EL&P図書室3号

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ロバート・スティグウッドが死去していた事を見落とす

2016-02-22 11:52:44 | EL&Pを支えたアーティスト・プロデューサー等
ロバート・スティグウッドが死去していた事を見落とす

クリームとビージーズのマネージャーを担当していた方なのですが、
他界のニュースが出たのは、今年の1月5日だったようです。

当ブログでは、その方の名前をきちんと覚えていなかった事もあり、
アトミック・ルースターの国内CD盤のところで、
その仕事に関しては少し触れた事があります。

ニュースが出た当時、
まだ正月休みという事もあり、
ネットも見ていなかったので、
正月明けの職場はあわただしくもあったので、
見落としていました。

たまたまクリームのスタジオ盤のCDの4枚組ボックスがリリースされるというニュースを見ていたら、関連記事の中から見つけました。

この方の他界に関しては、
英国ロックの60年代から70年代に関して、造詣の深い方々によって、
幾つかのブログが綴られていました。

読んでみると、
仕事はかなり出来るけど、周囲の人間には煙たがられるタイプの方だったようですね。
いわゆる「辣腕」を振るうタイプという事なのでしょう。

「イヌイットにも冷蔵庫を売りつけることが出来るようなしたたかさがあった。」

との記述もありました。

営業に関する80年代のハウツー本の中で、
「エスキモーに氷を売る」熱意とテクニックみたいな事を謳っていたのを読んだ事がありますが、
それを体現しているような方だったのでしょう。

アトミック・ルースターのメジャーデビューは、1970年、ロバート・スティグウッドのバック・アップによりB&Cレコードと契約によって果たされたとウィキにはありますが、
さらなる富を生むものであれば、バック・アップしたバンドのメンバーを引き抜く事もやぶさかではなかったと思われます。

また、一時的には成功しても、継続的な成功を維持存続させる事ができるかまでは、
あまり気にしていないのかも知れません。

いずれにしましても、
キースとグレッグは、カールの存在をロバート・スティグウッドから知らされたと思われます。
この方がいなければ、エマーソン、レイク&パーマーというバンドは誕生していなかったかも知れませんね。

81歳との事。

遅まきながら、ご冥福をお祈りいたします。

以上。

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