分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期


分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期
江戸時代中期の土屋安親(やすちか)の作。安親は奈良派の金工で、それまでの金工が古典的な画題や後藤家のように時代の器物などを図に採ることから発展させ、同時代の風俗や新趣の文様など様々な画題に挑んでいる。
この鐔は分銅鐔ではないが、分銅形鐔を手本とし、楯状に意匠してかつてない作品としたものとして紹介する。江戸時代には、このような太刀鐔そのものをデザインした打刀の鐔も製作された。後に紹介するが、それ以前から、太刀鐔の意匠はそのまま打刀の鐔に採られている。
鉄地を薄肉彫で唐草唐華文を廻らし、猪目を品良く配して腕抜緒の小穴としている。上下を繋いでいる耳には龍頭を意匠し、中国伝来の風情を演出している。縦80.5ミリ。□

分銅形鐔 後藤清乗
分銅形鐔を打刀鐔に意匠したもので、江戸時代後期の作。後藤家清乗家七代目の工で、雪心斎と号する。後藤家にあって、後藤らしからぬ作風を専らとし、鉄地に正確で精巧な構成になる絵画風作品などを見る機会が多い。この鐔は、朧銀地に龍文を高彫した、もので、造形のみを分銅形から採っている。安親の作と、製作と使用の目的が同じである。


分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期
江戸時代中期の土屋安親(やすちか)の作。安親は奈良派の金工で、それまでの金工が古典的な画題や後藤家のように時代の器物などを図に採ることから発展させ、同時代の風俗や新趣の文様など様々な画題に挑んでいる。
この鐔は分銅鐔ではないが、分銅形鐔を手本とし、楯状に意匠してかつてない作品としたものとして紹介する。江戸時代には、このような太刀鐔そのものをデザインした打刀の鐔も製作された。後に紹介するが、それ以前から、太刀鐔の意匠はそのまま打刀の鐔に採られている。
鉄地を薄肉彫で唐草唐華文を廻らし、猪目を品良く配して腕抜緒の小穴としている。上下を繋いでいる耳には龍頭を意匠し、中国伝来の風情を演出している。縦80.5ミリ。□

分銅形鐔 後藤清乗
分銅形鐔を打刀鐔に意匠したもので、江戸時代後期の作。後藤家清乗家七代目の工で、雪心斎と号する。後藤家にあって、後藤らしからぬ作風を専らとし、鉄地に正確で精巧な構成になる絵画風作品などを見る機会が多い。この鐔は、朧銀地に龍文を高彫した、もので、造形のみを分銅形から採っている。安親の作と、製作と使用の目的が同じである。