這龍図小柄 (鍔の歴史)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/96/9e9acfa23d3bb509efcf4b8664a6f503.jpg)
這龍図小柄 後藤廉乗
後藤宗家十代廉乗。この作例でも、金地を打ち出して塑像を作り、赤銅魚子地に据紋していることは、写真で判るだろう。胴体に丸みがあり、際端が目貫のように絞られ、くっきりと立っている。赤銅魚子地に金地高彫据紋の大きな魅力である。
江戸時代中期、後藤家は京から江戸に活動の場を移す。江戸が発展して経済活動もまた江戸に重点が置かれるようになったからに他ならない。後藤家は、単に装剣金工作品を製作していただけではなく、幕府の命で確かな貨幣を製作することにより貨幣の信用度を保持する立場にあった。
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這龍図小柄 後藤廉乗
後藤宗家十代廉乗。この作例でも、金地を打ち出して塑像を作り、赤銅魚子地に据紋していることは、写真で判るだろう。胴体に丸みがあり、際端が目貫のように絞られ、くっきりと立っている。赤銅魚子地に金地高彫据紋の大きな魅力である。
江戸時代中期、後藤家は京から江戸に活動の場を移す。江戸が発展して経済活動もまた江戸に重点が置かれるようになったからに他ならない。後藤家は、単に装剣金工作品を製作していただけではなく、幕府の命で確かな貨幣を製作することにより貨幣の信用度を保持する立場にあった。