最近 市は 奥河内 といった名前で 町おこしに熱心ですね。この前 キックス1Fで楽しい催しがありましたよ。偶然行き合わせて 楽しんできました。いろいろ プレゼントもありました。
他に リンクの方法として http://www.kankou-kawachinagano.jp/okukawachi/index.html としてもいいですが・・・・
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常用していたデスクトップ型の PC(windowsXP)が壊れた。 使っている最中 「バキッ」と音がしてモニターが真っ暗になり 二度と電源が入ることはなかった。長年、ほとんど毎日休まず使っていたので いつかこんなことになるかもしれないと覚悟はしていて データのバックアップはとっていたので 慌てはしなかったが いざ 突然壊れてしまうと なんと勝手の悪いことか。今年初め「VISTA」が壊れた。それに代わるものとしてWindows8 を購入したが なかなかこれが使い慣れない。今までのWindowsとはすっかり様変わりして 戸惑うことばかりだ。
思えば 我が家にPCが入ってきたのは 平成元年。もう25年になる。家人が脱サラをしたのが1985年(昭和60年)。最初は何もかも手書きでしていたが いつまでも手書きの図面や見積書は通用しなくなってきたので 知り合いに教えてもらいながら パソコ(NEC9801RX)を導入したのは1990年。仕事も忙しく毎日深夜まで仕事をしている家人を見かねて 何か少しでも手伝えたら、と 私は 1994年、市の商工会の主催だったと思うが 10日間 合計20時間の夜間のパソコン教室に通った。 私が脳腫瘍摘出手術の4年後 後遺症での顔面麻痺は治らないまでも すこし気持ちが落ち着いて来た頃だった。
そこで習ったPCは Ms-Windows を使って 表計算ソフト「Lotus1-2-3」 というものだった。パソコンなど触ったこともなく「マウス」なるものを見るのも初めてだった。 わかりやすい講師とテキストのおかげで とても楽しい時間だった。 ところが 自宅に戻るとあるのは「NEC9801RX」という勝手のまったく違うパソコンで 手も足も出ず 長らくパソコンを触ることはなかった。
長男が大学生の1993年ごろ 意匠工学科にいたので アップル社のマックを購入した。私は今でも マックを使えないが そのころそのマックで年賀状の作成の仕方を教えてもらった。今思えば意味も分からず 言われたままにPCを触っていたので 応用力もなく 教えるほうは大変だっただろう。それでも 辛抱強く教えてくれた。しかし 息子も家ではほとんどPCを使わないまま お払い箱になった。確か40万円ぐらいした高い買い物だった。
次男が山梨県の大学にいたとき Windows95 が発売され Windowsが大ブームになった。彼もそれを購入して使っていたのだが 1999年 就職で宮崎へ行くのを機に ブラウン管の大きなPCは邪魔なので 新しくノート型のPCに買換えることにし お古を譲り受けた。ここでやっと 私は以前に習ったwindowsパソコンを使えることになった。このころすでにWindows98 が出ていたが わたくしが習ったのは古い時代のWindowsだったので そのまま違和感なく「95」が使えたが 仕事には家人が相変わらずNEC9801を使っていたので わたくしがタッチすることはなかった。
2001年3月 大阪府教育委員会主催のパソコン講習会3日間に参加した。そのころWindowsが一般家庭にもだいぶん浸透して どこの自治体も「IT講習」と言ってパソコンの啓蒙活動が盛んだった。インターネットがだいぶん普及してきたころだ。その時 私は50歳なかば。インターネットというものを使いこなせるかどうか? 「50代の今なら何とかできるかもしれない」との思いからの参加だった。そして Win95でプロバイダー契約をした。「1か月4時間使用でいくら。」 というようなADSL契約だったと思う。少しメールなどができた、
NEC9801は私は使えないので 仕事用に「Win95」を使うようにし 9801は廃棄し 新たにWindowsXPを購入したのは2002年のことだった。私が習ったのは 「ロータス1-2-3」だったが この時、一般的になっていたエクセルを使えるように テキストを買ってきて勉強した。ロータスを習っていたので すぐエクセルも使えるようになった。が 文章作成もエクセルを使っていて ワードを使っていろんなことをすることは ほとんどできなかった。
2003年 市が「パソコン応援ボランティア養成セミナー」を開催する旨の記事が 広報に載り これに参加したらパソコンの勉強をできるかと すぐ応募した。ところが このセミナーは パソコンを教える人を養成する目的で 教える時の態度 や教え方 を学ぶものだった。でも、ここに参加した人は私と同じような思いで参加した人も多かったように思われる。セミナーが終了したとき 今習ったことを これからはボランティアで生かしてほしい という市の趣旨で ボランティアパソコンクラブ「キーパル」を自発的に発足させ、2年間各地の公民館などで 超初心者パソコン講座などを開催した。主にパソコンに熟達している人が メインインストラクターになり 私たちはサブインストラクターとして 初心者にパソコンを教えた。教える内容は 主にワードを使っての文書作成講座だった。 こんなことを繰り返すうちに、私は得意じゃなかったワードも初級、中級程度の知識をどんどん吸収していった。
この間に我が家では 次々と WindowsXP を購入していった。
いろんなことがあって 私は2006年 天見生きがいサロンのパソコン教室にサブインストラクターとして参加させてもらった。ここで2年間 受講生と一緒になって メインインストラクターの教える知識を吸収していった。2007年「VISTA」の発売で 「WindowsXP」の5年間の時代は終わった。私も必要性は特になかったが VISTAを購入した。それでも私は デスクトップ型のXPが使いやすかった。
2008年 希望されて 自宅でパソコン勉強会を始めた。最高の時では 7人の人が一緒になって勉強したが 今は最初からのメンバーも含めて4人の仲間と 週1回 勉強会を続けている。
WindowsXPのマイクロソフト社のサポートは 来年4月に終了する。それ以降は セキュリティーのアップデートもなくなるし 質問にも答えてもらえなくなる。何よりも古くて、能力も低く、 故障にも応じてもらえない。これらXPのPCとは決別の時が来たのだ。新しいWindows8 に慣れるしかないが 年々新しいことに挑戦する気力が失せている。いや、もう一頑張りしなければ。
昨日に続いて今日も快晴の行楽日和になった。
どこへ出かけようか? 紅葉を楽しみに 行ったことがない和泉市南部の「松尾寺」に行ってみることにした。
ここは和泉33ケ所観音霊場のお寺だそうである。わたくしは あまりお寺のことは分からないが 西国33番札所にある松尾寺(京都市) ではないようだ。隣の市なので なんとなく名前を聞いたことがあるような気がしていたが 今まで尋ねる機会がなかった。
カーナビにセットして 古い集落の中の細い道を行くと お寺の案内があった。
急な石段を上がると 古い山門があり(1705年に創建とのこと)山門の奥に見える紅葉がきれいに色づいている。山門の両側には 木像の仁王像が踏ん張っている。持国天 増長天 と書かれ 私にはその仏像の持つ意味を知らないが その古さに 歴史の重みを感じさせる。楼上には文殊菩薩が安置されているそうだ。合格祈願をする絵馬がそこいらにかけられていた。南北朝時代から室町時代に隆盛したお寺だそうで、境内には いくつもの古い建造物があるが 私にはそれぞれの意味がよくわからない。大阪府の重要文化財になっているようだ。
紅葉は 盛りをちょっと過ぎていたが 知らなかった歴史をちょっと垣間見ました。
前日17日の夕方は激しい雷鳴がとどろき驚いた。
昨日(18日)、今日は寒さが厳しく 冷たい雨が降ったり 止んだり 不安定な天気だ。
いよいよ時雨の季節のやってきたことを実感する。
昨日 買い物に出かけたら 北の空に虹がきれいな「弧」を描いていた。
たいてい建物などに邪魔されて 全容を見れることは珍しい。また カメラをとりに帰るうちに消えてしまったりする。
昨日はカメラを持っていたので、ラッキーだった。いいことがありそうな・・・・・(何にもなかったわ (ノ_・。) )
今日は久しぶりに 暖かい小春日和となった。
「こんな日は 出かけるに限る」 と 久しぶりに岩湧山へ行くことにする。
急坂の道を上がると 稜線近くの雑木林は やさしい彩りに染められ 足元には名も識別できない さまざまな落ち葉が山道を埋めている。
見るべき花はほとんどなく 山頂のススキも 大方 種が飛びたとうとしている。
ツルリンドウは 美しい赤紫の実が光っている。
そんな中で 冬イチゴが沢山実をつけていたので 面倒だが少しもらってきて イチゴジャムを作った。
少ししか出来ない希少なジャムの出来上がりです。
15日 夜中から降り出した雨は 朝方までしっかり降って 昼前には上がった。
午過ぎ 和歌山に柿を買いに車で出かけたら 雨上がりの山々から 雲が立ちのぼり 美しい日本画を見ているようだ。
河内長野市南部にある 真言宗の地蔵寺の前を通りかかったら 遠目にも 境内のもみじが燃えるように輝いているのが見える。たまたま通りがかったのだが あまりの美しさに ちょっと立ち寄った。
雨上がりの境内は かえでの葉を敷き詰め 赤や黄色のいじゅうたんが出来ていた。
私はどちらかといえば ブナやケヤキなどの黄葉になる樹木が好きだが これほどの美しいかえでの紅葉には めったにお目にかかれない。
尋ねる人もほとんどなく 静かなたたずまいの名刹である。
期せずして 見事な紅葉風景を満喫した。
河内長野市から寝屋川のほうへ伸びる外環状線(国道170号)のケヤキ並木は とても風情がある。
私はこの並木の秋の雰囲気が大好きだ。緑、黄色、オレンジ、茶色 の混ざり合った 渋いセピアの木立は ヨーロッパの町並みの絵を見ているようだ。
数日前から きれいになってきたなぁ と思っていたので カメラを持って出かけた。(14日)
期待通り素敵な風景が広がっていた。冬の前のほんの一時に見せる落ち着いた風景に 心やすらぐ。
(背景の山は岩湧山東峰です)
続け様に サツマイモをいただいた。
一種類は紫芋だ。
ケーキにしたらきれいだろうと思ったが 難しいことは面倒なので スイートポテトに仕上げた。
沢山出来たので 友人におすそ分けしよう。
残りは腐らさないように 暖かく新聞紙で巻いて 発泡スチールの箱に保存した。
しばらく サツマイモを 楽しませていただこう。
ありがとう!!
昨夜も 雨音に目が覚めた。
このところ雨が多い。そして一雨ごとに 秋が深まり行く。
桜は 雨にぬれた落ち葉がとてもきれいだ。
早朝ウォーキング途中、 庭に植えられたハナミズキの葉も 一気に赤が濃くなって 白い葉裏と葉表の赤が混じり合って道路に散り とてもきれいだったので カメラをもって出直したら 落ち葉はすっかり掃き清められて 一枚の葉っぱも残っていなかった。 わざわざ来たのに がっかり。 朝早くから 家の前の道路を掃き清められた 住まう人の人柄がしのばれる。
つややかな柿の葉もとてもきれい。 ストーブが恋しくなってきた。
昨夜来よく降ったが 朝には上がってお昼ごろには 時々明るい日差しも見えた。
ちょっとウォーキングを と思って出かけたら 30分ほどたった頃 ポツリポツリと雨粒が顔に当たった。
天気予報では 午後は晴れてくるということだったので 心配はしなかったのに あっという間に本降りになった。
傘はないので 仕方なく 雨宿りするところを探した。
住宅地のはずれの 山道だったが 近くに市の小さなグランドがあったので そこに逃げ込んだ。
最初は うっそうと茂る木の下まで雨は落ちてこなかったが 次第に強くなり たまたま開いていたグランドの中の小屋根の下で雨の止むのを待った。土砂降りの雨がグランドを叩き付けて 見る間に流れになっていった。
いつになったら止むのだろう。
周りは山の中で その山に霧がどんどん流れるが 頭上の黒雲は一向に通り過ぎる気配はなかった。
腰を下ろすところもなかったが 「止まない雨はないだろう」と グランドの水たまりに激しく輪を描く雨を見つめていた。30分ほどたつと 雨足は細くなり 心なしかあたりが明るくなってきた。
幸い帽子をかぶっていたので 首にかけていたカメラを首からセーターの中にいれ 高台にある自宅へ帰ることにした。
この夏 白馬方面に出かけたとき 標高2000メートルの山中で 「この調子だと険しい山道を明るいうちに山小屋まで行くのは無理」と判断して 野宿することを決断した。この時も雨と風が吹き がたがたと震えるなか「明けない夜はない」し「止まない雨もない」と夜明けを待った。
「明けない夜はない」 これからも 困難に出会ったとき この言葉を胸に希望を見つけて乗り越えていきたいと思う。
帰宅したら 家人は留守で 車もなかったが 玄関の鍵はあいていたので助かった。
さては どこかへ探しに出たなぁ・・・・と思ったが 行き先も告げずに出ているのに どこへ行ったんだろう?
しばらくすると タオルと毛布を手にして帰ってきた。
「止まない雨はないのだから」と一言。(すみません。)
今秋 念願だった白神山地を旅した。
世界自然遺産に登録されたのは 1993年のことだ。
なぜか「ブナの森」というのは憧れ的な思いがあるが 若い頃 北アルプスを歩いたときにもブナの森はあったのに それほどまでにブナに深い思いを寄せていなかったように思う。
たぶん 白神山地の登録が一気に「ブナの森」への思いを高めたのだろう。
立山の中腹 大山の山裾 白山の山裾 尾瀬などで大規模なブナの森を見て 胸が躍った。
以前から 和泉葛城山頂付近にあるぶなの森はよく知られていたが そこに行ってもそれほど感動した覚えはない。
金剛山によく登るようになって 山頂部にぶな林があるのを認識して 身近なところにある「ぶなの森]をうれしく思った。
テレビなどで ブナの森の自然の豊かさを知るにつけ ブナへの憧れはいっそう深まった。
滴る水 森に咲く花 森に住む動物や鳥、魚。山に生える山菜やきのこ。そんな中で森と一体になって過ごしたいと思った。
京都の芦生へ行ったとき そのみずみずしいブナの森、かぐわしい木々 その中に咲く花 山をオレンジ色に染める紅葉 豊かな沢に魅せられた。夢は膨らみ 秋田県の森吉山の深い森を歩いた。どれもこれも ほんのちょっぴりぶなの森に触れたに過ぎない程度だ。
今回は 「世界遺産の白神山地へ行く」と、どれほど胸ときめかせたことだろう。
ところが安い飛行機で仙台まで行ったものの 白神は遠い。現地で本当の森を歩くには 4泊5日の旅行など観光旅行でしかありえなかった。体力がなく、歩くにも時間がかかり過ぎることも大きい。
夢に描いていた白神なのに 二つ森の山は 山頂近くまで広い林道が整備され 見晴らしのいい明るい山だった。秋田県側は 過去に伐採目的で 県境付近までほとんどブナの森が切り倒され 遠くまで見渡す明るい道路になってしまっていた。
十二湖の森は ブナの原生林 カツラ トチ ミズナラ などなど 奥深いしっとりとした森だったが 森の中はずーっと遊歩道が整備されていて 原生林のイメージからは程遠かった。暗門の滝などは 滝までの道がほとんどコンクリートが敷かれ 観光地だった。白神ラインから見る白神はブナの森がずーっと広がっていたが 車を降りて森の中をゆっくり楽しむには とても時間がなかった。
帰ってから 白神山地について書かれた本を何冊も読んだ。
春の山、夏の山、秋の山、渓流、などを杣人の歩いた道を探しながら楽しむには その地に住み、少しづつ慣れ親しまないと 初めて行ってめくらめっぽう歩いたところで 危険なだけで何の喜びも得られない。
しばしばたずねるには、白神は遠すぎる。もう体力も時間もない。
本を読んで その世界に思いをはせることにしよう。 豊かな自然がいつの時代までも守り継がれますように。
そして 豊かな自然を あまり観光客目当ての商品にしないでほしいと願う。
今週は秋晴れの日が多かった。
毎日の早朝ウィーキングでも 道端の草に朝露がびっしりついていて 秋の深まりを実感する。
ドングリも 今年は豊作の年なのか たくさん落ちている。
クヌギのドングリはひときわ大きく 帽子?もがっしりしている。細長いドングリは ほとんどがコナラの実だろうと思う。
桜の紅葉は今が真っ盛りで 赤や黄色の葉っぱが色鮮やかに 道路に散らばっている。
湿地まで行くと イヌセンブリがきれいに咲いていた。
ホソバリンドウは 日が陰ると花を閉じるので 明るくて暖かい時間帯にたずねたい。
ウメバチソウも 数が少ないが咲いている。変わった構造の花である
面白いHPがありました。 http://www.juno.dti.ne.jp/~skknari/umebati-sou.htm
ブログ作成で 「HTMLエディター」 で作成すれば 難しいタグを使わなくてもいいこと
他のHPを紹介するときには そこを選択して 「リンク」 をクリックしたらいいことを 覚えました。