1816年、南部藩が目を付けた小坂鉱山の「銀」
1901年には採掘全国一になった小坂町は、
1905年鉱山事務所を、今でもロマンを感じさせる総秋田杉の作り、
1909年は鉄道を敷き、やんやの小坂村は、
1910年、抗夫や町民の娯楽に、
芝居小屋「康楽館」を作り、
移築、改造されない芝居小屋としては、日本最古の建造物で、
杮落しには大阪歌舞伎の尾上松鶴一座を呼び、
今でも、東京、歌舞伎座で座長を務める、役者が訪れ演じている。
それも、最古の芝居小屋を小坂町が地道に守り続けた、
人達がいたからでも有りましょう。
全盛期、鉱山の煤煙で全滅しかけた、アカシアは今は地元で、
「アカシアの蜂蜜」を精製するほどゆたかに町並みをゆらしています。
後ろを流れる「小坂川」
この辺りはまさに繁華街。
酒を飲見乍ら、芝居で見、赤提灯の連なりに出れば、
川に向かって、役者の「大見得」を真似した抗夫が沢山いたようで・・・・。
その康楽館の呼子が銅像に。
小脇に抱えているのは「康楽館」、当日の演目を書いたチラシ。
豊四郎・・・小坂町出身の日本画家。
豊四郎も、当時の繁華街「尾樽部」という地で生まれています。
「康楽館」
幟は雨の日も、風の日も365日休む暇なく。
※付記
今日(9日)から芝居小屋「康楽館」は座長花形祭り」が、
観光客にも、地元の人たちにも好評だとか。
奈落も見学もでき、
訪れた、東京歌舞伎役者のサインもあちら、こちらに、
それはもう、そうそうたる方達ばかりで・・・。
懐かしい火鉢です。
康楽館の通りには、
赤煉瓦倶楽部。お土産、食事を。
天使館・旧聖園マリア園
鉱山従業員の子供たちの保育施設でした。
小坂鉱山事務所・と小坂町に住む人たちは、
私と同じ年代の両親や祖父母がこんな景色にいたのかと、
鹿角郡が、鹿角市に市制が移行したとき、
小坂町は、鹿角郡のまま、独自の市政を守りました。
当然秋田県には「鹿角市」「鹿角郡」と2つの「鹿角」があります。
ただし去年、鹿角、熊の被害は、
市も郡も関係なく7人死傷者が出たのは記憶に新しいところです。
では!