枝菊文図太刀鐔 (鐔の歴史)


枝菊文図太刀鐔 室町時代
過去に紹介したことがある。泥障木瓜形でずんぐりとした猪目が四方に配されている。耳は極厚で、耳にも菊文が高彫されている。大切羽にも同じ文様が高彫され、小さな猪目も組み合わされている。太刀拵そのものは残されていないが、おそらく総体が枝菊文で装われた、豪壮な趣が充満したものであったと推測される。この菊文で興味深いのは、古金工に間々見られるような菊の表現ながら、その所々に十六葉の菊紋が散らし配されている点。如何なる意味があるのであろうか。櫃穴が後に明けられ、赤銅で埋められた痕跡があるところから、江戸時代には打刀拵に装着されたことが判る。このような使用はごく普通のことであると理解されたい。縦82ミリ。


枝菊文図太刀鐔 室町時代
過去に紹介したことがある。泥障木瓜形でずんぐりとした猪目が四方に配されている。耳は極厚で、耳にも菊文が高彫されている。大切羽にも同じ文様が高彫され、小さな猪目も組み合わされている。太刀拵そのものは残されていないが、おそらく総体が枝菊文で装われた、豪壮な趣が充満したものであったと推測される。この菊文で興味深いのは、古金工に間々見られるような菊の表現ながら、その所々に十六葉の菊紋が散らし配されている点。如何なる意味があるのであろうか。櫃穴が後に明けられ、赤銅で埋められた痕跡があるところから、江戸時代には打刀拵に装着されたことが判る。このような使用はごく普通のことであると理解されたい。縦82ミリ。