数日前に梅雨が明けて 今朝は夏空が広がった。 真っ青な空にきらきらとそして透き通るように輝く白い雲。 夏だなぁと感じる一番の風景だ。 若い時はこの青い空にワクワクしたものだが 今では この夏を無事乗り越えられるかと心配になる。 暑さに負けずに頑張ろう!
数日前に梅雨が明けて 今朝は夏空が広がった。 真っ青な空にきらきらとそして透き通るように輝く白い雲。 夏だなぁと感じる一番の風景だ。 若い時はこの青い空にワクワクしたものだが 今では この夏を無事乗り越えられるかと心配になる。 暑さに負けずに頑張ろう!
にわか雨が降った夕方6時ごろ 東南の空に 二重の虹が出ました。
虹を見たのは久しぶり。くっきりとしたとても美しい虹でした。 出先だったので車で10分ほどの道のりを急いで帰り、カメラを持って飛び出しました。虹は大きくてカメラには収まりません。
虹って どうしてこんなにうれしいのでしょう。 希望の象徴のようです。
↓ 右の足元の外側にもうっすらと 虹が見えます。わかりにくいですね。
お願いごとをする間もなく みるみるうちに薄くなって消えていきました。
もう そんなに長くは生きられないと思うので 少しづつでも身の回りを整理しておこうと思うが なかなか進まない。
写真 アルバム類のすべてはパソコンの中にデジタル化した。ずいぶん嵩は小さくなったが これも私がいなくなったら 多分パソコンとともに廃棄されることだろう。 思えばたくさんの写真があった。 私の幼い時から今までの記録、夫の生涯の記録、結婚後築いた家族との記録 これは子供たち二人が生まれた時から巣立って行った記録、そして子供たちの家族との記録 子供が巣立ってからは 夫婦で思う存分歩いた日本各地の山々や行きたかった地方の旅の思い出、 すべてがHDに収まって いつでも見ることができるようにはなっている。紙の写真はすべてスキャンしたので その数は1万枚はくだらない。デジタルカメラになってからは フィルム代も現像・焼き付け代もいらないので1度行く旅の写真は1000枚ぐらいになることも多く それが繰り返されたので膨大な写真だ。 まあ 私の生きている間は 時々見直すことにしよう。
次に気にかかるのは 山岳関係の書籍だ。出かけた山では 山小屋のオーナーである写真家の写真集 高名な写真家の山岳・ネイチャー写真集、いずれも立派なものだ。そして昭和の時代に書かれた山岳全集も 単行本も大事にしてきたものだが 私がいなくなったら 山に趣味のない子供たちは捨てるしかないだろう。寄贈しても展示場所の限られている図書館などでは 有難迷惑だろうし どこかで役立てられないかなぁ、、、
次に気にかかるのは貴金属や宝飾品。もう自分は使わないと思うものがいくつかあるが これはきちんと整理しておいて 誰か使ってくれればうれしいんだがなぁ、、、、
私たちが若かったころ 結婚するときには和ダンスに和服を一通りそろえなければならないものと思っていた。今ではほとんど着ないまま 風を通すこともなく、日の目を見ることもなく タンスの中で眠っている。私には女の子供はいないし 例えいたとしても今の時代和服を着ようとする人は少ないし 好みの問題もあるし 私がいなくなったら 高価で無理をして作ったこれらの和服もそのまま廃棄されることだろう。 そのくせ 買い取ってくれるところもあるそうだが 和服一着500円などと言われるとそこまでするのもばからしく 状況は変わらない。 「もったいない」けれど 私たちの年代以上の人は きっと同じ思いだろう。
そんなことを寝床の中で考えていたら 寝付かれなくなってしまった。 生涯を閉じるって大変なことですね。自分でできる間に整理しておこうと思いつつも ついついそのまま日が過ぎていきます。 とりあえず 整理の苦手な私の雑然とした身の回りを せめて人並みにきれいに整理しなければ、、、、、
7月10日も過ぎたというのに 涼しい日が続く。昨年は 9日に梅雨が明けるという異常気象だった。そしてそれから8月いっぱい猛暑が続いた。 毎日毎日30度を超し 連日35度を超える猛暑に熱中症ばかり心配された。それが今年はエアコンを使うどころか肌寒さを感じる。 暑いのは辛かったけれどこんな涼しい日が続くとお米が元気に育つのだろうか? 今夏はどんな日が待っているのだろうか?
お願いするとしたら どうか自分のことは自分でできるぐらいの健康を与えてくださいね。
今年もフウランが清楚な花を咲かせています。 本当にすがすがしい花です。 こんな小さな喜びを持つことのできる日々でありますように。
近くの神社にコクランの群落地がある。この花は 群落する性質があるようだ。 近くを散策すると あちこちでコクランの株を見るが ここまで群落するのは珍しい。この植物も 薄暗いところに咲く。 何百株と生えているが どうした訳かほとんどの株に細い花茎はあるのに花がついていない。 今年は岩湧山のササユリもいじけたようなものが多かったが この植物の姿も異常だ。花をつけているのは10株もあるだろうか? 気候のせいだろうか?
その中から 花の付けているものを探して写した。来年は元気に花をつけてほしい。
昨年 我が家の近くの森の中で咲くのを初めて発見した「タシロラン」。 以前からも毎年咲いていたのかどうかはわからないが ここを散歩コースにしている友人が 変わったものがある と教えてくれ 早速見に行ったら 何と「タシロラン」だった。
10年以上も前のことだ、植物に詳しい友人と樫原神宮 から畝傍山に花を探して歩いているときのことだ。 「今頃こんなじめじめしたところにタシロランが咲くのよ。ないかなぁ?」と言って歩いていたら、「あった!」と 彼女の植物観察の深い知識に驚いた。絶滅危惧種にもなっているタシロラン は めったに見れない植物だったのだが それが身近なところでも生えてきたのだ。 昨年 大阪自然史博物館に報告したら 最近はよく出ている とのこと。 仲間の報告でも 今 錦織公園でもたくさん出ているようだ。今年も出ないかなあ?、、、、 と7月に入って昨年出た場所を尋ねたら 土砂崩れでその地は修復工事ですっかり踏み固められ 昨年のような群落は見れないが それでも何本か生えている。 毎日観察に通ったら、道路わきの 残されたやわらかい土の中から少しづつ数を増やしていた。 葉緑素を持たない腐生植物だが 初々しい白い茎をのばし変わった形をした花がたくさんついている。唇弁が まるでゼリーのようでもある。
そういえば、今 日当たりのいい草地で咲くネジバナも ルーペでみると同じようにゼリーのような唇弁がありかわいい花だ。
近年 急激にプラスチックごみの海洋汚染が問題になってきた。 先日 テレビで『BS1スペシャル「”脱プラスチック”への挑戦」持続可能な地球をめざして』 が放映された。日常使っているプラスチックがごみになり、海に流れ出ている。最初は大きかったものが 波にもまれ風化していくうちにいつの間にか1㎜以下に細かくなってマイクロプラスチックになり 海の生物がそれらを食べ 魚が汚染され 死に至っている。海に流れ出たプラスチックごみは海流に乗って 地球の一定の場所に流れ着いて そのひとつである「太平洋ごみベルト」と呼ばれる海域にも集まり、海を汚し 生き物たちの命を奪っている。そしてそれらの生物を食す人間も汚染され また 風化するプラスチックは温室効果ガスを発生させ 地球の温暖化を加速させる。 それらの事態に危機感を持つ世界中の人々が、オランダの24歳の青年の発起から始まって海からごみを回収しようとしている。 すごいことだ。
以前からプラスチック製品は あまり体によくないと感じていた。出来たら 私もプラスチックを排除した生活をしたいとは思っている。 NHKテレビの「猫のしっぽ カエルの手」で知られる京都に住む英国人のベネシアさんはできる限りプラスチック類を使わない生活をしておられる。テレビで見る限り 食器はもちろんのこと 食品の保存容器、調理器具、家事用具一切に至るまで ほとんどプラスチックは見あたらない。 庭のバケツも ジョーロも ブリキのものだ。それが徹底しておられることに頭が下がる。
歴史に疎い私は NHKの大河ドラマさえあまり見ないので 当時の生活用具を丁寧に見てはいないが 当然プラスチックのない世界だろう。最近 朝ドラの「おしん」が再放送されている。 あの物語は 明治から昭和にかけての物語で 一切のプラスチックのない生活だ。そういう私も昭和19年生まれ。同じような生活だった。そんな私の生活に初めてプラスチックが入ってきたのは何だっただろうか? 洗濯機 テレビその他の電気製品、だろうか? おもちゃや文具(筆箱、下敷きなど)は セルロイド で出来ていた。セルロイドもプラスチックの仲間だろうか? 石油は使っていないが、、、、、昭和の30年ごろからわずか60年ほどの間に 急速にすべてが石油製品に依存するようになった。衣類まで石油を原料とする素材がほとんどだ。 私を取り巻く品々は 石油を使っていないものはないといっても過言ではない。 ごみにならないようにリサイクルすることは当然だが それもいつまでもリサイクル出来るわけではなく 何回かリサイクルするうちに劣化してリサイクルできなくなるそうだ。
今 世界中で 石油製品であるプラスチックなどの合成樹脂なしには一日も過ごせない。 最低 ごみに出さない(リサイクルする)、海や山に捨てない そして出来るだけプラスチック系のものは買わず、使わず 「木」や「植物」「紙」「陶磁器」「金属」「鉱物」「動物の毛や皮」などの自然の素材を大切に使い 地球が持続可能になるような世界でないと 子供や孫などの時代に幸せはないだろう。 みんなで心しなければならない 重大な問題です。