小坂鉄道は1909年、開業され
1994年には旅客営業を廃止し、
2007年には鉱山の衰退と共に貨物営業をも、
全廃止した22.3キロの路線でした。
旅客営業は、小坂鉱山で働く労働者や、現在の大舘鳳鳴高校の前身、
大舘中学校に通う学生を。
貨物は、鉱山で産出した精鉱や精錬所で精錬した商品を、
全国に運ぶため、そして、
大舘は製材の町、鉱山の煤煙で枯れ、
伐採したアカシアと、天然秋田杉を、運ぶため。
鉄道のお蔭で鉱山と小坂の町は、栄華を誇っていたのですが・・・・。
手前に来れば、鉱山への路線、向こうが、
大舘市へ走るのです。できた頃の車両は「マッチ箱」と親しまれたと云います。
小坂鉱山事務所にあるマッチ箱の電車風景。
何とも、穏やかな、郷愁です。
22.3キロ、前日小坂町から大舘士へ、
廃線をさがしながらです。
翌日は、大館市から小坂町へ、
山の裾沿いに22.3キロの線路、
線路の撤去工事は行ったことはなく、全線つながっているのですが、
途中、見えなくなったりです。
今はこの道路を「樹海ライン」と名付けて、
十和田湖までの一本道、運転に快適な道路でした。
樹海ライン、2軒の「駅の道」の一軒。
雪沢駅の道。
ここが、秋田の特産、雨傘より大きい「秋田蕗」発祥の地でした。
この林の中に、線路が・・・。
この度、小坂鉄道にご協力いただいたみなさんで、
仕事の手を休め、線路を作る際の砕石などの中に、
鉱山の鉱石があって、わざわざ案内をしてくださいました。
休憩タイム以上に手間を撮らせてしまいました。
別れ際、不覚にも、熱い滴が2本、膝の上に落ちました。
花壇の手入れの最中、詳しくは知らないけど、聞き伝えを、
惜しげなく、語ってくださいました。
小坂町、小坂駅の傍のおかみさん。
曾祖母からの伝えられた、町並みの今昔を・・・・。
鹿角市、小坂町を語れる、勉強家。
奥様にも感謝しきりです。
もう、会えることもないでしょうが、
これからもご活躍くださいますよう!
8月23日朝。大舘市の景色。
小坂町は明日、芝居小屋「康楽館」で終わります、ネ。
では!