あすは 震災から20年。そのあとに生まれた子供たちは 今年成人を迎えた大学生、高校生になっている。その人たちにとって、震災の記憶はなく 周りの人に聞いた知識が頭の中にあるだけだ。 ・・・・・今 20年という歳月を思う。
朝からNHKの「あさイチ」で そのころ生まれた子供たちが 震災を語り継ぐことの大切さを話し合っていた。
私が大阪の郊外 高師浜の海辺の町で生まれたのは 終戦の前の秋のことだった。その時代がどんなに大変な時だったのか 実感することもなく、深く考えることもないまま、戦争の影は全く感じずに大きくなった。 父は戦争にはいっていなかった。多分年齢が超えていたからだろう。 私には食糧不足でつらかったという記憶もないが 大人たちはどれだけ苦しい日々を送っていたことだろうか。 焼夷弾に逃げまどい 街が焼け野原になったのは まだ記憶に浅いことだったのだ。 私が幼稚園に通っていたのは 終戦からまだ5年しかたっていなかったのだ。 そういえば、10歳になるころまでは 電車のターミナルなどで 傷痍軍人が白い服を着、松葉つえをついて寄付を請う姿をがあったことを覚えている。 大人の心の中は まだまだ 戦争の時の思いが占めていたことだろうと思う。 中学校、高校に上がると 友人や周りに お父さんが戦死したという人が必ずいることを知った。 海軍にいた親友のお父さんも 生まれたばかりの子供を残して若くして没した。
私が20歳になったとき青春真っただ中で 戦争のことなど頭の片隅にもなく一人旅に出てオリンピックに湧く東京にいて できたばかりの新幹線に乗って意気揚々と帰ってきた。 どこにも戦争の影は見当たらなかったが あれは 戦後20年しかたっていなかったのだ。もっと戦争といウことに目を向けるべきだった。
その後 子供たちが巣立った後この年になって 沢山たくさんの戦争のことに目を向けるようになった。 また 各地で大震災が何度も起こって多くの人々が傷ついた。 私は体験していないが テレビや新聞には 戦争の悲惨さ 震災の悲惨さを伝える番組があふれるほど放映されている。そこで私が学んだ それらの苦しみに寄り添い 戦争のこと、震災のことを、後世に伝えなければならない。 いまさら子供にそんな話を切り出すこともできないが 孫たちには語りかけてみたい。