晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

おばあさんの大怪我

2022-06-08 23:18:15 | 健康

今 夜の11時。目が覚めました。夕方 まだ陽が高いのに雨戸を閉めて床に就き 5時間も眠ったことになります。 これ以上眠れそうにもないので起きてPCに向かっています。

実は昨夕7時前 夕食の後片付けをしながら窓を見ると東の空が異様に赤く染まっています。夕焼けかしら? と思いつつ2階の窓から見ると 今までに見たことがない見事な虹がかかっているのです。色が鮮やかで手の届きそうな太い大きな虹です。 思わずスマホを手に外へ飛び出しました。少し前に降っていた雨が上がり アスファルトの道は濡れ 遠くの街は太陽に赤く照らされています。頭上の大きな虹の右脚が近くの家の裏に、鮮やかな弧を描いて左の脚元は 家々の向こう側に落ちてよく見えません。 全体を見たくて、スマホを握って東の方に向かいました。 「早く行かねば消えてしまう」 と 気ぜわしく住宅地の中の道を小走りに行きますが 次の通りに出ると又その向こうの家に隠されます。 10分近く走ると住宅地の向こうに広がる畑に 虹の脚が落ちているのが見えましたが全景は見えません。そばに小高いところに上がる石段があるのでそこへ上がろうとし、2.3段駆け上がると足がふらついて アッと思うと下のアスファルト道にたたきつけられました。痛たた! 私の左脚と両掌を思い切りぶつけたようです。 何とか立ち上がれました。 骨折はないようです。 やれやれ。 むこうずねから膝小僧まで4か所にわたって傷口が出来 両掌もズバッと皮がむけて血が出ています。つっかけてきたつぶれたような靴が悪いのでした。 虹は消えて 暗い空に戻っていました。山の斜面に出来た住宅地で とぼとぼと自宅に向かいましたが むこうずねからは血がほとばしりスエードの皮靴にぼたぼた血が落ちます。誰にも会わないことを願ってようやく自宅にたどり着き 傷の手当てをしました。 夜遅く、痛み止めのロキソニンを服用し床に就きました。 そして今朝目が覚めると 6か所の傷の内 むこうずねからはまたかなりの出血で ガーゼを取り換えると たちまちズボンが血で汚れます。  夕方になって 食事を終えるとやたらとしんどくなり 熱もあるようなので 又ロキソニンを飲んで床に就いたのです。珍しくぐっすり眠りました。

 あ、あ、あ。 相変わらずだなぁ。 

 

背景の山は金剛山です

写真はうまく撮れませんでしたが 体と共に地面にたたきつけられたスマホは 無事のようです。 あんなに間近な虹を見たのは初めてだったのでとても感動的でしたが 代償の怪我は治るまでしばらくかかりそうです。77歳のおばあさんの 相変わらず怪我の絶えない日々です。


大分よくなりました

2018-04-23 06:58:49 | 健康

急に右目が全く見えなくなって びっくりしました。 曼荼羅桜を見に行った次の日のことでした。 午前中は 前日の疲労が取れず 目の飛蚊症が多くなって見えにくいなぁ と思っていた矢先のことです。 午後になって 右目が全く見えないのに気づきました。光はわかるのですが 目に濁ったカーテンをかけられたようで 黒い墨流しのようなものが手で払っても払ってもウロウロしています。

車は運転できないので夕方を待ってご近所のご主人にかかりつけ医に連れていってもらい 血圧を測ると230という 今までに経験したことのない数値です。すぐに眼医者さんに。検査の結果 眼底で出血しているとのことです。 出血を止め、血管を強くするというお薬を処方してもらい一日様子を見ましたがほとんど改善は見られず、次の日紹介状を持って大学病院へ。 ここでもいろんな検査をして 同じような診断でしたが 「目の出血は 少しずつ体内に吸収されていくだろう」ということで どれだけ心が軽くなったことか。 また同じお薬をもらい 入院したつもりで自宅でじーっと安静にしていました。左目は 昔大病した後遺症で不自由ではあるものの いつも通り見えているので 食事を作ることが出来ました。お買い物は少しご近所に頼みましたが 冷蔵庫に沢山の食材があったのでそれらでしのぎました。 少しづつ右目のカーテンの濁りが薄くなってき 毎朝「今日はどれくらい見えるかなぁ」と自分で試してみるのですが 今まで見えなかった外の景色も少しずつはっきりしてきて希望が持てました。 そして1週間目に再受診しましたが かなり症状が改善されていて 「もう大丈夫だ」 とどれほどうれしかったことか。 今度は2週間後の受診を予約して帰宅。 かかりつけ医に血圧の薬を増やしていただいて かなり正常値に近くなりました。 

ご近所の方が「お互いさんだから」と 本当にお世話になりました。 病院への送迎、お買い物、そして時々顔をのぞかせてくださいます。山仲間、PC仲間もいろいろ案じてくれます。 それらがどれほどうれしく 心強く 感謝でいっぱいです。 この際 多くの方に甘えさせていただきました。 blogでご心配いただいた方にも感謝です。 本当にありがとうございます。  しばらくは謹慎中ですが 庭で励ましてくれた花たちと日々を過ごします。エビネ が満開になり セッコクも花をつけています。  

 

 

 

 


帯状疱疹に罹ったら・・・・・

2014-07-08 20:33:30 | 健康

「日本人で80才まで生きたら半数がかかると言われる帯状疱疹。高齢者に多く、70-80%は50才以上に発症する。誰もがなる可能性のある病気。皮膚の異常に気付いたら放置せず、早めにきっちり治療すれば多くの場合完治するが、放置したり、無理をしたりしてこじらすと激しい神経痛などの後遺症が残って、長年苦しむことにもなるので、早期発見・早期治療が必要である。帯状疱疹を疑ったら、一刻も早く皮膚科を受診したが良い」(ネット検索から)

帯状疱疹は 子供の時罹った水疱瘡(みずぼうそう)のウイルスが 水疱瘡が治っても神経節に潜み、 何十年もたって体力が落ちたり、 免疫力が落ちたときにまた増殖して、表面に出てきて湿疹・水泡を作るのだ。一度かかると 再発はしないと思っていたが 体力が衰えたとき 何度も繰り返すこともあるようだ。

家人が 初めて帯状疱疹に罹ったのは7年前のこと。左胸、肩、腕に発疹・水泡・激痛に襲われ すぐかかりつけの総合病院に行ったが、院長は内服薬を処方してくれるだけで なかなか痛みは治まらなかった。今では詳しいことは覚えていないが、半年たっても一向に激痛がなくならず、そのことを何度も訴え続けてやっと麻酔科のあるK病院に紹介状を書いてくれた。K病院の麻酔科では 「来るのが遅すぎた」と言われた。 初めに行った病院は 他の病気を診てもらっているのでなかなか お医者さんを変えることが出来なかったのだ。 「帯状疱疹後神経痛」に移行していて 完治は無理だとのこと。特に高齢で帯状疱疹に罹ったものは 後遺症の「神経痛」になる可能性が高いそうだ。毎週、神経ブロックの注射を2年ぐらい続けたが一向によくならず なかばあきらめて一度は治療をやめたが やはりつらくてまたK病院に通い続け、今年 入院して集中治療を受けたが さほど効果はなかった。

先週末、首の後ろ左半分から肩、背中にかけて、痛み、発疹、水泡まで出来 休み明けを待って K病院の麻酔科の先生のところに行くと、すぐ皮膚科に回され、すぐさま 「典型的な帯状疱疹」と診断された。 帯状疱疹の特徴は 左右どちらかに限って発疹するのだ。おまけに 左目まで赤く充血し眼球が腫れている。 即座に「入院して 抗ウイルス治療をしなければならないから」と そのまま 入院となってしまった。目までウイルスに侵されると失明の危険性さえある。

辛い日々が続く

帯状疱疹に罹ったら・・・・ 高齢者は帯状疱疹に罹りやすいので、くれぐれも初期の手当てをしっかりとしてもらわねばならないこと(抗ウイルス治療…点滴)を頭において過ごしたい。

 

 


「闘病打ち上げ」 の計画

2014-04-29 09:08:19 | 健康

今年早々に 乳癌がわかった。12年前に 市の乳がん検診で引っかかって病院で精密検査を受けていたが その時は石灰化(カルシウムの沈着)だろうということで 日が経った。 5年ほど前の2008年に このたび手術で摘出したところに白いものが確認されたので 半年ごとに精検を受けたが 特に変化はなかったので 面倒になって 2011年を最後に自分勝手の判断で検診を受けていなかった。 昨年末になり 右乳房から血の混じった分泌物が下着を汚すようになり 驚いて病院へ行ったら 以前1か所だった白い塊が、離れたところで1か所増えていて 生体検査で どちらの個所も癌の増殖が認められ すぐに手術となった。3年ほど検診をしなかったことが悔やまれたが 仕方がない。

病棟には 乳癌や大腸癌の手術と その後の抗がん剤治療などで入院している人が なんと多いことか。 しかし 手術を済ませた人の多くは 皆元気に過ごしておられ 「大丈夫!」と励まされた。 手術当日、手術台ですぐ眠りについて 気が付いたのは 一般病棟のベッドの上だった。 ほとんど痛みもなく あっけなく乳房全摘切除は修了し、なによりうれしかったのは リンパ節への転移がなかった ということだった。10日ほどで退院したが しんどいわけでもなく きつい痛みがあるわけでもなく、すぐにも外へ飛び出せそうな気持だった。

手術時に採取した細胞の センチネルリンパの生検でも 癌細胞はなく 再発予防は ホルモン治療で 毎朝お薬を飲み続けるだけでいいことになった。 わずか4か月前に 「取り返しのつかないことになった」 と思ったのがうそのような日々を過ごしている。 多くの家族・友人に心配と励ましを頂き 本当にありがとうございました。

もう大丈夫と 「闘病の打ちあげ旅行」 を連休明けに計画しました。 今年は 主人は80歳に 私は70歳になります。 目に見えて体力の衰えた夫と それなりに体力の落ちた私にとって 最後の遠出旅行になるだろうとおもいます。 仙台まで飛行機で行って そのあとはレンタカーで 4泊5日で 春の遅い東北地方を訪ねます。西和賀山塊にある沢内村(現在は西和賀町)は 早春の花が地を覆っていることでしょう。以前から行きたいところでした。そのあとも 岩手、秋田の温泉と山麓の春を楽しんできます。 それぞれの手配・予約を済ませたので あとは、たまった決算事務に専心します。(これが大変です)

 

今日のニュースで ピーチの安全性がちょっと心配になってきました。今までに2度旅行に使って 特に不満はなかったんですが、最近あまりいいニュースは聞かないですね。大丈夫かな?


癌と闘う-8  4/11外来の日

2014-04-11 20:06:40 | 健康

今日は手術の日から2か月、外来で病院へ。今の私は お薬の副作用は全くなく、手術前の気持ちとほとんど変わりない日常生活になったが 今気にかかることのひとつは 右乳房を全摘しているので扁平な右半分と 大きい左乳房とがアシンメトリー(非左右対称)であるのは仕方がないが その扁平な胸の横一文字の傷口の縫い目の脇の近くが 小山のように肉が盛り上がっている。「なんじゃ、これは?」  もうひとつ 右腕の肘から上部が腫れてはいないと思うがいつもしびれたようで痛い。そのことを 今日 Ti医師の代診の先生に話すと 今日の年配のU先生は 「少しずつ良くなっていくでしょうから心配はない。痛い腕は下から上に向かってマッサージをするように。あなたはとても早く回復している。」 と。 本当? ほんとうだよね。 気長に待つことにしよう。 今日は 今の状態を把握するために血液検査の採血をし お薬をもらって帰宅した。

闘病記は 最初 『癌』 と診断された時は 「これからは大変な闘病になる」と思ったので記録しておこうと思ったが 最初の心配に反して 「これから 特に変わった状況が待っている」 とも思えないので 闘病記は今日を最後にしようと思う。

 

 


癌と闘う-7 4/6

2014-04-06 04:28:56 | 健康

今日は 卒業した高校の同窓総会がある。毎年 幹事をしてくれている方がお誘いくださるが 今まで行ったことがない。今年もメールで案内を頂いたが 闘病中の旨返信したら「お見舞いに行く」と言われ、これは困った・・・・元気になっているので それでは私のほうから出向く、と言うことで 卒業以来50年ぶりに母校を訪問することにした。 高校時代から山に行ったり、キャンプをしたりした仲間6人が揃うという。同窓会といえば 何を着ていこうかと考えるが、今回の病気で2㎏は痩せて なんと35年前、息子の小学校の入学式の時に買った服がピッタリになっているではないか。色も落ち着いたピンク系の春らしいワンピースで、これは同窓会にふさわしい と 嬉しくなる。

昨夜も 入院中に親しくなったSさんから電話。彼女は75歳だが とても明るいおしゃれな人だ。 同じ乳癌で摘出手術を受けられたが、リンパ節への転移があったので 退院後はしばらく抗がん剤をすることになり 初めての抗がん剤は入院して受けるということでお見舞いに行った。高齢なので 抗がん剤も若い人(50歳で同じに入院していたNさんの抗がん剤治療)よりずーっと少ない量だそうですが 最初の抗がん剤後は 白血球が少なくなって その手当に病院通いが多いようだ。そのことを思えば わたくしは抗がん剤はせずに済み、今 副作用も全く感じられないホルモン剤を1日1錠飲むだけでいいのは どんなにありがたいことか。

手術の傷口はひどいもので とても温泉などに行く気はしないが おまけに脇の近くで小山のような肉の盛り上がりが出来 それが腕に当たって気になるので かかりつけ医のM先生に話すと 「美容面から手術で治してもらったらいいよ」と言われ、今週の金曜日に外来で病院に行くので話してみようかと思う。 が 電話をくれたSさんの話によると 執刀してくださったT先生がいまだに職場に復帰できないそうで 乳腺外科は日替わりで外から先生に来てもらっているようだ。手術などしてもらえる状況ではなさそうだ。 ちなみに 病院の乳腺外科は 初診の人はお断りされて、今までの患者さんだけをフォローしているとのこと。 Sさんも 「T先生のおられるときに診てもらえたのは幸運だったね」 と。


癌と闘う-6 3/7

2014-02-25 19:03:59 | 健康

退院して 今日で2週間。手術の傷口が、ずーっと疼くように痛い。 そっと触ってみると そこが腫れて山のように膨らんでいる。 血腫が出来ているからだろうか? ともかく、今日は退院後初めての外来の日だ。  この間、いろんな本を読み、ネットで乳癌についていろいろ調べてみた。「癌と闘うな」を書いた近藤誠医師の本はもう十年以上前の本なので その間の目覚ましい医学の進歩で 現状にはあまり適格ではない記述も多いように思うが 、それでも 病院の医師の指示をそのまま受け入れるのではなく、本当にその治療方法がいいのか考えることの大事さを認識することが出来た。 又、たまたま聞いた「ラジオ朝いちばん」で 北海道大学病院乳腺外科の山下啓子医師の話は 「乳癌は手術後の治療方法というのがとても大切で、ホルモン治療、化学治療(抗癌剤)、等があり それぞれその人に合った治療を選択して行う」 と話していた。(リンクを参照)

今日外来で(執刀医は過労で入院されて、代理の先生と面談) 私の手術の時に採ったセンチネルリンパの生検結果は  ホルモン治療が効果のある 術後の再発を防ぐもっとも有効な方法で、 それをすぐに始めるのがいいこと、 これは最低でも5年間薬を飲み続ける必要があることを話され、それを受け入れるより他はなかった。  少なくとも、抗がん剤をする必要がないのは、乳癌の中でもまだラッキーのほうだと言われ、「不幸中の幸い」と思えた。 傷の痛みは「仕方がない」と片づけられてしまった。 日の経過とともに痛みが減っていきますように。 そんなわけで これからの長いホルモン治療が始まることになり さっそく処方箋をもって薬局で薬を買って飲むことになった。 この薬は、副作用もほとんどないようで、気長に癌と付き合う生活をすることにしよう。 


癌と闘う-5 2/21

2014-02-21 15:41:21 | 健康

ご心配を頂いた皆様へ

今日退院してきました。「癌」と聞いただけで、恐れおののいていましたが、手術も終え、とても元気で帰宅しました。手術したときの迅速検査では リンパ節への転移は見られなかった とのことで 何よりうれしいことでした。  病室では 一足先に手術を受けた幾人ものひとが とても元気にしておられ、皆から「心配ないから・・・」と励まされ、とても心強く思いました。まだ 詳しい生体検査の結果は先になりますが、その結果によって今後の治療方法を決めるそうです。しばらくは その治療を続けることになるかもしれませんが いずれ、元の生活に戻れるような確信が芽生えています。とりあえず、ご心配いただいた方々に、blogを通じてご報告いたします。


癌と闘う-3 1/29

2014-01-29 06:05:50 | 健康

今日は1週間ぶりに家人と一緒に病院に行って 手術をお願いしようと思っていたが 緊張して診察室に入ると さっそく手術の日を告げられた。もう 「10日手術」と決まっていた。 手術が立て込んでいるので 前回通院したすぐそのあとに 手術予定を確保してくださったそうだ。 ももさんが 診察前に病院に励ましに来てくれていた。以前に乳癌の手術を経験している彼女から 「癌がなんじゃ!」 と元気な励まし。ありがとう。 先生と面談後 支援センターで入院に際していろんな説明を受け 数々の検査を受けて 帰宅は遅くなった。明日もCT検査を受けに行く。入院まであと10日。しなければならないことが山ほどある。ひとつずつクリアーしていこう。


癌と闘う-2 1/26

2014-01-26 22:08:46 | 健康

まだ入院や手術の日程は決まっていないが それまでにしなければならないことが山ほどある。

まず 「癌」がわかる前に約束したお嫁さん及びお嫁さんのお母さんのラウンドマフラーを作り、3歳の孫のズボンを作り上げた。

 

次に、今まで持ったことがない携帯電話を 入院中、主人との連絡用に購入することにした。この際 ガラケーじゃなくてスマホにしようと思う。これを購入にするのに 何とか安い費用で準備しようと あちこちのお店を回って勉強した。近々 購入するつもりだ。 そして、起業から29年になる会社の経理関係の仕事を済まさねばならない。 もう高齢でほとんど仕事はしていないが それでも会社が存続している以上しないわけにはゆかない。 今月末が期限の税務署関係の書類、2月の個人の確定申告、3月末の決算と 普段サボっていた仕事がのっぴきならずに迫っている。あと 家人への家事教育。これは大変だ。大体何をどこにしまっているかほとんど教えていないし 料理はといえば 唯一おうどんが作れるだけだから、コメの測り方(無洗米と普通米の違い)味噌汁の作り方から 3食の食事作りを教えねばならない。ごみの出し方 買い物の仕方、洗濯の仕方と 短期間ではとても覚えてもらえそうにない。病院に携帯電話がひっきりなしにかかることだろう。 あと 身の回りの整理は出来る範囲で少しでも片付けよう。 考えると 次から次から気がかりはあるが どれだけ時間があるかだ。元気なうちにと、写真館に行って家人と一緒の写真を写してきた。25年前に脳腫瘍の手術をして 後遺症の顔面麻痺でひきつったような笑顔にしかならないのは辛いが仕方がない。

今日は息子たちが来てくれた。孫たちの元気な可愛い姿に慰められる。


コレステロール値

2014-01-22 17:00:22 | 健康

健康管理目的で 毎朝ウオーキングを秋から3か月続けて、今寒さのために休んでいるが 先日の国民健保の基本健診の血液検査で LDLコレステロール値が「180」もあった。昨年初から飲んでいた薬を休止して ウオーキングで改善していないかと期待していたが この期待も無残に打ち砕かれた。体質によるものだろう。気の重い終日だ。


癌と闘うー 1 (1/22)

2014-01-22 13:41:18 | 健康

昨秋から 夜トイレに立った時に たびたび、パジャマのお乳のあたりが冷たく、何か濡れているような感じがした。手で触ってみるが ほんのわずかな水が感じられ 不思議に思っていた。年末になって 下着に茶色い染みがついていたので これはおかしい とかかりつけ医に話し、すぐ紹介状を持って 年末最終日にO病院で受診した。昨日、年初に乳房のしこりの生検を受けたその結果を聞きに行ったのだが、生検の細胞検査後に病理検査もして 2箇所のしこりいずれにも 癌が増殖していることがわかり 担当のT先生も驚いたそうだ。片方の乳房の離れたところに2か所あり 乳房をすべて切除しなければならないことを説明された。 うぅーん・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 絶句するしかなかった。・・・・・・・・・・・

どうしますか? と聞かれても・・・・  「手術するしかない」といわれ セカンドオピニオンや 近藤誠氏の 『「がんもどきは何もしなくていい。本当の癌は手術をしたら増殖を早めるから治療は無意味」論』の話もしましたが 一度帰って家人に話し かかりつけ医のM先生とも相談して来週再訪することにして帰宅しました。今までにも O病院で何度も乳癌の精密検査を受けていて マンモグラフィーとエコーで右乳房にしろい塊があり 半年ごとに経過観察をしていたが あまり変化はみられず そのうち、まあいいかぁ と最近はしばらく検診をサボっていたのが悪かったのか? 新たに 新しい塊がひとつ増えて映っている。

夕刻 息子から電話があった。お嫁さんに、今日検査結果が出ることを言っていたので 心配してくれていたのだ。すこしして、お嫁さんからも電話があり 電話を取るなり 彼女の涙声が聞こえてきた。こんなに悲しんでくれる嫁がいたことがうれしくて こちらまで涙があふれてきた。ありがたいと思った。

22日 

さっそく 家人と一緒にかかりつけ医M先生を訪問。「あなたはどうしたいですか?」と聞かれたが M先生は「手術はしてちょうだい」と頼むように言われ 手術は覚悟したが 今検査をしてもらったO病院がいいのか、別の大きなK病院がいいのか思案したが かかりつけ医のM先生はT先生をご存じで「今の担当医のT先生は信頼できる」といわれ もう迷わず いまの病院でお世話になろうと思う。 M先生は 『T先生に僕(M先生)からもよろしくお願いしますと言っていた」と伝えてください』とおっしゃってくださった。また、「決して民間療法などに気を取られないでこれからの治療に専念してください。」とも言われた。 先生の温かさを感じ「これからも 相談に乗ってください」と依頼して医院を後にした。

しなければならないことが 次から次から 脳裏に浮かぶ。ひとつづつ 片付けていこう。

闘病の記録を 後日のために残しておこうかと思い 差し障りのない範囲でブログに書いてみようと思う。いつまで書き続けられるかわからないが。

 

 


健康管理

2013-10-13 04:46:44 | 健康

私は 子供のときは大病を繰り返したが 中学生になった頃から「病抜け」をしたように元気になった。
以降 健康には自信があったのに 45歳で脳腫瘍の摘出という思いがけないことがあった。
更年期頃から 血圧が高くなった。以来ずーっと降圧薬を服用しているが コレステロール値も高くなり 年初めにはこちらの薬も処方された。あまり薬は飲みたくないのになぁ・・・・
そこで一発奮起して 近所の友人の毎朝Walkingに仲間入りさせてもらって約1ヶ月。
コレステロール薬を停止して「walking」で 数値を改善しようとがんばっている。
昨日は 月に一度の かかりつけ医の受診日でした。
もちろん お医者さんまでも坂道を下り上り、walkingで20分。
血圧は129/87・・・・・まあ、いい感じ。 
身長測るの~?・・・・・思い切り背を伸ばし少しでも高くなるようにあごを引いて・・・159.5cm。1㎝強は縮んでいるね。
体重も?・・・・うん まあ良好。もうちょっと減ったらな。

結果がまずまずで、帰路は気持ちも軽く、道端に銀杏が落ちていたので ちょっと拾いたいけれど入れる袋はなく
エーイ! 薬を手提げにぶちまけて、薬袋に拾いました。
家に帰るなり 早速手袋をしてちょっとくさいけれど実を取り出し ヒスイ色の美しい実をいただきました。
おいしかった!