蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

たはけ(婚)の果て黄泉の別れイザナギの紹介

2008年10月12日 | 小説
部族民通信HP版(左ブックマーク)に先週掲載した「たはけの果て黄泉の別れイザナギ」(長編詩)を紹介します。長いので全体はここには載せられません。自殺したイザナミの野辺送り、イザナミの死に霊が骸から立ち上り、殿に続くと言う段です。HPに入って全文(PDF)を読んでください。

野辺送り山狗の遠吠えがはなむけ

覚えているかイザナミ、あの日夕べの野辺送り
お前の骸を引く祭り車には付きそう者一人なく
儂が一人、骸のお前が一人のしら葬列だ

お前の青く冷たい身体が白木綿(しらゆう)に
黄麻荒縄きつくくるまれた
その重みを木綿布ごと抱きしめ、
お前を車に置き惜しみ、荷板に置かれず
置かねば進めず進まずに送りができようか

=中略=

その時儂は見た、
骸くるむ白木綿から煙が天に引かれるよに、
愛しいお前がぼうと夕闇に現れた
紺の薄衣(きぬ)単衣、髪は手櫛に梳かれ
後ろに束ね長く腰までひた垂れていた

お前は祭り車のすぐ後ろにたった。
一歩進んで歩みとめ二歩前に出てはとまり
死の悲しみと儂との別れを嘆き、
うつむきに無言のまま肩を震わせた。
いとおしさ見つめ募ってその姿思わず儂は
イザナミと叫んだ
それに応えず顔振り上げずただ肩振るわせて
お前は泣いていたのか。

イザナミとはもう唇(くち)も肩胸乳も愛せない死の別れ。葬列の殿(しんがり)で死を悲しめ、お前の屍に涙を落とせと儂はお前を励ました。


鹿屋野姫が鉦を叩きチーンと響かせた。そしてその場を小さく舞い、男は杖で地を叩く。小声でイザナミイザナミと祈る。

「ハイヤーハレヤー、皆様。イザナミはおのれの死を受けとめられなかった。今一度イザナギに逢いたくて、愛されたくて抱かれたく、捨てられぬ恋の焦がれに想いがあまり、死に霊となってその影を現しました。
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三浦和義、嘘人生の総決算

2008年10月12日 | 小説
三浦和義容疑者が移送先のロス市警の拘置所で自殺(08年10月11日11時45分、現地時間)。本日の新聞にも1面トップで取り上げられています(Y新聞)。彼の自殺に対しての反響は一様に「意外だ」「自殺する様な人間ではないと思ってた」が多い。
佐木隆三氏が「追いつめられての最後の大芝居」と他の反響とは一つ異なった分析を出しています。ここでは部族民(精霊信仰、汎神教)の立場から論じてみたい。

三浦容疑者はサイパンで拘留されてから矛盾した主張をくり返していました。彼は自身を(一美さん銃撃事件で)無罪であること、さらに無罪は日本の法廷で決着がついているので、米国は訴追できないと。しかし米国本土に送致されることには弁護士まで委託して徹底的に反対していた。もし自身が無罪であればサイパンでの長期にわたる拘留に嫌気がさし、送致に合意したはずだ。
また送致に及んで知人には「ロスの法廷で徹底的に戦う」と語ったとか。自殺十二時間前に面会したロス総領事館員には元気であること、食事に誓言があることなどを語っている。しかし自殺、ここも心中と言葉が乖離しています。
容疑者の心中察するに、そのときは、あるいは拘置所の定期巡回の時発見三十分前までは、本人も自殺する気はなかったとみます。突然の決行、誰もがそんな事するはずないとしているなかでの「最後の大芝居」、これが本人しか分からない瞬間にやってきた。
その理由は一つは罪の意識であると、有罪か無罪かは決まってないのに事実をしらない門外漢が勝手に決めつけているわけですが、その根拠にはロス行きを徹底的に忌避していた事で可能性が高い。無実ならば同意し、とっくに行っている。

二番目には、これがより強い理由かも知れませんが、有罪となる(可能性が高い)事は彼自身の全人生の否定になる。それが嘘、詐欺、世間体取り繕いだけの人生としても、彼がよりどころとしていた人生の全否定になります。一見優雅な生活の破滅、米国での長期の懲役刑、世間体の失墜。六十一歳ともなればもう取り返しがつかない。精神的圧迫に押しつぶされたためとみます。

すると大芝居ではなく「ふと死にとりつかれてしまった」が正しい。彼の飛行機内での写真、うつろな目つきがそのあたりを語っています。初老期にはよくあるパターンとか。

部族民の精神世界を知りたい方は左のブックマークをクリックしてHP版に。
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