蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

怨霊と聖、ひの薪能の葵上を見て 3

2008年10月07日 | 小説
世阿弥の名作葵上に対して原作の源氏物語を「霊対祈りに矮小化した」なんて勝手な言いがかり評論を(10月6日)流し、恥さらししております。その上塗りのつもりで本日も。矮小化と評するその1;
原本の葵では、生き霊として出現している六条の御息所がどのような心理であったか、霊が離脱したときと、正気でいるとき、正気でいても葵のことばかり気になる、(あんなに悪さしたはずなのにと心の深層で思っていて)葵が無事出産したと聞きさらに穏やかでなくなる。この心理描写は女性なりのこと細やかな描写で、生き霊として跋扈する背景に引き込まれる。紫式部の得意なところです、これぞ小説です。
かたや世阿弥の葵上では;
舞台では何言ってるか分からなかったので、謡曲を後で読むと「あら恨めしや、今は打たではかない候まじ」(シテ)これを受けて有名な箇所「六条の御息所ほどの御身にてウワナリ打ちの御振る舞い」(ツレ)がでてきます。
ウワナリ=後妻のこと、前妻が後妻を打擲すること。前妻といっても前から居て、後妻が入ってきても居る妻。当時(中世、近世)重婚は普通だった。しかし前妻は後妻をウエルカムホームとは絶対言わない。感情的に受け入れない。「ウワナリ打ち」が言葉として残るほどに横行していた。時代さかのぼって高貴な階級(平安期の貴族)では前妻と後妻が同居するはずはないので、その階層ではなかった。源氏でもその言葉はありません。卑小な「恨み」が全面にでて、六条の御息所の心の葛藤が読めない。

その2
生き霊、恨みをもって悪さする悪霊に対決するのが「横川の小聖」。聖とは何か、広辞苑を参照すると「高徳な僧」と出ているが、ここは山の聖=修験道の行者から、山で行を終えて叡山(横川)の一角に祠を構え加持祈祷を行う修験者です。舞台の衣装も修験者(山伏)で出てくる。
中世は神仏混淆が最盛期になっていた時期です。密教の秘密性と修験道の山岳信仰が重なり、仏教でも神道でもない奇妙な、呪術を基盤とした土俗信仰が猖獗していた。小聖も土俗に適した悪霊の調伏をもっぱらにしていたのではと思います。今の方が修験道の基礎は密教で、呪術ではないとは言ってますが。
実はこの信仰(山岳での鍛錬)呪術と祈祷(悪霊対善なる神)が中世・武家階層の基盤であった。源氏物語時代の密教(曼荼羅と加持祈祷)と比べると、土俗性が色濃くなっている。王朝貴族社会から鎌倉、室町になると、板東武者をはじめとする野卑な武士が権力を握ったので、当然歌舞もその土俗化の影響を受ける。土俗性への矮小化が葵上であって、これは源氏物語の精神風土とは全く異なります。
世阿弥の作品は原作とは全く関係がない作品でした、世阿弥にすっかり騙されてしまいました。
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コメント
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