EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

ジョン・ウェットンの他界

2017-02-01 09:06:29 | EL&Pを支えたアーティスト・プロデューサー等
ジョン・ウェットンの他界

私が、ジョン・ウェットンが参加しているアルバムを購入したのは、
いつだったかを思い起こしてみました。

高校時代の記憶として、
秋田市の駅ビルのような中に店舗があったレコードショップで、
キング・クリムゾンの「U・S・A」のアナログ米国盤を購入した事があります。

ちなみに、私はこのお店で、アトランティック米国盤の「タルカス」と、
同じくアトランティック米国盤「恐怖の頭脳改革」を購入したのですが、
いずれも、このブログでは取り上げ済みです。

どうして、この「U・S・A」を購入したのかは、
はっきりと覚えていないのですが、

「クリムゾン・キングの宮殿」とかは、プログレ学友が所持していたので、
何度も借りて聴いていたという事もあるでしょうし、
その「クリムゾン・キングの宮殿」の輸入盤を、このお店の在庫の中に、
見つける事ができなかったという事もあるような気がします。

また、
居住地の隣にある鹿角市の駅前にあるレコードショップで国内盤の「憂国の四士」を購入した事があります。

「憂国の四士」の方は、発売日ではなく、数日ぐらい経てからだったように思います。
(この辺りは記憶がハッキリしなくて、意外と当日であったかも知れません。)

この鹿角市のレコードショップでは、EL&Pのアルバムを求めるご縁はなかったのですが、中学時代にウイングスのアルバムを発売日と発売日前日に2タイトル購入していますね。

そのうち、
クラスのプログレ友人が、
いつの間にか「ジョン・ウェットン大好き人間」になっておりまして、
ジョン・ウェットンが参加しているアルバムをソロも含めて、
全て買い揃えていたように思います。
「デンジャー・マネー」や「ナイト・アフター・ナイト」は、
彼から借りて聴く事になりました。

ちなみに、私は生のジョン・ウェットンの演奏を聴いた事は、
一度もないように思います。
エイジアにまつわる話は、
カールのカテゴリーで折りに触れて綴っておりますので、
改めて書くような知識もありませんが、
EL&Pのトリビュートアルバムにも名を連ねて下さっております。

EL&Pとは、とてもご縁のあるお方でした。

先月、グレッグが他界した折りに、
EL&Pファンの友人が、闘病中のジョン・ウェットンの事を、
とても心配なさっていたのですが、
まさか、グレッグ他界の翌月に、
逝去されるとは思ってもおりませんでした。

心からご冥福をお祈りいたします。

合掌。
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2 コメント

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Unknown (ELPファン)
2017-02-05 09:50:12
torioden様、ご無沙汰しております。グレッグの他界に続いて、ジョンの他界という、この流れに翻弄されております。多くのファン方々が同じような経験をしている事と思料します。

私は15年間粛々と仕事と子育を両立させる事に集中し、時々、古いレコードをターンテーブルに乗せてアイロンをかけたりする以外はロック音楽を聴く事もコンサートへ行く事もない生活をしていました。

2015年当初にイエスのクリス・スクワイアの夢を見ました。理由は非常に簡単で、数日前にイエスが毎年行っているクルーズ船に乗ってのコンサートに関する記事を新聞で読んだからでした。新しいビジネスモデルだなと思い、驚いた記憶があります。

夢の中でクリスはクルーズ豪華客船のバーに肘をついて、ワインのグラスを私に向けて乾杯のポーズを取っていました。ああ、クリス元気かな?って夢から覚めて思いました。結局その数か月後にクリスは亡くなりました。同時期にジョン・ウェットンとキースの夢も見る様になりました。キースとリック・ウェイクマンが私の会社で演奏するという夢までみました。

夢の中で、彼らに呼び戻されたので、慌ててこの世界に戻ってきたのです。でも、本当に呼び戻されて良かったです。ここが私の人生の全ての入り口だった訳ですから。

ジョンには会った事がありません。エイジア・イン・エイジアでジョンが来日していれば会っていたかと思います。でもそうであれば、私はグレッグに会えないまま、人生を終了していた事でしょう。グレッグに会えたという事実の代償として私はジョンに会えませんでした。昨年のイエスのコンサートでジョンとニアミスしました。ジョンへのプレゼントを持参した私に、ジェフ・ダウンズが残念だったね、でも、マネージャーに渡しておけば必ず届けてもらえるよ・・ってイエスとエイジアのマネージャーさんの紹介してくれました。

凄く近くて凄く遠かったジョン。安らかに・・
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Unknown (torioden)
2017-02-06 08:57:19
>ELPファン様

私は、独身時代が長くて、結婚後も子宝に恵まれなかった事もあり、
ELPだけはずっと追っている暇がありました。

ネット社会に触れるまでは、本当に情報量は少ないものでしたが、
日本の場合、キーボードマガジン誌がキースをずっと追い続けてくれていたので、情報の枯渇をせずに済みました。

夢というのは不思議で、
私は楽器を今のところ嗜まないのですが、
何年か前に、キースとグレッグと一緒にステージに立って演奏している夢を見ました。
カールがいたかまではハッキリ覚えていません。
これは楽しかったですね。

1983年にジョン・ウェットンが来なかった事は、
ELPファンには福音だったと思います。
ウェットンはU.K.で数年前に来日をしておりましたし、
結果として、日本のEL&Pファンにとっては、
70年代のEL&Pのグレッグの声に触れるラスト・チャンスといえましたから。
その意味でも、ELPファン様には感謝!

1983年時点でのエイジアファンは、
プログレファンだけではなく、一過性のポップスファンもいたと思いますが、プログレファンはグレッグの代打でも、そこそこ満足したと思います。
ウェットンが好きなファンは、その後も、日本にウェットンが来日していましたから、かなり満足できていたと思います。

アルファ完成後に脱退に追い込まれたウェットンの心中は、
私などが推し量れるものではありませんが、
生グレッグを鑑賞できる出会いを提供してくれました。

ジョン・ウェットンのあの世への旅立ちの際は、
アーク・エンジェルの導きが間違いなくあったと推定いたします。
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