晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

ソシンロウバイ

2015-01-22 08:41:13 | 花探索

「ブログでお花を見せてほしい」 と言ってくださる方がいて 今年はできるだけ 花の紹介だけに限って書いてみようかと思う。

いつもは車で行く買い物を 運動のために歩いて出かけた。途中で ロウバイが青空に映えていた。以前にこぼれ種から芽生えた小さな苗をもらってきて鉢植えにしたが なかなか花は咲かないので昨年地植えにした。小さな庭で植えるところもなく 劣悪?な環境の庭の隅だが 木は一気に大きくなったが まだ花はつかない。 家庭に植えられているのは ほとんどが「ソシンロウバイ」で 花の中心も花弁も透き通った蝋細工のような花だ。 香りがいいので多くの人に愛される。 ロウバイは 中心が暗紫色といわれる赤い色である。わたくしも、「ソシンロウバイ」のほうが好きだ。  我が家の庭のは いつ花をつけてくれるだろうか?

 

 


水仙の丘

2015-01-16 16:50:23 | 花探索

テレビで千早赤阪村の水仙の丘が見ごろになったと報じられていたので 足を向けた。 ここは 楠正成ゆかりの千早赤阪村の村民によ って奉建塔の丘の斜面に村おこしのために植えられた水仙郷だ。 

思えばあれから1年。昨年、乳がんが2か所で増殖しているからすぐに手術をと言い渡され、入院の前日不安の中でこの水仙の丘にやってきた。 今ではすっかり元通りになったような気分で花を眺められる。 8分咲きで いい香りが冷たい空気を和らげてくれる。

今年も花との出会いを小さな喜びに変えて 生きる楽しみにしたい。

 


阪神淡路大震災から20年・・・・20年という歳月を思う 

2015-01-16 08:29:30 | 思うこと

あすは 震災から20年。そのあとに生まれた子供たちは 今年成人を迎えた大学生、高校生になっている。その人たちにとって、震災の記憶はなく 周りの人に聞いた知識が頭の中にあるだけだ。 ・・・・・今 20年という歳月を思う。

朝からNHKの「あさイチ」で そのころ生まれた子供たちが 震災を語り継ぐことの大切さを話し合っていた。

私が大阪の郊外 高師浜の海辺の町で生まれたのは 終戦の前の秋のことだった。その時代がどんなに大変な時だったのか 実感することもなく、深く考えることもないまま、戦争の影は全く感じずに大きくなった。  父は戦争にはいっていなかった。多分年齢が超えていたからだろう。 私には食糧不足でつらかったという記憶もないが 大人たちはどれだけ苦しい日々を送っていたことだろうか。 焼夷弾に逃げまどい 街が焼け野原になったのは まだ記憶に浅いことだったのだ。  私が幼稚園に通っていたのは  終戦からまだ5年しかたっていなかったのだ。 そういえば、10歳になるころまでは 電車のターミナルなどで 傷痍軍人が白い服を着、松葉つえをついて寄付を請う姿をがあったことを覚えている。 大人の心の中は まだまだ 戦争の時の思いが占めていたことだろうと思う。 中学校、高校に上がると 友人や周りに お父さんが戦死したという人が必ずいることを知った。 海軍にいた親友のお父さんも 生まれたばかりの子供を残して若くして没した。

私が20歳になったとき青春真っただ中で 戦争のことなど頭の片隅にもなく一人旅に出てオリンピックに湧く東京にいて できたばかりの新幹線に乗って意気揚々と帰ってきた。 どこにも戦争の影は見当たらなかったが あれは 戦後20年しかたっていなかったのだ。もっと戦争といウことに目を向けるべきだった。 

その後 子供たちが巣立った後この年になって 沢山たくさんの戦争のことに目を向けるようになった。 また 各地で大震災が何度も起こって多くの人々が傷ついた。 私は体験していないが テレビや新聞には 戦争の悲惨さ 震災の悲惨さを伝える番組があふれるほど放映されている。そこで私が学んだ  それらの苦しみに寄り添い 戦争のこと、震災のことを、後世に伝えなければならない。 いまさら子供にそんな話を切り出すこともできないが 孫たちには語りかけてみたい。 


初登山~岩湧山

2015-01-04 18:30:34 | 日記

元日は息子一家が来てくれて 何とか正月らしい日を過ごした。2日、3日は家の仕事である会社の経理事務に明け暮れ、やっとめどがついたので 4日の今日は天気も良く 外へ出ることにした。昨秋古希を迎え 体力は年々低下しているが何とか維持したいと、体力測定がてら岩湧山へ行くことにした。主人は先日傘寿を迎えた。少しでも歩いてほしいと誘ったが、駐車場に車を止めて、岩湧寺の古の道を歩きだして呼吸が苦しくなったようで、登山は無理なようだ。そこから自宅までは彼の足では2時間は優にかかるだろうが ゆっくり歩いて帰ってもらうことにして 私一人で山頂を目指した。あたりは元日に降った雪でうっすら雪化粧だったが、上がるにつれて登山道は真っ白で 歩くとキュッ キュッと心地よい。数組の登山者に出会ったが 小鳥の声もなく静かな山である。尾根に出、ダイトレを山頂に向かう。山頂は枯れすすきでおおわれているが 日当りがよいので 登山道の雪は溶けかけている。大峰山の方はどんより曇って見えず 金剛山、葛城山が曇り空の中に見えている。山頂は10人ぐらいの人が 思い思いに休憩していた。今年も山頂を踏めたことがうれしい。主人は 長い道程を歩いているかと気にかかったので 急いで急坂の道を降りて帰宅。 自宅につくと 10分ほど前に着いて、庭掃除をしてくれていた。 今年も歩くという簡単な運動で 体力を維持したいものです。