小1の孫がとらえている「死ぬ」ということ。 母親が「おじいちゃん死んじゃってもう会えなくなったね」 と言うと 「おじいちゃんは骨になってしまったけれど お婆ちゃんのところにちゃんとおるやん」 と言ったそうだ。 私がいつも過ごすリビングには 少し微笑んだような優しい顔をしてこちらを向いている、生前そのままのような写真だ。その前には小さな桐箱の中の小さな骨壺にわずかな骨が収められている。 元気な姿ではないけれど いつもそばにいてくれているような気がする。 一日中 その写真に声を掛けながら過ごしている。孫は 姿は見えなくても「おじいちゃんがちゃんといてる」と感じてくれているのだ。 そう話す息子に感激して報告してくれるママに感謝。 いずれ 私も,ママ方のおじいさんも, おばあさんも死んでゆく。それでも 「ちゃんといてる」と感じてくれているって とてもうれしい感性ですね。
雨上がりの朝 山麓では紅葉の見ごろを迎えているようで 車でぐるりと一回りして来た。金剛山の麓、マス釣り場周辺では紅葉のピークを迎え 地面をも真っ赤に染めていた。ここは 近場の紅葉を楽しむには随一と思います。 京都や奈良などの寺院などには庭園として植えられた紅葉は真っ赤に燃えてきれいな風景を創り出しますが このあたりの自然の木々は 高山のママカマドの赤 ダケカンバの黄色 ハイマツの緑の入り混じったの極彩色の風景のような紅葉は見られないが ウリハダカエデやハウチワカエデが多く赤く色づく。今道路沿いの赤い紅葉はイロハモミジなどを植栽されたものでしょう。 次に行った西恩寺(千早赤坂村 中津原)も真っ赤なモミジが門前を飾っている。赤く色づいた木々ばかり探してカメラを向けているので どこもかしこも色づいているように見えるが 麓に降りてくるとまだまだモミジの葉は青い。 最後に寄った延命寺(河内長野市)では 門の周りは美しく彩られていましたが 境内にある「紅葉山」の紅葉は10日位先になるでしょう。 秋も深まってきました。
金剛山麓 千早川 マス釣り場周辺
雨上がりの葉に光る雨粒
山に自生する木々も秋色
中津原 西恩寺山門
延命寺山門
樹齢1000年と言われる「夕映えの紅葉」(天然記念物)も 元気に葉を赤く染めていました
11ヶ月目の今日になりました。 ここのところ穏やかな日が続き、庭の「ツワブキ」が キラキラ輝き、小菊が優しい香を放っています。 このにおい、、、昔から変わらぬ秋の匂いだ。
連休最後の日 朝、7歳になった孫から電話がかかってきた。「おばあちゃん今日予定ない? 足痛くない? 岩湧山に行かない?」岩湧山に行こうというお誘いだった。 彼らはアウトドア派だが行くのはいつも海だった。 「山に行こう」 と誘っても応じたことはなかったのに どうしたのかな? おばあさんは張り切って準備をした。 お弁当を作らなくては、、、と思ったが生憎ご飯がなく 岩湧寺の広場で「芋煮」をしようと冷蔵庫にある食材で下準備をする。 メンバーは パパ、ママ、孫は9歳、7歳 0歳の3人。 芋煮というのは 山形県の郷土料理で 家族や仲間で 秋に河原など野外で大なべに水と食材をどっさり入れて煮立てみんなで食べる。味付けは醤油に少しのお砂糖で味付けする 恒例の行事で風物詩だそうだ。 私が以前初めて食べた芋煮の材料はまず 里芋、牛肉はたっぷり、季節のいろんなキノコ コンニャク、ゴボウ、葱 が基本のものだということだ。 EPIガスは残り少なくなっているので家で出来るだけのことをしていこうと 里芋、コンニャクを茹で 葱 肉 ささがきゴボウ シイタケ(平タケなども欲しかったがなかったので)もすぐ鍋に入れられるように切って それぞれジッパー袋に入れる。後は調味料。 お湯は沸かしてペットボトルに入れ、冷めないようにタオルを巻いておく。Epiガスストーブ、食器を用意して完了。到着した車に積んで岩湧寺へ。 お天気も良く風もないので 駐車場は何処も満車だったがお寺まで行くと何とか停めることが出来た。 ラッキー! 早速広場で芋煮会。
おなかがいっぱいになったので 岩湧山へ。お昼を過ぎていたし 途中まで行ければいいや と 0歳はママの背中にくくりつけてて出発。岩湧の道は先日の大雨で通行止めで 急坂の道を行く。 今日は登山者がとても多い。それも5歳ぐらいの子供たちも次々と元気で山から下りてくるのに触発されて 孫たちは俄然張り切った。 落ち葉やドングリなどを拾っては感激している。子供たちはぐんぐん先を急ぐので ついていくのが大変だ。 手に持てないほどの落ち葉を集めて山頂まで難なくたどり着いた。 孫もママも岩湧山は初登頂。 大人はかなり疲れていたが 子供たちは元気に岩湧登山を成し遂げて下山。 「よく頑張ったね また行こうね」 おばあさんはぐったり。 もう岩湧山も無理になってきましたね。
今日はお世話になっているクリニックに行った。夫も亡くなるまでもずーっとお世話になった。 私は血圧とコレステロールが高いのでお薬を出してもらっている。 今から3年9ヵ月前には大きな病院で乳癌の手術を受けて 幸いリンパ節への転移がなかったが、再発予防のお薬も飲み続けている。 乳癌と診断されたとき夫は相当心配したようで 以前にDrがその時の夫の様子を話してくださった。 今日は 私のこのBlogを読んで下さっていて 診察室で「山は夕暮れが早いから 午後からの登山は気を付けるように」と言われた。 ほんと、無鉄砲なことばかり繰り返してきた私で、今元気で生きていることが不思議にも思える。いつも夫には迷惑をかけていたように思うが 夫も山行きを楽しんでくれていたのかな? Drは1年前を思い出して「あのまま病院に居たら褥瘡なども出来て体がこわばっていくが 病院から退院してきてよかったよ。」と 家で過ごした半年を振り返ってくださった。 処置室では 看護師さんに採血してもらう時に 夫の話がでた。「もの静かで落ち着いた 優しそうなご主人でしたね」と言ってくださった。大勢の患者さんがいるのに ちゃんと夫を覚えてくださっているんですね。「皆も覚えていると思いますよ」と言われる。普段看護師さんとの触れ合いはほとんどないし 時々人も変わっているので私はよく覚えていないのに、夫が最後に このクリニックに受診のために来院してからは2年になるのに(看護師さんとはそれ以来お会いしていないのですが) 夫を覚えていてくださるのがとてもうれしかった。 夫も喜んでいることでしょう。
『あなた いろんな人の心の中で生きているんですね。 私は辛いけれどあなたが見守っていてくれるので もう少し頑張りますね。』