晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

女だてらに 下水の排水管洗浄  

2020-12-29 14:33:14 | 女だてらに

いよいよ押し詰まって やり残している庭掃除に手を付けた。 この住宅地は山を削って作った住宅地なので 土地がひな壇状になっている。隣家との境界ののり面から水がにじみ出て苔が生えている。 あれ~ と思って 近くの排水桝を開けてみたら 中に汚水がいっぱいたまっていて そこからじわじわと下へ染み出しているのだろう。 これは大変! 女だてらに排水管の掃除をしようとした。 以前に買ってあった排水管掃除用のワイヤーを取り出してきて 排水管へ送り込んだが どこかで詰まっていると見えて それ以上先へは行かない。 汚水独特のにおいも鼻について 気持ちのいいものではないが 根気よく何度も何度も差し込んでいたら ザーッと流れて 汚水桝に溜まっていた汚水は一気になくなった。 しかし桝の周りには 得体のしれないものがいっぱいこびりついている。 新しい水を流し込んでも ぼろぼろと白い塊が流れてくる。 うーん、、、 この家を建ててから40年 一度も排水管の掃除をしたことはない。  先日郵便受けに入っていたチラシを思い出し 業者に電話をしたら 1時間ほどで来てくれた。一度きれいにしてもらいたいと「高圧洗浄」を依頼した。 2時間ほどで洗面所からトイレの排水管まで きれいにしてくれて 値段は27,720円。自分の血管掃除をしたようで、なんとホッとしたことか。 風呂場や洗面所からの排水管のゴミが特にひどく また庭木の根が排水管の中にまで伸びていて 大きなマンホールに通じる管はほとんど詰まりかけていたということだった。 「あの白い塊は何?」 て尋ねたら 長年台所から流れ出た汚れの油の塊だそうだ。 あんなふうになるんだね。(血管のコレステロールと同じですね) 急に思いついたことなのに依頼してよかった とつくづく思ったことでした。 その業者は良心的な業者だったようだ。「よく冷蔵庫に貼るペーパー磁石などの業者は とても高いですよ。そして 排水管が詰まっていたら費用はもっと高くなっていましたよ」とのこと。 「これで私が生きている間は もうこのような洗浄は必要ないですか?」 と尋ねると 「ああ大丈夫です。でも 奥さんは元気じゃないですか。自分であそこまで掃除をしていたんですから」 と言われた。 頑張った分だけ安く済んだようだ。 年末年始だったら 割高になるそうだ。(そりゃそうでしょうね) 友人に話したら 水回りの工事は 市役所で指定業者を教えてもらったほうがいいよ と言われた。

今回は運よく いい業者さんだったが ずいぶん高く取る業者が多いそうだ。

ついでに 浴室の排水口が40年間使ううちに壊れてきていたので ホームセンターに行って 浴室用のコーキング材を買って 割れているところをコーキングした。これでお風呂も安心して使えるだろう。 夫がいなくなって仕方がないが 女だてらに「我ながらよくやるよな!」

 

 


愛らしい孫

2020-12-26 10:54:53 | 日記

歳末というのに 相変わらず部屋ごもりしています。

子供も2.3歳のころはとても可愛いときですね。我が家にも3歳の孫がいます。半月ほど前に来た時のことです。外で遊んでいるお兄ちゃん達に混じって一人で裏の物置からショベルを持ち出し 庭の通路を耕し始めました。そしてそばにある葉っぱをちぎって丁寧に土に埋め 「お水あげといてね。」と言って帰っていきました。思わず窓から写真を撮りました。まるで絵本を見ているようです。

「お水あげといてね」 と

 彼の夢を壊さないように 今度来る時までに 根っこのあるお花に植え替えておきましょうか?


素敵なクリスマスイブ

2020-12-24 18:31:08 | 日記

今年はすばらしいクリスマスイブになった。 明日は夫の誕生日でもあるのでこちらの「イブ」でもある。 いろんな贈り物が届いたのだ。

まず 特に親しいわけでもないご近所の奥さんの手作りのすばらしくおしゃれなケーキが 玄関のノブにかけられて 外出先から帰る私を待っていてくれた。「お留守だったので」とメッセージとともに。 ウワアー! 「シュトーレン」です。  「シュトーレン」 って ドイツとオランダでクリスマスに食べる伝統的なお菓子です。食べ方も決まっているようです。 初めて見るケーキです。テレビで見たことはありますが こんなおしゃれなお菓子が我が家に届けられるなんて、、、、、 そして 中一の孫娘から手書きのクリスマスカードが届いています。 また、夫の誕生日を覚えてくれていたのか 嫁の実家から 甘党だった夫に和菓子が届きました。 どれもこれも心のこもった贈り物です。 なんて素敵なクリスマスイブでしょう。 

  Merry Cristmas!   「シュトーレン」

 

孫娘からの手書きのクリスマスカードです


私の花自慢「シャコバサボテン」 と 「ハナキリン」

2020-12-24 07:16:09 | 花自慢

例年この時期は身の回りにほとんど花がなくなり ラン科の鉢は寒さに弱いので いかに上手に越冬させて春を迎えるかが課題になる。

今月の初めには 寒さに弱い植物の鉢植えを2階の室内に取り込んだ。2階は天気が良けれ太陽が差し込み暖かい。そんな日は ベランダに出してたっぷり水をやる。 いずれも水やりは1週間に1度ぐらい。やりすぎは禁物だ。今そこに並んでいる鉢は 「セロジネ」「マキシラリア」「パフィオペディラム」「シンビジウム」 他には 君子蘭 や アロエ なども取り込んである。ランの仲間は 夏は庭の木陰に置いておくだけだが 今それぞれ花芽をぐんぐん伸ばしている。パフィオは お正月には咲き揃うだろう。胡蝶蘭はあちこちから沢山戴いたが すべて枯らしてしまった。これは寒い我が家では 温室がなければ無理だった。

今満開になったシャコバサボテンは 毎年茎をのばして形が崩れるので 花が終わると10センチぐらい切り詰め 切り取った茎は まとめて別の鉢に突き刺しておくと 来年はまたその先にも花をつける。クリスマスカクタスともデンマークカクタスともいわれるが 花のない時期に部屋を明るくしてくれる。 

「ハナキリン」は この辺りではあまり見ないが 星野富弘さんの書く絵のモチーフに出てくる植物で、星野さんの美術館に行ったとき 大きな鉢植えがありました。10年ぐらい前に 近くの店で見つけ買ったものですが、なかなか大きな株にはなりません。 成長の遅い花です。

ハナキリン


全国高校駅伝

2020-12-20 11:13:11 | 日記

ここにきて 急に寒波がやって来て毎日家籠り。終日リビングでガスヒーターを横に置いて チリっとも動かず日々を過ごす。食事もこの部屋で食べる。こんなことをしているから 体重がぐんぐん増えてしまった。今日も又朝食後 テレビ日曜討論などを見る。10時からは 高校駅伝がある。

自分は運動神経がない(^・^)ので、スポーツ選手には特に憧れが強いが スポーツの中でも駅伝は特に万感迫る。今日は高校駅伝がある。女子は21.0975km。この日のために 毎日つらい練習を重ね 47都道府県代表の誇りを背負って寒い中.京都の町へ飛び出していく。 一人で走りきるマラソンも素晴らしいが 5人でつなぐ駅伝はそれぞれに自分の責任を果たすために懸命に走る姿には涙がこみ上げることもある。 女子は予想を外して世羅高校が優勝した。喜びを手にしたもの 辛い思いをしたもの。みんなすばらしい。 午後は高校駅伝男子、お正月の箱根 と楽しみがあるが 自分は動かずにテレビ観戦しているうちに 体重が増えていくんですね。 でもこの寒さじゃねぇ、、、、、まあ 寒波が過ぎたら年末の雑用をするとしよう。

高校駅伝男子も世羅高校が優勝。男女とも優勝となった。 若い力、まぶしいですね。

毎年 鮮やかな花を咲かせてくれます。


山の愛唱歌

2020-12-07 15:29:42 | 山の話

私の好きな 山の歌を YouTube にリンクさせました。

視聴をご希望の方はリンクしていますので 下の曲目をクリックしてください。画像の大きさと音量を調整してください。

「山に祈る」 

[穂高よさらば」

いつかある日

「雪山讃歌」

「シーハイルの歌」

「坊がつる讃歌」

「山の友に」

[遥かな友に」

「エーデルワイスの歌」法政大学山岳部歌

エーデルワイス」サウンドオブミュージック

[白い思い出」


現代登山模様

2020-12-05 17:55:45 | 山の話

私は若いころから山が好きだった。と言っても 体力もなく山岳会に入っているわけでもなく 友人を誘って北アルプスを歩くうちにまるで自分は「山女」気取りだった。山岳図書を読み、山の世界に引き込まれていった。明治・大正・昭和初期は大学の山岳部等の活動が盛んで 私が山を歩く頃は社会人の山岳会が多くあり 冬の厳しい北アルプスを制覇することが大きなロマンだった。今のように登山道具が進化していない時代のことだ。重い帆布でできたキスリング、衣類は羊毛か木綿などの素材で濡れるとなかなか乾かない。雨具も靴も防水が完全ではなく 雨が降るとたちまち体温を低下させる。 雪山で遭難が起こり、関係者の捜索が繰り返された。そんな時代、多くの「山の歌」が生まれた。そして そんな歌を聴いて心躍らせた。 今どき「山の歌」を聞くことはなく それらの歌はずいぶん陳腐なものになったが 私の心の奥底では相変わらず血潮を騒がせる数々の歌だ。それらのすばらしい歌が今はYouTubeで聴ける。そんな歌を集めてCDを作る。 50年も前に戻った気分になる。

今は衣類も靴も雨合羽もザックもテントも 高性能で軽いものが当たり前になった。そして昔と変わったことと言えばほとんどの人がストック(杖)を使うことだ。ストックは確かに足への負担を軽くしてありがたいが 自然にはあまり優しいものではない。 そして 日本の山で遭難の話などはめったに聞かない。遭難しても携帯電話で救助を求め ヘリコプターなどで救助してもらう。 昔は夜行列車で早朝に現地について ほとんど眠っていないまま山歩きを始めた。 山小屋では相部屋にロープが張られ、濡れた衣類が明日に備えてぶら下がっていた。今では衣類を濡らすことなどまずない。 山の歌を口にする人もいない。 隔世の感がある。  

CDを聞きながら 昔の山の世界に浸って楽しんだ。


夫の寝巻を愛用して 冬の夜を過ごす。

2020-12-01 08:30:14 | 日記

今日から師走。夫が亡くなってもうすぐ4年になる。4年前の今頃は必死の看病だった。前年の12月の末に急に体調が悪くなり立つこともできなくなった。ひと月前に私の留守に散歩に出かけ転倒してその時頭を打ったらしい。硬膜下血種だった。元日に「緊急手術」。立ったり歩いたり出来るようにとリハビリを繰り返したが、なかなか体調は良くならなかった。手術から10日ほどで帰れるということだったが 肺機能が悪くなりICUに入り、1週間ほどで気管切開となった。その時から話すことも食べることもできなくなり 私は病院の許す限りの時間はずっと夫のそばにいたが 2度目の転院をいわれた時、5月になっていたが主治医の反対を押し切って病院から自宅に連れ帰ってきた。 それからは 在宅医療、訪問看護、ホームヘルパー、出張入浴 その他いろいろな方の心暖かいお世話を受けて一人で24時間 夫の看病を続けた。翌春には車いすに乗ってお花見に行くことを夢見たのに 12月10日、力尽きた。1年間の闘病だった。あれから4年。生きる目的も気力もなく、呆然と過ごす毎日だった。 

夫がいたときは 冬の夜、2階の寝室へ行く前には一足先に上がって部屋を暖め、私の寝巻をストーブで温めて 布団の中に入れてくれていたので 私はほこほこのパジャマを着て布団にもぐりこんだ。今は2階は寒いが 闘病時に子供からの贈り物で夫が使った寝巻を着て布団にもぐりこみます。品物がいいのでとても着心地のいいパジャマです。それを着て 何にも話すことが出来ずわずかに微笑みを浮かべた夫を思う日々です。見守ってくださいね。 

咲き始めた山茶花です