鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

李白観瀑図鐔 安親 Yasuchika Tsuba

2011-09-11 | 鍔の歴史
李白観瀑図鐔 (鍔の歴史)


李白観瀑図鐔 安親

 中国の詩人李白を題に得た図で、背景は中国で培われた山水図。全く金家とは異なるのだが、この鐔を見ながら、ふと、安親は金家を手本として習作を手がけているのではなかろうかと考えた。もちろんこの作品はまさに安親そのものであり、金家の求めた古代中国の伝承などと同様の題を得ているに過ぎないのだが。多くの題材に目を向けて多数の作品を遺した安親なら、金家そのものを習作したのではないだろうか。
 安親の人物描写は巧みである。ここでは、銀象嵌に精巧な鏨を加えて写実表現し、細部の描写で表情だけでなく表情を穏やかにした人間そのものを再現している。
 鉄地高彫に金象嵌。耳をわずかに打返耳にしている。顔の拡大を、二例だけだが金家のそれと比較されたい。安親の技術力の高さが感じとれよう。77.2ミリ。□


山水図鐔 東雨(土屋安親) Touu Tsuba

2011-09-10 | 鍔の歴史
古金工 (鐔の歴史)
山水図鐔 安親





江戸時代の高彫色絵象嵌などの表現手法は、これまでに紹介してきたような(作例上四点)、古金工や後藤、古美濃、平安城象嵌、古正阿弥などの技術が基礎となり、桃山時代を経て様々な技法が考案され、図柄表現においても、素材の多様性も増していった。
 殊に金家の人物描写の例を示したように、顔、目、口など表情の精巧で正確な彫刻による表現が進んだ。もちろん江戸時代中頃の、絵画で言えば円山応挙による、事物を観察することによる写実性の再確認を経ての絵画表現を背景とした正確な彫刻もあるが、金工の基本でもあるように、実は本物のような立体ではなく薄肉彫程度の高彫表現であるにもかかわらず、そこにあるかのように再現するという点での金工の表現技術の進歩は言い尽くせない。
 具体的な高彫の種類では、量感のある高彫、肉の低い薄肉彫、背景をすかした高彫地透、主題の輪郭を鋤き込んで顔などの高肉部分は薄肉彫する肉合彫などがある。この最期の肉合彫と平象嵌を組み合わせて人間を描くことに長けたのが奈良派の杉浦乗意。その先輩格に当たる土屋安親、利壽などは奈良派本来の風合いが顕著な高彫を専らとしている。安親については豊富な画題、様々な事物に興味を抱いたものであろうか、その探究心の広さは驚かされる。
 先に奈良派の先達、利治の浜松千鳥図鐔を紹介したように、さほど知名度は高くはないものの、奈良派には優れた技量の工がおり、江戸時代の金工隆盛の一翼を担っていたことが推測される。


山水図鐔 東雨
 写真は奈良派の中でも最も作品数が多く、古典的な作風から独創に長けた新趣の作品まで幅広い作風を展開した安親の、中国の山水図を手本とした鐔。先に紹介した浜松千鳥図鐔とは同じ鉄地高彫象嵌の手法。金家の山水ではなく、明らかに古典。墨絵のような風合いを、さほど肉高い工法ではないにもかかわらず遠近感を出して巧みに表現している。左上に突き出した岩が最も肉高い。東雨は安親の号銘。76.3ミリ。

許由巣父図鐔 奈良 Tsuba

2011-09-09 | 鍔の歴史
許由巣父図鐔 (鐔の歴史)


許由巣父図鐔 無銘奈良

 金家の流れを汲む作例とは言い難いが、金家を意識していることは明白。確かに図柄や構成は随分雰囲気が違っているも、鉄地高彫象嵌の風合いは金家と同じように古画の趣を求めた結果と言えよう。
 金家の場合は巣父だけであったが、ここでは、自らが皇帝に推薦されたということを聞いた耳が汚らわしいとして耳を洗った許由、その下流の水が汚らわしいとして牛に与えなかったという巣父の関係性を示している。いずれも清廉さを重んじて山中に生きた隠者であり、武家が採るべき道の一つと捉えられたものであろう、装剣具には間々みられる図である。
鉄地高彫に金銀赤銅の象嵌、正阿弥系の布目象嵌などを多用している手法で、金家のような共鉄象嵌はない。絵画表現、高彫の手法、微妙な彫口などの進歩の様子も、作位は別として金家と比較して鑑賞されたい。78ミリ。

巣父図鍔 金家 Kaneie Tsuba

2011-09-08 | 鍔の歴史
巣父図鍔 (鐔の歴史)


巣父図鍔 山城國伏見住金家 

 巣父の表情をごらんいただきたい。偏屈と言われようがなにものにも屈しないぞという強い意志の現われた顔つきを巧みに表現している。これほどまでに人物の表情を捉えている例は、絵画風鐔の先例は間々みられるも、金家からと言えよう。絵風鐔の創始者という捉え方ではなく、人物描写の優れた作者とみるべきであろう。このような作例から、奈良派などの人物表現が生み出され、完成されていったのであろう。
 余りにも有名な、古代中国の話だから図柄を詳しく説明する必要はないと思う。世俗を嫌い隠棲した巣父の姿を捉え、しかも優れた表現で、絵画に留まらない世界を創出している。この場面も、伝説としても武士の戒めとしても有名であったが故絵画にも多く表現されており、また、現実に複数の金家作品が確認されている。それらを比較観察することについても楽しみたい金家である。72.5ミリ。

月見舟図鍔 金家 Kaneie Tsuba

2011-09-07 | 鍔の歴史
月見舟図鍔  (鐔の歴史)


月見舟図鍔 山城國伏見住金家

 空にあるのは風に流れる雲間の三日月であろう、優れた意匠の鐔。裏の山並みも低い位置に描いて乱舞する千鳥を印象深く構成している。小舟を操る人物と、舟先にあるのは笠かうずくまる人物か、笠とみたいが・・・。金象嵌が施されていない作例である。象嵌は銀の笠のみ。裏の山に加えられている毛彫が、金象嵌を落とされた痕跡である可能性がある。
 金家の鐔に金象嵌は少ないものという認識があり、製作時は比較的金象嵌が多用されていたものであろうが、悲しいかなその象嵌が落とされてしまった例がある。これもそのような一つか。おおらかな竪丸形に打返耳、地面には鎚目が強弱変化を付けて施されており、地鉄の味わいには魅力がある。見たままの時代観で、それで良いのか心もとないが、金家としては比較的後期の作であろうか、月や空を大きく捉えた意匠の工夫などにもそれが感じられる。87.5ミリ。

山水図鐔 則亮 Norisuke Tsuba

2011-09-06 | 鍔の歴史
山水図鐔 (鍔の歴史)


山水図鐔 則亮作

 江戸時代後期の尾張鐔工である則亮は、桃山頃の信家や金家を手本とし、江戸時代に応じた洒落た風合いを創出した名工の一人。鉄地一色からなるこの木瓜形の鐔も、浅い鋤彫で遠い山並み、帰雁の群、近景には川辺の様子を描き、山水古画を想わせる画面を創出している。裏面は富岳に美保の松原。これも同じ手法だが、絵画の志向は富岳を題に得た様々な絵画が生み出された江戸時代の特質を垣間見せている。妙趣漂う作である。76ミリ。

周遊図鐔 金家 Kaneie Tsuba

2011-09-05 | 鍔の歴史
周遊図鐔 (鍔の歴史)


周遊図鐔 山城國伏見住金家

 水辺の景色は絵になる。表裏とも、山陰に塔の見え隠れする風景を背景としている。主題は川下り、あるいは湖水に舟遊びする人物。鉄地を拳形の変り形に造り込み、耳を打返鋤残耳に仕上げ、地には鎚の痕跡を鮮明に残し、高彫象嵌を駆使しているところは良くみられる手である。人物の顔はわずか3ミリ程度だが、金家の人物描写にままみられる少し頬のこけた引き締まった顔つきなど表情もわかる。山の様子は、これまで見た作品に比較して少し険しい。
 独釣図、舟下り図、水辺の風物も絵になるようで、波に突き出した岩、芦原、干網、蛇籠もままみられる。高彫に毛彫、波は毛彫や鋤彫もあり、下草や芦などには象嵌を加えた例もある。その微妙な彫際に漂う情感を楽しみたい。80.5ミリ。

山水図鐔 貞次 Sadatsugu Tsuba

2011-09-03 | 鍔の歴史
山水図鐔 (鐔の歴史)


山水図鐔 長州萩住有田源右衛門貞次作

 材質は真鍮地、形も変わり木瓜形、象嵌は布目式、いずれも金家にはないのだが、明らかに金家を意識した作。打返耳による画面に端縁部の処理、素材が示す夕暮れ時を思わせる空気感、近景に捉えた現実味のある題材、山並みはないものの遠景に捉えた帰雁の様子など、単に山水図の古画を題に採ったのではなく、金家伝と見て良いだろう。手法は正阿弥派の特徴があり、言うなれば金家以前からのもの。貞次(さだつぐ)は江戸時代中期の長州萩の鐔工。金家を視野に捉えながらも独創を追及したもので、名品である。78ミリ。

帰雁図鐔 Tsuba

2011-09-02 | 鍔の歴史
帰雁図鐔 (鐔の歴史)


帰雁図鐔

 無銘だが会津正阿弥派の作。遠く霞む山並みに塔、近景として小舟に釣り人、芦が水辺に迫り、帰雁の群が見える。余りにも揃い過ぎているかとも感じられる作で、金家再現の意識が鮮明であることがわかる。85ミリ。


帰雁図鐔

 金家が宗湛・宗継筆の襖絵を見たと思われるように、この金工も宗湛・宗継筆の襖絵、あるいはそれを写した狩野派の作品を見たのかもしれない。この鐔では水辺の芦を省略して小波の立つ水面のみを背景としている。呼び合う雁、すうっと舞い降りる雁、桃山頃に流行したであろう芦雁図を手本とし、金家とは異なるも同趣を表現している。87ミリ。

人麻呂図鐔 金家 Tsuba

2011-09-01 | 鍔の歴史
人麻呂図鐔 (鐔の歴史)


人麻呂図鐔 山城國伏見住金家

 先に紹介した人麻呂図鐔とは同図で別の作例。前作と比較してご覧いただきたい。
 以前にも述べたが、同図が間々みられるのは、金家も猿猴捕月図など古図を手本としているように、図の定型化が始まっていることにあると思う。同様に同図を手本とした後代作、あるいは全くの偽物も考えられる。この両作例を比較し、精査しても、どちらかがひどく劣るというものではない。造り込みが拳形と木瓜形で異なり、同図でありながら人物の表情などが異なることにも視点がおかれよう。なんて面白いのであろうか、どちらが真作であると探り論ずるのもよろしいが、作品の比較を楽しみたい。
 もう一つ、裏面の釣り人図。正阿弥一光も手本としている風景で、金家らしい構成。遠く山陰に塔が窺え、なんとなく夕暮れ時の空気感が感じられる。表と裏の図柄の連続性はない。一光の場合には、表に塔を描き、裏に釣り人を布置して表裏の連続を目論んでいる。金家とは大きな違いである。