはそういう繁華街が好きではなかったので、銀座の乗禁時間(22時から1時まで特定の乗り場でしか乗車できない)が終わると、クラブ街に突入したり、五反田の色町の外で待機したりが多かった。
昼間の時間帯でも、おれはよく銀座三越の新館、本館の間の路地の出口、晴海通りに他の車と並んで付けることが良くあったが、ここは基本的に駐停車禁止だ、時折悪名高い築地警察が取り締まりに来る。
いつものように三越横に付け、おれの車が路地で先頭になる、路地から出て来た男が後部ドアの前に立つ、おれはドアを開け、『お待ちどおさまでした』とドアを開ける、男が座席に座ったのを確認し、『ドアを閉めてよろしいですか?』とドアを閉める、すると、男がおもむろに上着を脱ぐ、上着の下は。。。、見慣れた警察の交通課の連中が良く着ているアレを着ている。。。
『築地警察です。ここは駐停車禁止、ご存知ですね。』
やられた。。違反には違いないので逆らえない。
タクシーの仕事は天職かもしれない、そう思ったこともあった。ある先輩が言った。
『タクシードライバーは孤独との戦いだ』
そうかもしれない。一日中車に乗り、会話はわずかに客と交わすのと、同じ出番の仲間に電話をして状況を聞いたりするくらいだ。そう、殆ど一人で何も話さず運転をしたり、停車して客待ちしたり、孤独だ。深夜になるとその孤独感は特に強くなる。深夜ラジオを聴いていると、なぜかより孤独感が強くなる、だが、おれはわりとこの孤独が好きだった。一般の仕事のように、絶えず誰かの目を気にすることもない、関わりも持たない、自分のペースで、自分の走りたいように、自由に仕事ができる、素晴らしい仕事だと思っていた。
だが、その気持ちとは裏腹に、おれには致命的な欠陥があった。集中力が著しく低いのだ。そのことは前から気付いていたし、改善のための努力も少しはしていたが、あまり効果がなかった。集中力の低さは、事故にも直結するし違反にも繋がる、おれは実のところ、4年半のドライバー生活の中で、三度も免停になっているのだ。最後に免停になった時、運転禁止の期間が90日だかになり、講習を受けても二カ月仕事ができない状態、やむなく辞める他なくなったのだ。その日の出来事はまたいずれ日記に書く。
ある日のこと、おれは慣れた日本橋付近の路地を走っていた。左側、小柄なおばあ様が手を上げる。
『どちらまでですか?』
『東京駅の八重洲口までお願いします』
『かしこまりました』
おれはドアを閉め、ルートの確認後走り出す。おばあ様を乗せた路地から大通りに出る、ここは複雑な交差点だ、大通りを左右、直進の他、左斜めにもう一本道がある、東京駅には、その左斜めの道を行くのが最短だ、信号が変わり、おれはその道へ進む。
しかし! 曲がったとたん、電柱の陰にいた警察官二人に呼び止められる、何が起きたのかわからないおれは、ひとまず停車し窓をあける。
『運転手さん、今の路地からのこっちの道への左折は、夜20時から翌朝8時までの時間帯以外は禁止です』
『えっ!』
『どこまでお客さん乗せていくの、え? 東京駅? そうしたらお客さん降ろしたらここに戻ってきて、免許証も、車のナンバーも控えましたから、必ず戻ってね』
東京の道はこんな場所がよくある、おれはこの辺りは昼間は大通りを中心に走っていおり、夜は普通に左斜めに左折していたものだから、標識など気づかなかったのだ。
あああ、なんてことだ… これで減点されたら免停だ、今度は30日では済まない、あああ。。
おれは、虚ろな気分になりながら、おばあ様を八重洲口で降ろし、違反現場に戻った。
あれこれ考えを巡らせる、今回違反切符切られたら免停だ、しかも期間は90日だったはずだ、講習受けて30日短縮されても無給状態だ、没落から立ち直ってきたと言っても、二カ月無給はさすがにしんどいことだ。
『あの…、今回違反で減点されたら、私、免停なんです、しかも90日、車に乗れなければ家族が路頭に迷います、何とか見逃して頂けませんか…』
おれはできる限り低姿勢に、かつ、哀れに見えるように演技をしながらそう言った。これまで違反の取り締まりに会って、警察とケンカしたことも何度かある、だが、タクシー会社の看板しょって抵抗すると、会社に連絡をされてしまう、無抵抗のほかないのだ。
そもそも、何で隠れて取り締まるんだ? あの場所での違反が多いから。何で違反が多いんだ? 他の場所に比べ標識が分かりにくいから。本当に事故を無くしたいのであれば、もっとわかりやすくする、という発想にはならないのか? そう、言いたいことはあるのだが、ここは抑えた。
『見逃す? それは無理、そもそもそんなに免停になっているのはあんたが悪いんでしょ?』
『そうなんですが、でも、家族が、お願いします!』
『ダメダメ、無理、早くここに記入して!』
おれは暫く懇願を続けたが、警官二人の様子から、これ以上は無理だと判断した。こうなればイチかバチかだ!恥も外聞もない!!
おれは突然その場にしゃがみ込み、それなりの人通りの中、頭を押さえて下を向き、わなわなと振るえ出して見せた。
『うううう! うううう! もうダメだ、もうダメだ!ダメだ!ダメだ! 終わりだ! 終わりだ! うううう! うううう!』
しゃがんで頭を押さえて下を向いたまま、唸るような奇声を発しながら繰り返した。
『うううう! うううう! もうダメだ、もうダメだ!ダメだ!ダメだ! 終わりだ! 終わりだ! うううう! うううう!』
『こら!何してるの!! 立ちなさい ほら! 立ちなさい!』
警官がおれの腕を掴み、無理やり立たせようとするのを、振りほどきながらおれは続けた。
『うううう! うううう! もうダメだ、もうダメだ!ダメだ!ダメだ! 終わりだ! 終わりだ! うううう! うううう!』
『コラ!! 立ちなさい!!!』
そこでおれは、跳ね上がるように立ち上がり、直立不動の姿勢をとり、やや年配の方の警官の顔を見た。できる限り、クスリか何かでラリッたように、ハイテンションに見えるように大きく目を見開き言った。
『アナタのナマエはナンデスカ!!?』
『ああ? あんた何言ってるの!?』
『アナタのナマエはナンデスカ!!?』
『教える必要はない!!』
『アナタのナマエはナンデスカ!!? うううう! うううう!』
『アナタのナマエはナンデスカ!!? うううう! うううう!』
繰り返しているうち、年配の警官が、やや若い方の警官に後ろを向きながら耳打ちをした。
(来たか!? うまく行ったか!?)
『うううう! うううう!』
年配の警官が、唸り続けるおれの方を向いて言った。
『もう、行きなさい!』
『えっ!?』
『もういいから行きなさい!!』
(やった!!やったぞ! 哀れな男を演じきったぞ!)
『あ、ああ、ありがとうございます!!』
大声でそう言って、おれは急いで車に乗り、警官の気が変わらぬうちにその場を走り去った。
何とか切り抜けた。免停は免れた。
しかし! その数か月後、おれは深夜に違反をしてまた捕まった。同じ手は二度と通用しなかった。あえなくおれのタクシードライバー生活が終わることになる。そのことはいずれ日記の中で。
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ウソのようなお話ですが実話です。我ながらエンターティナーだな、と思うわけもわけもありません。しかしそれにしても、4年半で3度も免停って、仕事そのものはとても良かったのですが、根本的な所で向いていなかったのかもしれません。記事内でご紹介した悪名高い築地警察はぜひご覧ください。ホントならずいぶんひどい話です。