晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

失敗失敗!

2014-01-30 12:45:03 | 日記

今日は午後にCTを撮りに行くのだが 「朝から食事はしないでください」 と言われていたのをすっかり忘れていた。 しっかりと朝食をとり、食卓の上のお皿に載っているいただきものの苺も そこを通るたびにパクンとつまみ 昼前におみかんを食べた途端に 「しまった!」と気が付いた。 あらまあ どうしましょう?  病院に電話して日を変更してもらえないか尋ねたが もう手術の日程から考えて延期は出来ないようで、時間を繰り下げて検査することにしてくださった。 失敗、失敗! まあ 癌に打ち勝つためには食欲モリモリのほうがいいか。 我ながら 「リラックスしているなあ。」

時間ができたので 台所の収納庫に シールを作ってベタベタ貼った。これで、私以外の人もどこに何があるかわかりやすくなっただろう 


癌と闘う-3 1/29

2014-01-29 06:05:50 | 健康

今日は1週間ぶりに家人と一緒に病院に行って 手術をお願いしようと思っていたが 緊張して診察室に入ると さっそく手術の日を告げられた。もう 「10日手術」と決まっていた。 手術が立て込んでいるので 前回通院したすぐそのあとに 手術予定を確保してくださったそうだ。 ももさんが 診察前に病院に励ましに来てくれていた。以前に乳癌の手術を経験している彼女から 「癌がなんじゃ!」 と元気な励まし。ありがとう。 先生と面談後 支援センターで入院に際していろんな説明を受け 数々の検査を受けて 帰宅は遅くなった。明日もCT検査を受けに行く。入院まであと10日。しなければならないことが山ほどある。ひとつずつクリアーしていこう。


「夫の墓に入りたくない?」・・・女性の本音

2014-01-27 08:29:47 | 思うこと

面白かったですねぇ 今日のあさイチ(NHK)。

最近の統計では 女性達の思いは 「夫の墓に入りたくない、死んでまで夫と一緒にはいたくない」が 6割。 街のインタビューでは 男性は女性のこんな気持ちに茫然としているようだ。 男性は奥さんも同じ墓に入ってほしい人が多いようだ。 現実を思えば そのデータの数字はうなづける。

私は 死んだあとのことは考えないが 遺骨は散骨でもいい。散骨してもらうとすれば好きな山がいい。『私はお墓の中にいません。眠ってなんかいません。千の風になって・・、・・』と考えたい派だ。 ところが 私たち夫婦には 京都の菩提寺に墓があるが 自宅の近くに小さい墓地を買ってしまった。京都の寺院との付き合いが煩わしいのと、遠いということから 自分たちの墓として あたらしいその地に求めてしまったのだ。今は少し後悔している。「買うんじゃなかった・・・」   買ってしまった(権利のみ)お墓は 他人に権利を売り渡すことはできない。子供には権利を譲ることができるが、子供も「そんな墓はいらない」と言うだろうから、その墓地を使用しないとそれを取得したお金は無駄になってしまう。私は 主人には深く感謝しているので、一緒に墓の中に埋葬してもらうことは全く異存はない。だが「子供たちにはお墓のわずらわしさをかけたくない」と思っている。仏教徒ではないので仏教的な考えには全くとらわれない。「無宗教の墓がいい」と思っている。子供や孫たちが たまには私のことを思い出してくれたら、春には花が咲き 山並みを一望する 明るいそのお墓に遊びに来てくれたらうれしいかな?

 


癌と闘う-2 1/26

2014-01-26 22:08:46 | 健康

まだ入院や手術の日程は決まっていないが それまでにしなければならないことが山ほどある。

まず 「癌」がわかる前に約束したお嫁さん及びお嫁さんのお母さんのラウンドマフラーを作り、3歳の孫のズボンを作り上げた。

 

次に、今まで持ったことがない携帯電話を 入院中、主人との連絡用に購入することにした。この際 ガラケーじゃなくてスマホにしようと思う。これを購入にするのに 何とか安い費用で準備しようと あちこちのお店を回って勉強した。近々 購入するつもりだ。 そして、起業から29年になる会社の経理関係の仕事を済まさねばならない。 もう高齢でほとんど仕事はしていないが それでも会社が存続している以上しないわけにはゆかない。 今月末が期限の税務署関係の書類、2月の個人の確定申告、3月末の決算と 普段サボっていた仕事がのっぴきならずに迫っている。あと 家人への家事教育。これは大変だ。大体何をどこにしまっているかほとんど教えていないし 料理はといえば 唯一おうどんが作れるだけだから、コメの測り方(無洗米と普通米の違い)味噌汁の作り方から 3食の食事作りを教えねばならない。ごみの出し方 買い物の仕方、洗濯の仕方と 短期間ではとても覚えてもらえそうにない。病院に携帯電話がひっきりなしにかかることだろう。 あと 身の回りの整理は出来る範囲で少しでも片付けよう。 考えると 次から次から気がかりはあるが どれだけ時間があるかだ。元気なうちにと、写真館に行って家人と一緒の写真を写してきた。25年前に脳腫瘍の手術をして 後遺症の顔面麻痺でひきつったような笑顔にしかならないのは辛いが仕方がない。

今日は息子たちが来てくれた。孫たちの元気な可愛い姿に慰められる。


コレステロール値

2014-01-22 17:00:22 | 健康

健康管理目的で 毎朝ウオーキングを秋から3か月続けて、今寒さのために休んでいるが 先日の国民健保の基本健診の血液検査で LDLコレステロール値が「180」もあった。昨年初から飲んでいた薬を休止して ウオーキングで改善していないかと期待していたが この期待も無残に打ち砕かれた。体質によるものだろう。気の重い終日だ。


癌と闘うー 1 (1/22)

2014-01-22 13:41:18 | 健康

昨秋から 夜トイレに立った時に たびたび、パジャマのお乳のあたりが冷たく、何か濡れているような感じがした。手で触ってみるが ほんのわずかな水が感じられ 不思議に思っていた。年末になって 下着に茶色い染みがついていたので これはおかしい とかかりつけ医に話し、すぐ紹介状を持って 年末最終日にO病院で受診した。昨日、年初に乳房のしこりの生検を受けたその結果を聞きに行ったのだが、生検の細胞検査後に病理検査もして 2箇所のしこりいずれにも 癌が増殖していることがわかり 担当のT先生も驚いたそうだ。片方の乳房の離れたところに2か所あり 乳房をすべて切除しなければならないことを説明された。 うぅーん・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 絶句するしかなかった。・・・・・・・・・・・

どうしますか? と聞かれても・・・・  「手術するしかない」といわれ セカンドオピニオンや 近藤誠氏の 『「がんもどきは何もしなくていい。本当の癌は手術をしたら増殖を早めるから治療は無意味」論』の話もしましたが 一度帰って家人に話し かかりつけ医のM先生とも相談して来週再訪することにして帰宅しました。今までにも O病院で何度も乳癌の精密検査を受けていて マンモグラフィーとエコーで右乳房にしろい塊があり 半年ごとに経過観察をしていたが あまり変化はみられず そのうち、まあいいかぁ と最近はしばらく検診をサボっていたのが悪かったのか? 新たに 新しい塊がひとつ増えて映っている。

夕刻 息子から電話があった。お嫁さんに、今日検査結果が出ることを言っていたので 心配してくれていたのだ。すこしして、お嫁さんからも電話があり 電話を取るなり 彼女の涙声が聞こえてきた。こんなに悲しんでくれる嫁がいたことがうれしくて こちらまで涙があふれてきた。ありがたいと思った。

22日 

さっそく 家人と一緒にかかりつけ医M先生を訪問。「あなたはどうしたいですか?」と聞かれたが M先生は「手術はしてちょうだい」と頼むように言われ 手術は覚悟したが 今検査をしてもらったO病院がいいのか、別の大きなK病院がいいのか思案したが かかりつけ医のM先生はT先生をご存じで「今の担当医のT先生は信頼できる」といわれ もう迷わず いまの病院でお世話になろうと思う。 M先生は 『T先生に僕(M先生)からもよろしくお願いしますと言っていた」と伝えてください』とおっしゃってくださった。また、「決して民間療法などに気を取られないでこれからの治療に専念してください。」とも言われた。 先生の温かさを感じ「これからも 相談に乗ってください」と依頼して医院を後にした。

しなければならないことが 次から次から 脳裏に浮かぶ。ひとつづつ 片付けていこう。

闘病の記録を 後日のために残しておこうかと思い 差し障りのない範囲でブログに書いてみようと思う。いつまで書き続けられるかわからないが。

 

 


阪神・淡路大震災の記憶

2014-01-17 15:17:30 | 思うこと

19年前の今日( 1995年1月17日)am5:47 まだ夜明け前の暗闇の中で 阪神・淡路大震災が起こった

あの時 私はまだ寝床の中にいた。

突然の大きな揺れに身を固くしたが すぐに収まるだろうと思ったのになかなか収まらなかった。やっと収まって階下に降りて行ったら 長男がリビングに居て おおきな家具が倒れてこないように 必死で家具を抑えていた。台所は 食器棚の観音開きのところは、中からガラスや陶磁器の食器が床に落ちて 足元は壊れた破片が散乱していた。ラジオでは 震源地が神戸の灘区あたりだと告げ 御影に住む叔父一家のことが懸念された。その日のことは あまり詳しくは覚えていないが テレビでは 神戸の街で次々と火災が発生して 亡くなった人の数を告げていたが 見る見るうちにその数がどんどん増えていった。阪神高速道路が横倒しになっている映像が映し出されその震災のひどさが如実に感じられた。御影の叔父さんと連絡がついたのはいつだったか覚えていないが 東灘区の激震地にあったのに 一家の人々にいのちは別状なかったことが分かったのはほっとした。しかし ライフラインが途絶えて,被災地の人々の生活は 困窮を極めた。翌日も 翌日も 市街地では火災が発生し ことごとく 建物がぺしゃんこになって 多くの人々がその下敷きになっているのに 道路が寸断し 消防車も通れず、生きているのに火災が迫り 助かった家族の必死の救出もかなわず 火災に飲まれていった人々のことが報道されていた。寒空の中にほおりだされ 水も食料もなく トイレさえ使えず 屋外で震える人々。それが どんなに恐ろしいものだったか、被災した人々は どんなにつらく恐ろしい体験をされたことか。

電車の走らないレールの上を あちこちで大きな口を開けた道路を   何十キロも歩いてひたすら被災地に支援物資を運ぶ人々。私たちも 幹線道路は救助する車は通れるが 一般車はまともにたどり着ける道路もなく まわりまわってやっと神戸にたどり着いて 叔父の家族を見た時のことを思い出す。街中 ぺしゃんこに壊れた建物が道路をふさぎ 行き先々で行く手を阻まれて立ち往生したことを思い出す。

2011.3.11 東日本大震災は お昼のことだったが テレビのニュースで知ったあの津波の恐ろしさには 絶句するばかりだった。海から街の路地に向かって 建物も車も人も 何もかも飲み込みながら押し寄せてくる津波の恐ろしさに 世の中にこんな恐ろしいことがあるのか 目を疑るが現実だった。こちらの被災は あの恐ろしい神戸の大震災を なおはるかに上回った。

あれから19年たった今 御影の叔母たちは 今は何もなかったかのようにふるまっていてくれるが 心の中はどんなに恐ろしい記憶が今も疼いていることだろう。神戸の街は 外目には いつもおしゃれで 震災の傷跡は目につかない。しかし 自然災害の恐怖が現実に起こり その災害に飲まれて 今も苦しみの中にある多くの人々。家族を失って 今もそのつらさから抜け出せられない多くの人々、痛みに打ちひしがれている人々のことを 忘れてはいけない。あの恐ろしい出来事を決して風化させてはならない。

19年目の今日 テレビで あれからのつらい日々を映し出している。せめて その人たちのこころに思いをはせて その苦しみに寄り添って  そのつらさを分かち合いたい。

 


春を待つ

2014-01-12 10:47:59 | 花探索

ここ数日の冷え込みは 厳しかった。窓から見える金剛山は お昼を過ぎても 霧氷が真っ白に輝き 屋外の空気は痛いほどだったが、今日の午前中は 風はほとんどなく 日差しもやわらかく 久しぶりに庭に出てみた。

毎年 春一番に咲く草花は 種を撒いて大きくなったセリバオウレンだが 今年はまだ花芽は固い。シュンランとエビネが 春を待ちかねて花芽の頭を出した。ショウジョウバカマも 花芽がほんの少し頭をのぞかせていた。

  

早咲きの紅梅はそろそろ一綸咲くだろうか。沈丁花も たくさんの蕾がぬくもりを待っている。植木鉢の隅でスミレが一輪咲いていた  

春が待ち遠しい。


ごちそうさん-半襟の美しさ

2014-01-07 11:59:16 | 思うこと

NHKの朝ドラの 「ごちそうさん」は 久しぶりにおもしろい。やっぱり関西人は 大阪局制作のものが性に合う。別に 毎朝真剣に見ているわけではないが テレビをつけるのが癖になっていて 台所に入るとすぐテレビをつけてしまうのだ。西門家の長女和枝の「いけず」に はらはらしながらも 「ここまでやるか~」と面白かった。

ストーリーも楽しみだが 登場してくる人たちの和服姿の半襟 これが実に美しい。mamioさんに教えていただいてから 特に注意して見るようになったのだが どれも刺繍が美しく、とてもおしゃれだ。 着物とよく合っていて素晴らしい。私はこんな立派な半襟は一枚も持っていないけれど 和服の美しさをつくづく思う。和食もいいし 和服もいいし 日本の文化も素敵ですねぇ。


果物いろいろ・・・ うまいものは宵に食え!

2014-01-07 11:14:33 | 日記

我が家の果物好きを知って みんなから上等の果物を頂くことが多い。ありがたいことだ。自分ではなかなか買えないような上等なものは もったいなくて ついつい 冷蔵庫にしまってしまう。

年末に作った料理も老夫婦では一向に減らず「腐らすよりましだわ」と かたっぱしから冷凍庫にいれた。買い込んだ食材も一向に減らず 昨日はご近所数人で新年会をして少しは嵩を減らしてもらった。

暮れに頂いた大きなメロンはちょっと熟しすぎて 甘味がなくなってきていた。せっかくいただいたのに・・・・・

そのままいただいてもおいしくないので メロンジャムを作ることを思いついた。メロンのきれいなグリーンが消えてちょっと残念だったが レモンとブランデーを入れて おいしく出来上がった。

 暮れに買ったメロンもまだ残っている

きれいな果物をカメラに収めて、 うまいものは宵に食え!

  

 


日の光を待つ

2014-01-05 09:50:24 | 花探索

今朝は 今冬一番の冷え込みじゃなかったかと思う。

一年で今が一番日の出が遅い。国立天文台のHPでは大阪の日の出時刻は 1月4日から11日までが7:06となっていて3日は7:05 12日も7:05である (冬至が一番日の出が遅いのではない) 天気がよさそうなので 薄暗いうちに寝床を抜け出し しっかり防寒着に身を包んで外に出た。東の空も明るいが日の出はまだだ。今日はウォーキングも正月休みなので 一人で高台に上がっていった。待つこと30分  日の出時刻から大分遅れて やっと山の端から太陽が顔を出した。神々しい太陽の光だ。生き物すべて 太陽があるから命がある。

 

 

 

 

 

畑には 咲きかけたものの  凍り付いていて ぬくもりを待っている植物たち。

ヒメオドリコソウ タンポポ

   

 

  オオイヌノフグリ と ノアザミ 

 

オランダミミナグサ と コハコベ

 

 ゲンノショウコ と カラスノエンドウ?

 

 いろんな葉っぱがきれいに霜に縁どられていますが 名前がわからないものもあります。

寒さに耐えて 春を待っているのですね。 春はまだ遠い。

         


お正月というものは

2014-01-02 14:14:54 | 思うこと

罪なものである。

テレビでは 「家族、家族」 と騒ぎ立てるが 家族のいない人も多い。  連れ合いが先だった人、結婚していない人、子供がいても帰省しないところもある。 そういう人たちは 正月準備一色の暮れの過ごし方は やるせないことだろう。 そうでなくとも 独りぼっちになったとき 周りが 「家族! 家族!」 の大合唱の中では どんなに寂しい思いをするだろう。  少なくとも私が独りぼっちになったときや 子供が帰ってこないときは たまらなく寂しいような気がするお正月。 ガラス戸越しに見る自宅の周辺でも あまり人が行き来することもなく なにかうすら寂しい。「らくでいいやん!」 とはいうけれど 気にせず自分の生活をしたらいいのだが 普段の生活と言っても パソコンを触るのも テレビを見るのも さほど楽しいものがない。元気な間は せいぜい 野山に出かけることにするか・・・・・

かくいう我が家では 昨日は 次男家族が全員で来てくれたが 長男のお嫁さんは来ない。  友人は「気を使う人がいなくて最高やん!」 というが 心の中は複雑なものがある。

世の中 自分が正しいと思う道を歩いてきたのに どうにもならないつらいことに遭遇する。「なぜ?」と悩み 自分を責めてうつ病になり さまざまな病気まで引き起こす。  これ以上耐えられないと思ったとき もう考えるのはやめにし、いろんなしがらみをすてて 毎日毎日を 自分なりに一生懸命生きることにだけ専心することにした。  それでなくても 高齢になって お医者さん通いが増えてくる。先を心配せずに 今日一日を 元気で過ごせるように 年の初めに当たって祈る。 


新年あけましておめでとうございます

2014-01-02 07:41:00 | 日記

年末の極寒が少し影をひそめ 比較的穏やかにお正月があけました。

おめでとうございます。

年末に作った数々の料理も まずまずの出来栄えで 息子たちの帰りを待つ。

年々 正月料理を作るのが億劫にもなっているが お正月しか子供たちがそろわないので この時ばかりは 自分のできることを精一杯している。おせち料理の中身は 我流ですが 全部手作りです。

主人は79歳 私は69歳 二人合わせて148歳。大病、小病を繰り返しながら また新しい年を迎えられたことに感謝しよう。

 

   お料理は 一の重  黒豆 ごまめ 数の子 紅白なます 松風焼き(これは友人手作り)

      二の重  スイートポテト 栗の渋皮煮 牛肉の野菜巻き 豚ヒレカツ

 

   

他に ぶり照り焼き (牛肉野菜巻きとヒレカツ) 

    

 

     

      燻製 Ⅰ 牛肉(これはうまく燻製にできなかったのでたたきに変えました) ・ 鮎 ・ 鮭

         Ⅱ シシャモ ・ 鶏 ・ 生ウインナー・ ウインナー  です