晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

80老婆 岩湧山へゆっくり登山

2024-06-03 11:21:13 | 山の話

最近体調がいいと 前にblogに書いた。 自分では 毎日のスムージー(青汁)とwalkingが功を奏していると思っている。調子に乗って 岩湧山に行ってみようと家を出た。 

見たい花はいろいろあったが あまり欲は出さず見つけられるものがあればよい。 「イナモリソウ」には少し時期が遅かったようで初々しさはなかった。 あとはボツリボツリと登る。 「山登りはゆっくり登れば 何歳になっても登れる」というのは昔からの私の持論だ。 夫が元気だった今から20年前 北アルプスの雲ノ平の奥の高天原迄行った。 夫は 若い時から仕事に追われて山登りなど無縁の人だったが 60歳を過ぎて始めた山登りだ。普通3泊4日で行く行程で 最初からすぐに音をあげたが とにかくゆっくりゆっくり上がっていった。鏡平山荘では 「年を取ったら まず最初の日はわさび平小屋で一泊するぐらいがいいですよ。」と言われた。 まだ夫は仕事をしていたので そんなゆっくりの山旅をしたいものだと思ったものだ。 年をとってからはそれを実感する。 今は「ゆっくり」が モットーだ。

2時間ほどかけて山頂にたどり着いた。 おてんきもいい塩梅で 登山者も少ない。「ササユリ」も蕾がたくさんついているが 開花までに2週間はかかるだろう。 絶滅危惧種の「ヤマトキソウ」が今年はぎっしり蕾をもたげている。 みんなで大事にしているので ずいぶん増えた感じだ。 「フナバラソウ」も道のそばで花を付けていた。 これも絶滅危惧種で 以前はそっと隠していたのに こんな通路脇に堂々と咲いているのにびっくり!

少し蕨をもらって3時ごろ下山した。 もうすぐ80歳なんですよ。 よく行ってきましたね。 

絶滅危惧種の「フナバラソウ」です。 大切に守りたい花です。

 


山の愛唱歌

2020-12-07 15:29:42 | 山の話

私の好きな 山の歌を YouTube にリンクさせました。

視聴をご希望の方はリンクしていますので 下の曲目をクリックしてください。画像の大きさと音量を調整してください。

「山に祈る」 

[穂高よさらば」

いつかある日

「雪山讃歌」

「シーハイルの歌」

「坊がつる讃歌」

「山の友に」

[遥かな友に」

「エーデルワイスの歌」法政大学山岳部歌

エーデルワイス」サウンドオブミュージック

[白い思い出」


現代登山模様

2020-12-05 17:55:45 | 山の話

私は若いころから山が好きだった。と言っても 体力もなく山岳会に入っているわけでもなく 友人を誘って北アルプスを歩くうちにまるで自分は「山女」気取りだった。山岳図書を読み、山の世界に引き込まれていった。明治・大正・昭和初期は大学の山岳部等の活動が盛んで 私が山を歩く頃は社会人の山岳会が多くあり 冬の厳しい北アルプスを制覇することが大きなロマンだった。今のように登山道具が進化していない時代のことだ。重い帆布でできたキスリング、衣類は羊毛か木綿などの素材で濡れるとなかなか乾かない。雨具も靴も防水が完全ではなく 雨が降るとたちまち体温を低下させる。 雪山で遭難が起こり、関係者の捜索が繰り返された。そんな時代、多くの「山の歌」が生まれた。そして そんな歌を聴いて心躍らせた。 今どき「山の歌」を聞くことはなく それらの歌はずいぶん陳腐なものになったが 私の心の奥底では相変わらず血潮を騒がせる数々の歌だ。それらのすばらしい歌が今はYouTubeで聴ける。そんな歌を集めてCDを作る。 50年も前に戻った気分になる。

今は衣類も靴も雨合羽もザックもテントも 高性能で軽いものが当たり前になった。そして昔と変わったことと言えばほとんどの人がストック(杖)を使うことだ。ストックは確かに足への負担を軽くしてありがたいが 自然にはあまり優しいものではない。 そして 日本の山で遭難の話などはめったに聞かない。遭難しても携帯電話で救助を求め ヘリコプターなどで救助してもらう。 昔は夜行列車で早朝に現地について ほとんど眠っていないまま山歩きを始めた。 山小屋では相部屋にロープが張られ、濡れた衣類が明日に備えてぶら下がっていた。今では衣類を濡らすことなどまずない。 山の歌を口にする人もいない。 隔世の感がある。  

CDを聞きながら 昔の山の世界に浸って楽しんだ。


秋を歩く2 小春日和に心躍らせて

2020-11-15 14:12:41 | 山の話

11月も半ばになり 秋晴れが続く。冬は目前。今のうちに歩いておかなくちゃ、、、、

昨日行った西タツガ岩というのは 岩湧山の北側を流れる横谷川の支流、金山谷からいきなり岩壁がせりあがっている。上り口は布引の滝の落ち口で その岩壁は高さ50m. 東西に250mぐらい(私の推測です)にわたり、その東端の一番高いところに君臨しています。滝畑林道から見ると  ナイフの刃のように鋭く切れ落ちている。 以前に1度だけ案内してもらったことがあるが まるで劔岳の岩場を歩いているような心地だった。 編笠山から行けば 見晴らしのいい岩場というだけで 昨日はそちらから行ったのだが もう一度あの鋭い岩場に挑戦したいというひそかな願望もあって出かけた。

右端がタツガ岩です。

 

上の写真の左に続きます。左端から登ります

直下から見たタツガ岩

登り口にはロープをかけてくれていますがこの年になって もし事故でも起こしたらと思うとためらわずにいられませんでした。

「やめとこう!」 それが正解でしょう。

布引の滝

この滝畑林道が出来る前に 岩湧寺と滝畑を結んでいた旧道を通り

秋の空気を胸いっぱい吸って

昨日見落とした「センブリ」の群生地はもう開花時期は過ぎていましたが 今年も沢山の花をつけたようです。

無事帰宅しました。

 


秋を歩く― 西タツガ岩まで

2020-11-14 15:49:30 | 山の話

絶好の日よりに誘われて小さな手提げとストックを車に積み 足元は登山靴で家をでる。 手提げの中は スマホとみかんだけ。長年使ってきたカメラはもう寿命が来たようできれいに撮れないのだ。とりあえず岩湧の森へ。山頂へ行くと人で混雑しているだろうから めったに誰にも会わない西タツガ岩までのんびり散歩。ここは 谷を挟んで岩湧山に連なる山々を一望できるとっておきの岩場だ。正面の岩湧山の山頂はすすきが原なので 今日は大勢の人で賑わっていることだろう。岩湧山から派生する尾根筋が立体地図を見ているようで面白い。雑木林は大分色づいて来ている。 手提げ袋に入れてきた和歌山のみかんが甘くておいしい。 3時間ほどの山遊びを楽しんで帰路についた。

和泉山脈 三国山~槇尾山方面

銀波

低山に咲く「ツルシキミ」の実が赤く色づいて

 

 


山岳関係図書

2020-10-03 11:53:04 | 山の話

私が 山登りを趣味とするようになったのは 昭和40年初め、20歳の頃だ。 そのころの山登り、今 若い人も、中高年の人々も趣味にしている登山、昭和初期の頃の登山 そしてそれ以前の登山は その時代時代の登山のスタイルが全く違う。 

私が個人で山登りを始めた頃は山岳関係の書籍が次々と出版され 私はそんな本を次々買って読んだ。 山に登るのは ほとんどガイドブックと地図を購入してそれを頼りに山登りをした。そのころ行ったのは 夏や秋の北アルプスが主だった。 時々 ミズノ主催の夏山映画祭などが開催され それらを見に行って胸を躍らせ 会社帰りに本屋に立ち寄っては山岳関係のコーナーで立ち読みしたり 登山家などの山紀行 遭難の回想記録 その他多くの山物語  山岳世界の歴史 当時の著名な写真家の山岳写真集 などを買っては夢中になって読んだ。 山小屋の人たちとの交流も深く 登山だけでなくそういう人達に会い いろんなことを見聞きするのも楽しみだった。 登山のエキスパートたちが 外国の山を初登頂したニュースも流れ 私もいっぱし、ニコンの一眼レフカメラを買って登山プランに夢中になったものだ。最近は本屋さんに行くこともないが 今も山岳図書は出版されているのだろうか?

最近の登山は 私が目にするところでは エキスパートはヒマラヤなど海外の山に出かけ 山の初心者は テレビで放映される「日本百名山」をみて踏破する人が増えた。私が知る限り 百名山を最初に有名にしたのは 1996年当時アシックスに勤めておられた重広恒夫さんが百名山を123日で踏破したというニュースだった。それまでにもNHKでは相川浩アナの「日本百名山」の放送があったが その後、登山家岩崎元郎さんがNHKで紹介して急に百名山ブームになったように思う。NHKBSなどでは 百名山の情報を美しい映像で紹介するが それはたいてい地元のガイドなどがその地を案内する。50年前は今のように日本には山岳ガイドという職業はあまり聞いたことがなく、知っているのはせいぜい 明治、大正 昭和初期に大学山岳部などの登山をサポートする地元ガイドぐらいしか知られていなかった。

今のように服装も靴も高性能なものはなく 私なども キャラバンシューズを履いて 雨具はナイロンのポンチョをかぶって雨の中を歩いた。あれから50年。 私の本棚には 当時買った山岳書籍やボロボロになった地図・雑誌が並んでいる。どれを見ても懐かしい。 しかもこれらの本は 今では手に入れることができない、私にとって大切なものばかりだ。 しかし 山登りに興味のない息子たちにとっては ボロボロになったこれらの本はすべて廃棄することだろう。山好きの人たちが昔の山岳世界を知るためにも どこかで役に立てられないかと思うのだが。 もっとも 素人がこづかいで購入したものだけなので 大したものではないのだが、、、  今また読んでみると面白い。

ps:

いままでにいろいろと終活を身近なところからしてきた。 その一つが 図書の整理だった。今確認してみると雑誌はすべて廃棄していた。そういえば 1年ほど前に 雑誌類は思い切って捨ててしまったのだ。 今思うと惜しいことをした。(未練がましい・・・・・) 単行本はすべて残してある。この本達の処遇を考えよう。


日本の氷河

2020-08-31 01:28:06 | 山の話

夜中に目が覚めて 枕元のラジオをつけると 立山連峰の氷河の話が耳に飛び込んできた。 思わずじっと聞き耳を立てた。 話をされているのは長年立山の氷河を研究、発見された 富山県立山カルデラ砂防博物館の飯田肇さんである。

日本に今も氷河があると分かったのは最近のことである。富山県の立山、劔岳の東面にある大きな雪渓の下が氷の河となって動いている つまり「氷河」であると発表されたのは今から10年ほど前。その場所の一つは立山の内蔵助雪渓の下だった。 私にとっては 内蔵助というのはとりわけ思い入れの深いところである。まだ20歳前半の頃 今から50年前のことである。 初めて立山を旅して宿泊したのが内蔵助山荘だった。内蔵助山荘は富士の折立と真砂岳の間の東面の広大なカールの底の脇で頑丈そうな石垣に囲まれて立っていた。が、それまでにも、その後も山荘は2度雪崩につぶされ S50年ごろの雪崩に流された後 真砂岳の稜線に建て変えられた。 子供が幼かった頃にも子供たちを連れて私はその山小屋を訪ねた。芦峅ガイドで山小屋の親父さん(佐伯利雄さん)はお元気にされていてお世話になった。いろいろ青春の思い出が詰まった場所である。そのカールの下が氷河であったと発表されたのが2011年。2012年にNHKの「サイエンスZERO」でそのことを詳しく放映されている。1500年前の空気や植物の種などが氷に閉じ込められているそうだ。 その他に、劔岳・立山の東面、鹿島槍ヶ岳・唐松岳の東面にも発見された。 昨年にも「躍動する大自然 北アルプス氷河の旅」が放映され 詳しく解説されている。(その時のことが2018年11月30日にもこのblogに書いている。同じことばかり書いていますが) このことが放送されるたびに胸が熱くなります。

南極 北極圏 ヒマラヤ ヨーロッパアルプス カナダ アメリカ ニュージーランドなど 地球上に数多くの氷河が残されている。最近テレビで「グレートヒマラヤトレイル」が何日にもわたって放映され 氷河というものを繰り返し見ましたが 私が実際に見たのは ニュージーランドのマウントクック国立公園で見たことしかありません。何万年前にできた氷の河でしょうか? 日本の氷河も、今見れるなんて。日本にはないとされていた氷河を探しあて博物史を書き換えるなんて 男のロマンですね。


久しぶりのBlogです

2019-11-02 12:08:45 | 山の話

今日は今秋一番の秋晴れです。 夏中 家でごろごろしていたのでちょっと山に出かけたくなりましたが、脚の調子は今一つ。無理をしない程度にと決めて歩いてきました。 空は真っ青。木々も岩湧、広葉樹の森では だいぶん色づいてきました。 大した紅葉でもないのですが 青空を背景にとても美しいです。

ガマズミの実が青空に映えています

足元ではセンブリがたくさん花をつけていました。漢方薬になり 胃腸に良いそうです。「千回振り出しても苦い」という名前の由来ですが、本当かな? でも小さな葉を1枚もらって口に入れると本当に苦いですが なんか後味のいい苦さです。

今日の散歩はこれまで。 誰にも会わない静かな山道の3時間ほどのwalkingでした。

 午後買い物のついでに湿地に寄ってみました。ウメバチソウが咲いていましたが イネ科の雑草?に埋もれて衰退しているように見えました。そんな中でリンドウが増えて 青い花を輝かせています。ツリガネニンジンもたくさん咲いていますが もう種を付け花の時期は終盤です。ウメバチソウもツリガネニンジンも他の地では見ることが少なくなりました。 草刈りなどが大変ですが、美しい花たちで いつまでも元気に咲いてほしいです。

ウメバチソウ

 

リンドウ

 

ツリガネニンジン

 


アルカリ性温泉 美肌の湯 

2019-08-18 17:40:59 | 山の話

先日 郵便受けに 紀伊見荘のチラシが入っていた。 「鱧まつり」ランチと銘うって、温泉入浴サービスがついて1800円 となっている。 ここは岩湧山からダイトレ(ダイヤモンドトレール)を東に5kmほどの紀見峠駅の近くにある温泉宿である。私は今夏は鱧も食べていなかったし 温泉にもゆっくり浸りたかったので心が動いた。 友人に声を掛けたら ご夫妻でご一緒してくださることになった。ご夫妻は昼食と温泉とを楽しまれるというので 私はその前に山歩きをしようと企てた。 そこは岩湧山の和歌山県側のふもとにあり 私はそのふもとを流れる「根古川を散策」することにした。 11時に友人と温泉で合流することにして 朝7時過ぎ紀伊見荘に車を止めて一人で歩き出した。数日前の台風10号の影響か 根古川に沿った林道はここかしこから水が流れている。秋の花が少し咲いているが 最奥の谷に咲く「タニジャコウソウ」が今も元気にしているか 確認したかったのだ。越ヶ滝の奥は近年の台風などで「深層土砂崩れ」を起こし 頭上遥か上からごっそりと山が崩れてしまっており 「通行止め」にして復旧工事をしているが見るのも恐ろしいほどだ。もう少し奥まで行きたいので恐る恐るその地を通り抜け、足を運んだが目当ての花は見当たらなかった。開花時期は10月なので株はあってもわからなかったのかもしれない。 まっすぐ温泉に戻るには時間が余るので 岩湧山三合目まで上がってみようとしたが これが体力のない私にはずいぶんきつくて辛い道だった。そこから紀見峠までは今度は激下り。疲れ切ってとても11時には戻れそうにない。 途中、地図にはないが近道らしきものを見つけてその道を選んだが その道は足場の悪い 石がゴロゴロとした小さい沢筋で おまけに先日の台風で水量が多く 所々小さな滝になっており あ尻を水の流れる滝の上に置いて足場を探し何とか降りたが もう頭がふらついて前に進む体力がなくなってしまった。 「また 無茶をやってしまったなぁ。」 沢沿いの細い登山道に出たので そこで休むことにした。 10分ほど道端で眠ると少し元気が出た。あとは 亡霊のような足取りで 紀伊見荘にたどり着いた。よく 紀伊見荘までたどり着いたものだ。

友人夫妻は心配して待っていてくれた。 体中汗びっしょりで 何もかもボトボトなので とりあえず温泉に入ることにしたが 疲れすぎて温泉入浴さえ疲労が増す感じだった。 早々に切り上げ食事にありついた。豊富なメニューの食事でおなかがいっぱいになり 大分体力も回復したのでもう一度温泉入浴を楽しんだ。今度はその温泉がアルカリ泉で肌がつるつるし 適温の温泉をゆっくり楽しむことができた。久しぶりの温泉に満足して 車で30分ほどの自宅に戻った。 しかし もうこんな無茶はしてはならないと肝に銘じた。 (私はいつもこんなことを言っていますね。)

これは 土砂崩れ跡 道は土砂崩れの中ほどを通って行きます

 下の写真は根古川渓谷に咲いていた花たちです

クサアジサイ 

 

ミズタマソウ 

 ヒヨドリジョウゴ

 ツルリンドウ

 


岩湧山周辺山歩き

2019-06-09 22:03:22 | 山の話

6/8(土) 

ここ一月ほど すべり症による脚の痛みもあまりなく 仲間がメールでもたらしてくれる「花だより」を見ると 岩湧山に行ってみたくなる。 梅雨入り目前で 先日来雨が続いたが 今日はまずまずのお天気のようで 普段の運動不足を補うのを目的に 「無理をしない程度に」と決めて岩湧に向かう。とりあえず一番手前の杉木立の道を一歩一歩ゆっくり上っていく。

今の時期は 野生のいちごがみずみずしく実をつけている。 クサイチゴ、ナガバノモミジイチゴ、クマイチゴ。 いろいろな苺を口に入れる。 一番甘いのはクサイチゴ、次はモミジイチゴ、クマイチゴもふっくらした赤い実はおいしそうだが口に入れるとあまりおいしくない。霧雨で実は濡れているがそんなことはお構いなしに ビタミンC補給。 杉木立の道を一番上まで登りつめる。 

クサイチゴ

ナガバノモミジイチゴ

クマイチゴ

霧で視界も悪くお目当ての花も見つけたので 今日はこれまでにして帰ることにした。

キヨスミウツボ

6/9(日)

今日もそれほど暑くならないようなので 昨日の続きを歩こうとまた岩湧に向かった。 今日は山頂を目指すことにしよう。 9時過ぎ、駐車場はガラガラだ。登山者は少なく追い越していく人もほとんどなく ゆっくりゆっくり。 お目当ては「ムヨウラン」(無葉蘭)葉のない蘭だ。ラン科の花は すべての植物の中で一番種類が多い。洋ランと呼ばれる華やかなものも多いが 野生のものは地味なものが多い。ムヨウランも地味な花だ。今年は生育が良く たくさん花茎を伸ばしている。

 

山頂まで来ると 老若男女 大勢の人が山頂広場でくつろいでいる。ススキの中で ササユリの蕾はまだ固い。開花は1週間から10日ぐらい先だろう。

 

「コアジサイ」が満開だという情報で 脚を伸ばした。優しい 品のいい花が満開になっていた。奈良や和歌山の山間部ではよく見るが、岩湧山ではここでしか見ない。 

優しい色合いに癒されて 今日の山行きは終えた。すっかり脚が痛くなって、よたよたと車に戻った。これが限界です。 


GW10連休突入 久しぶりに山歩き。

2019-04-29 04:52:54 | 山の話

今年は天皇の退位と新天皇の即位により GWが10連休となった。 思えば私たちの若いころはGWは「飛び石連休」などと言ったものだが ずいぶん休日が増えたものだ。「どこかへ出かけよ」と言わんばかりの政策で 日本国中大渋滞になることだろう。幸い季節もいいので 私も久しぶりに山歩きをしてみよう。 私の足がどれぐらい持つかだが、お天気は 予報通りのすっきりした青空にならない。 晴れるのを期待してお昼ごろ出発。 

新緑が美しい。誰も来ない岩湧の秘境? ゆっくり歩き始める。 「タチツボスミレ」や「シハイスミレ」がまだ咲き残り 厚く積もった落ち葉の上には「ヤブ椿」の赤い花が落ちている。その周りにはたくさんの新しい芽が落ち葉の下から顔を出していろ。何の芽かな? 桜の花びらは 昨日の強風でどこからか飛んできたのだろう。 遠くで「アオバト」 が「アオー、アオー」と啼いている。だあれもいない山道をゆっくりゆっくりのぼる。

 

 

 

 今日は行楽日和になると天気予報で言っていたのにずーっと薄曇り。大樹の下では たくさんの「フデリンドウ」が花をつけているが 青空にならないとその花を閉じたままだ。これを見にやって来たのに・・・・ 快晴の下では サファイアをぶちまけたようになることだろう。 

 

あの花も見たい この花も見たい。 足はさほど痛みもなく 何とか帰るまで持ちますように。  

ずんずん足が痛くなり歩くのがつらくなってきたが ひと気のない山では遠慮なくゆっくり歩かせてもらう。スタート地点にやっと戻ってきたのは5時半になっていて 駐車場には私の車だけがぽつんと取り残されていた。 脚の痛みは杖にすがって何とか持ちこたえた。 また山に行けたことがうれしかった。


今年の初登山は 西タツガ岩へ

2019-01-07 13:58:52 | 山の話

今朝は冷えこんで 青空を見上げるとどこかに出かけたくなった。 2日ほど家でゴロゴロしていたら 足の痛みは全くない。(朝はいつもこうなんですが・・・) 朝8:00  小さなリュックに飲み物やバナナ、みかんを入れてとりあえず岩湧寺に向かう。 道路端の畑は霜に化粧されて輝いているが 影のところは霜がつかないのですね。冬に山道を歩いていると 霜柱が山土を持ちあげていますね。 シソ科の植物が真冬の冷えこんだ日の朝 根元に美しい氷の花を作ります。「シモバシラ」という植物があり、この「氷華」をつくるのでこんな名前がついているのですが これも霜柱です。 このあたりでは「アキチョウジ」や「ミカエリソウ」なども シモバシラを作るようです。 これはネットにあった写真 「シモバシラ」のシモバシラです。

「シモバシラ」の画像検索結果

私はまだ実物を見たことがないのです。今朝は冷え込んだので見れるかな? と期待したのですが山頂まで行く自信もなかったので 今日の行き先は昨秋にも行った「西タツガ岩」にしました。

岩湧山のすぐ近くの編笠山の南側は岩場が多く 滝畑林道から金山谷を挟んで見る西タツガ岩は 峩々たる姿でそびえています。

10年ぐらい前に Nさんに左の端から 恐竜の背びれのような岩を這いつくばって 右端のタツガ岩まで案内してもらったことがあるのですが 怖かった思いだけ覚えているものの ルートの状況などは全く記憶にありません。今日は 私もこの谷底から上がってみようかと車をお寺に置いてやってきた。足元は落ち葉が積もり 立ち木につかまりながら 急な山肌のところどころにあるテープを探しながら 岩の足元までやってきました。  見上げる岩の 蟻の戸渡りのような稜線に立つ足がかりも見つけられず 急な山道をあれこれ探しやっと「西のタツガ岩」の標識があるところまでやってきました。 穂高岳の「キレット」や 剱岳の「蟹の横這い」にもひけをとらないような岩場です。 所々にハーケンが撃ち込まれているのはここをクライミングする人のゲレンデなんでしょう。このタツガ岩も、もう少し東の高い位置にある「東タツガ岩」も 編笠山から行けばごく普通の山道でそれぞれの登頂部につくのですが クライマーは 谷底からこの岩を攀じ登るのです。

そのあと 上に上がって 「東タツガ岩」に寄って

帰路につきました。 紺碧の空に 太陽がさんさんと降り注いでいますが人の気配は全くありません。 今日は不思議と足の痛みもほとんどありません。満足感に満たされた3時間半の山歩きでした。 

今度冷え込んだ日には シモバシラを探しに 出かけてみよう。 私の足よ、もう少し元気でいてください


日本に今も流れる氷河

2018-11-30 07:44:32 | 山の話

昨夜 NHKBSで「躍動する大自然 奇跡の絶景ストーリー「北アルプス氷河の旅」が放映された。 私は食い入るようにその番組を見ていた。

日本で初めて氷河の存在が確認されたのは今から10年ほど前のことだ。 その時もNHK「サイエンスZERO」で放映されたが 今年新たに確認されたのだろう。 氷河というのは名前の通り氷の川だが 現代の日本では氷河は確認されていなかった。それが立山連峰の雪渓の下で 今も氷になって少しずつ下に動いているのだ。私は立山、剣岳方面は馴染み深いところで 若いころは何度も訪ねた。中でも 立山の東側の雪渓の下に立つ内蔵助小屋は とりわけ思い入れの深い山小屋です。当時の小屋の主 佐伯利雄氏はいつもお尻にカモシカの皮をぶら下げて山を歩いておられた。内蔵助小屋は富士の折立と真砂岳の間にある大きなカールの底の脇に立っていたが 2度の雪崩に2回つぶされたあと 真砂岳の尾根に引っ越しした。 その内蔵助カールの下が氷河となって少しづつ動いているのだ。 他に 剣岳の東の谷 立山の東の谷で 4カ所 他に北アルプスで2カ所 計6カ所の氷河が正式に確認された。いちばん新しいのは今年のことだ。一番大きいのは 剱岳の三の窓氷河で 毎年4m流れ下っているそうだ。 雪渓の下では今も1000年前の空気が氷に閉じ込められ それをとりだすとはじけて今復活する。 

私が見たことのある氷河はニュージーランド・マントクックの公園ですが 青白く光る氷は昨今の温暖化の影響で絶えず崩壊し続けていました。テレビで見る氷河は ヨーロッパアルプスやカナダなどの壮大なもので それらと比べると 立山の氷河は小さなものですが 1000年前の空気を今吸うことが出来るなんて 夢がありますね。 

(訂正 11/30日に書いた内容が 再度番組の録画を見直して間違っていましたので 訂正いたしました。 一年で40㎝と書いていましたが 三の窓雪渓は一ヵ月で40㎝動いているそうで 1年で4mも流れているのだそうです。 すごいですね。 12/7記)


秋晴れの下 久しぶりの山散歩(岩湧・タツガ岩めぐり)

2018-11-03 15:56:54 | 山の話

ここの所足の具合がいい。たいてい午後 疲れてくると足の付け根から痛くなってきて もうどうにもならなく「足をちょん切りたいよー」と思うようになっていた。一月ほど前には病院の整形外科を再受診し「もう我慢ばかりも辛いので手術をしてください」と申し出 手術のための検査をあれこれする手はずになっていたのに いざとなると怖くなって 又病院に行って「もう少し辛抱してみます」とキャンセルして来たばかりだ。「もう山登りは卒業」と決めて諦めていたのにここの所 痛みもなく調子がいい。 それで 昨日近くを1時間ほど歩いてみたが大きな痛みはない。 こんな日が続けばいいのに・・・・

今日は底抜けのような秋晴れで 家でじっとしてはいられない。幸い足の調子もいいので「晴れたら野山に出かけよう」と とりあえず山に向かって車を走らせた。駐車場はいっぱいだ。そりゃあそうだ、この天気だもの。 山頂は大勢の人でにぎわっているだろうなぁ、、、、 私は無理をしないで近場を歩こう。ひとけのない編笠山に向かった。だあれもいない東タツガ岩についた。ここは知る人ぞ知る素晴らしい見晴らし台だ。 目の前は岩湧山から北に尾根がのび 幾重にも山が重なっている。あれは遭難しかけた扇山。奥には三国山。右手には大阪湾がくっきりと弧を描いている。六甲山から西播磨地方の山並。そこから左に淡路島が横たわっている。 真っ青な空。 爽やかな風。 傍になぜ夫がいないのだ? 一人ボッチの空間はあまりにも淋しく涙が込み上げる。 でも 諦めていた山にまた来れたのだ。 この静寂の空間を独り占めにして深呼吸する。 もう少し頑張って西のタツガ岩に寄ってから 2時間ほどの山歩きを終えた。戻ってきたお寺には 透き通ったような ピンクを帯びたような紅い葉をつけた高さ2メートルを超す木があった。「スズランの木」と名札がかかっている。すずらんの木?  どんな花が咲くのだろう?  四季彩館のKさんに尋ねると「僕もまだ見たことがない」という。家に帰って調べると 「セノビア」という北米原産の木のようだ。 美しい紅葉した葉を拾って帰り、夫へのお土産です。


追憶  冬の上高地

2018-10-10 22:36:35 | 山の話

今日は 「My Birthday」 いろんな人から お祝いメールや電話をいただき 一人で誕生日を迎える私にはとてもうれしいでした。 それにしてもずいぶん年取ったものです。 そして、今は すべり症による足の痛みであまり歩き回ることはなく 毎日毎日写真の整理をしています。

今日は「真冬の上高地」の写真整理です。 今から20年ばかり前のことです。上高地は11月に閉山すると 4月の開山まで営業宿泊所はなくなります。初めて冬の上高地に行った時は そのころあった「村営ホテル 冬季小屋」に泊めてもらって 真っ白な上高地に足を踏みいれました。 真っ暗な釜トンネルを出たところから輪かんじきをつけて 静まり返った神々しいばかりの上高地に入ります。 そのころ Mさんという小屋番の方がおられて 夏の従業員用の小屋に泊めてくださいました。その日の宿泊客は6.7人で 大きな鍋で夕食を作ってくださいました。 翌々年には 徳澤園冬季小屋に泊めてもらって 2度目の冬の上高地を楽しみました。今では徳澤園の冬季小屋はないそうですが その時は自炊道具と寝袋持参でした。 梓川は氷結して 河原全体の雪原が広がっていました。 何もかも凍っていたので水は雪を溶かして炊事しなければなりませんでしたが ストーブの上の大きなやかんにはお湯が沸いていたのでそれで食事を作らせてもらいました。 あんなことが出来たのも まだまだ若い気力があったのですね。お天気に恵まれ横尾までトレッキングを楽しみました。どこまでも開けた雪原には 動物たちが夜のうちに縦横無尽に走り回った足跡が残されていました。ウサギの他は何のあしあとかわかりませんでしたが 楽しい想像でした。

輪かんじきをはいて

 

横尾山荘

梓川の化粧柳

徳澤 ハルニレの木