二つ木瓜雷文透図鍔 長州埋忠
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二つ木瓜雷文透図鍔 長州萩住埋忠作
京都に栄えた埋忠派は、江戸時代前期から中期にかけて各地に移り住んでいる。中でも江戸埋忠は活動が活発であり、京を凌ぐ勢いであった。また、長州に移住した埋忠派の流れを汲む工も発展している。写真の鍔は、作風は明らかに埋忠の文様美の追求であり、後の長州鍔工の作風とは風合いを異にしている。鉄地地透の地面を腐らかしとして鍛え肌を明瞭に表わし、処々に金布目象嵌象嵌を散している。恐らく多くの布目象嵌が落ちてしまったのだろう。だが、微かに遺されている金の切れ端が、面白い景色となっていることは明白。剥落する布目象嵌の性質を活かした表現であろう。即ち、作者は布目象嵌が落ちることを計算して作品化している。この思考は、肥後金工も採り入れ、活用していた。
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二つ木瓜雷文透図鍔 長州萩住埋忠作
京都に栄えた埋忠派は、江戸時代前期から中期にかけて各地に移り住んでいる。中でも江戸埋忠は活動が活発であり、京を凌ぐ勢いであった。また、長州に移住した埋忠派の流れを汲む工も発展している。写真の鍔は、作風は明らかに埋忠の文様美の追求であり、後の長州鍔工の作風とは風合いを異にしている。鉄地地透の地面を腐らかしとして鍛え肌を明瞭に表わし、処々に金布目象嵌象嵌を散している。恐らく多くの布目象嵌が落ちてしまったのだろう。だが、微かに遺されている金の切れ端が、面白い景色となっていることは明白。剥落する布目象嵌の性質を活かした表現であろう。即ち、作者は布目象嵌が落ちることを計算して作品化している。この思考は、肥後金工も採り入れ、活用していた。
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