春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

(22)節三の対抗試合・三船久蔵突然

2016-02-21 17:08:56 | 節三・Memo


明治41年に開通した旧式の蒸気機関車は22.3キロの山道を1時間20分かけて小坂鉱山と大館の山道を根気強く走り続けた。
節三は大館中学にかろうじて入学してから1年あまり、マッチ箱と親しまれている、ぼろぼろの汽車で通学していた。
朝陽のあたる長木沢川にかかる架橋から見える風景をいつも身を乗り出して、眺めてのは、「うん、うん」と頷いた。
鉱山への通勤者より学生の多い鉄道で、冬場の坂道では止まりかける汽車から我先に下りて後ろを押した。その話がマッチ箱での話題になった。

この夏、節三たちの柔道部は、秋田県内の六校の中学の対抗試合でことごとく、打ちのめし強さを誇った。
部員たちは東北五県の中学校との対抗試合を学校に嘆願したが、すんなりとはいかなかった。
「柔術は己の心身を鍛錬するものであり、力比べではない」というのが、学校側の理由であったが、小枝指の児玉道場や花輪村の小田島道場から指導を受けた門下生の多い大館中学の部員の強さは、慶応大学を卒業し、農業改革に貢献のある「一心館道場」を開いていた「明石文治」ら有志が、節三たちの対抗試合の申し出を後押しした。

夏休み最初の相手は山形県の酒田中学校を皮切りに、四校と試合。十日間の遠征。
次の半月は、福島県の十一校と戦い、この夏は一度も負けることなく、対抗試合を終えた。
秋田魁新報は、「大館中学柔道、東北三県の完全勝利」と、記事にした。

そんな折、講道館の岩手県久慈市の実家に帰っていた、「三船久蔵」大館中学に姿を現した。
五尺三寸。1メートル60センチメートルに満たない小柄な体格でありながら、講道館では、めきめき、腕を上げ、地方ですら、知らないものはいない、と、言わせしめた、有名人。
誰もが、緊張のあまり、別人になった。
が、模範の組手を上級生が対応していくうち、道場の両側に正座して、技を焼き付けておこうと、真剣に見てい居るうち、奇妙な空気が流れていたのがわかった。
始めの緊張感が、薄れ、穏やかな空気に包まれていたのである。
三船の発する、穏やかな口調、間、獲物を捕らえて、離さない鋭い眼光も、優しい眼差しに見えてきたのである。

「はじめ」
三船が、急きょ造った特設席に着くと、部員の乱取りが始まった。
柔道着から、男の匂いがあっという間に道場に充満した。


コメント (3)
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