新笠通信 奄美電信版

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みんようからほうりきをじょきょしてみますた?

2008-09-02 08:16:25 | Diaries
おはようございます



月曜日に石垣島の映像を見ることができたのはさいわいなことでした

南国気分を味わうことができたからです

映像中に八重山民謡が流れていました

沖縄の文化を肌で感じることができるのは現代では聴覚から得られる情報に限られるのではないでしょうか

一日中琉球民謡を聴くのと奄美民謡を聴くのではどのような変化が心理にもたらされるでしょうか

本土の人が沖縄民謡を聴くと心理的にどのような効果がもたらされるでしょうか

民謡はごまかしがききません

記述物や造形物といったものは焼き捨てたり破壊することができます

団体にとって都合のよくないものとは事実を叙述的に記録したものや自己主張のある有形物です

団体がテイをなしていく過程での焼却と破壊はまぬがれないものです

団体の色に染まっていない意匠は賊物とみなされやすいものです

自己主張しない生き方というのは無形の文化が受け継がれていることだといえます

自己主張させないことによって大衆を抑えてきた歴史はあまりにも長いものがあります

自己主張をはじめたら頭おかしいととらえるような時代が長く続くわけです

団体の自己主張と人間の自己主張というものがあるわけです

団体の自己主張以外の復唱は認めないという時代があまりにも長く続くわけです

団体の自己主張を誤解なく発することを至上としている人に人間の自己主張とみられるものはありません

人間の自己主張というものはみにくいものであることがほとんどです

空腹になれば食欲が発生します

このくりかえしです

すいていれば自己主張するといった単純なものです

団体が、おなかへった、といえば大変なことです

極めて不当な交換率でものをよこせといっているようなものです

報酬なしで欲を充たさせてくれないかといった感じです

交換なしに関係なしの大原則は徹底されるべきことだといえます

あなたと私は交換によってのみ関係性を証明できる

団体と団体は交換によって関係性がある事実を認められる



奄美と沖縄の民謡を科学的に研究することは大変なことです

自己主張が残されているのは’くち’で語り継がれてきた無形物です

民謡は最大限に自己主張しているわけです

普段から琉球民謡を耳にする人に奄美民謡はどのようにきこえているでしょうか

沖縄と奄美ではあまりにも光と影の強弱が際立ってしまいます

うらみぶし、なげきぶしとしての自己主張がめだつものは人間をなぐさめることには向いていても団体をもてなすことには不向きです

歓びを唄うしらべというものとたましいを慰めるしらべというものがあります

団体の自己主張に対応するしらべと人間の自己主張に対応するしらべというものがあります

奄美民謡は団体の自己主張があまり意識されていないものといえます

団体の全体像をつかめていない状態で生み出されたものだといえます

団体と団体の交換にはまったく参加できていない状態からは団体の自己主張に接する機会は訪れないわけです

団体の自己主張を知らない状態で歌詞が生み出されるわけです



歌詞中の文意が団体に伝わることに支障はないかといった重点意識の置かれ方が異なっているわけです

自己主張というのは団体の耳を気にしながら独自の進化を遂げるものです

団体の耳を気にしていない純粋な自己主張を行える時代などまったくなかったわけです

団体による検閲がなくなってから半世紀ほどしかたっていません

70年前であれば団体によって処罰されるべきだとされる自己主張というものがあったわけです

団体の自己主張は人間の自己主張を超越して当然であるとされたわけです

団体によって処罰されていた表現がどのようなものであったかを知っている高齢者は現在でもいくらでも存在します

団体が本音をもらしてしまうことが有事だということがいえます

根本的に自己主張を認めないという無形の文化が形成されるには団体の自己主張が絶対である期間を長く経ることが必要です



団体の自己主張でない人間の自己主張を残すというのは大変困難なものです

団体が人間の自己主張を組織の自己主張として取り込んだ上で主張として生きることを許可することになりがちだからです

団体によって排除を受けるものが個々の人間の自己主張であるといえます

団体によって排除を受けているものが自己主張だということはわかりやすいものです



琉球と奄美の民謡には明るさの違いがあります

奄美のほうにはあそびがみられません

深刻なことに念をこめてうたに詠むと念じるものとなります

高い精度でまじないがかかることに重きが置かれるような編成からはなかなか笑顔が思い浮かぶものではありません

笑みがこぼれることを求めてないかのようにも感じるわけです

真剣に文言に魂を込めている姿をみると顔から表情は失われていくものであります

効果のなさそうな詠じかたであればさほど問題にすることはありません

用意周到な祈念・祈願へのたましいのこめかたが民謡を笑い事でなくしているわけです



沖縄で琉球民謡のあとに奄美民謡を流すと雰囲気は一変します

琉球調的な雰囲気が完全にくつがえされます

しらべには明確な相違がもたされています

親和性がまったくみられないのにはあらかじめ用意された意図があるためとみられます

琉球の調べにはないものがふんだんにつみこまれているかのようです

琉球調をかきけせるちからが備わっている謎にせまることは大変危険なことです



奄美で琉球のしらべを流すと雰囲気が明るくなったように感じられます

沖縄で奄美のしらべを流すと華やかさがそがれるように感じられやすいかもしれません



わざわいをふせぐ

ことが何にもまして重要です

民謡には災いを近づけない祈りがこめられているものです

琉球民謡は災いをはらうような実利を重視した雰囲気が備えられているものだと思われます

奄美民謡は琉球民謡のしらべをとりたくても原理上とれません

これ以上の自己主張はないと見れます

行政的団体が奄美民謡の後援を行わなくなったとしても

奄美民謡は個性を主張を継続してしまう

これが文化の違いです

どうして続いていくのかは誰にもわかりません

大昔の人がこしらえたしかけだからです



奄美は自己主張をしない諸島です

無形の文化を継続してきているわけです

国会議員経験者が主張するようなことはありましたけれどそれは特殊なケースです

全土の主張ではないわけです

政治力をもたないと主張できない身分環境にあったわけです

団体によって自己主張の排撃がなされたから政治力がないと商売できないと考えるわけです

政治力をもつための主張というのものであれば積み重ねられていきます



代議士でない者が主張していたらかわりものといった段階です

代議士も主張しなくなると誰も自己主張していないことに気づきます

いったん予算が削られると二度と復活しない

といったことが共通認識として強調されます

いったん議席が削られると増加は見込めないという考え方は普通に浸透しているものです

そういう段階にあるということです

ここにはここにしかない時間の流れというものがあります

よその時間の流れとは合流していない部分について静止状態が続きます

よそからはそう見えます



自己主張は有形・無形の表現物に凝縮されます

代議士は国や県や市町村それぞれのレベルで団体を表現します

団体の自己主張を行うわけです

一般の人が行った自己主張は創作物として残されます

有形・無形のものをつくるわけです

自己主張しない人に意見を問うのではなくて

自己主張しない人には同意を求めるものです

希望の方向をもたない人には方向を指定するわけです

意見を持っている人が同意をとりつけていけばよいわけです



奄美出身であることを告げることが異様なことに感じられる時代も経験しているわけです

普通に告げればバカだという雰囲気もあったわけです

県内にそういう差別的感覚があったわけです

離島出身者との婚姻を問題視するような意識に起源をもつものもあるわけです

それが自己主張をしないことにもつながっていると考えられます

さげずまれる状況を社会的に克服しようという主張であれば生まれやすいといえたわけです

鎖国時代に身分をもたなかった人たちの子孫が自己主張することは困難なことだとも考えられます

自己主張というのは県内や県外からみても違和感なく表現することをいいます

県外からみて違和感を覚えるとすればそれは方言のように感じられているといえます

その地方特有の発想だと感じるわけです

島外の人との際立った違いに遭遇したあとの対応にも特徴がみられるともいえます



教員は本土と奄美の親子をよく知っているといえます

引退した教員は本土と離島の親をよく知っているといえます

教員はいろんなことを知っているといえます

職員内部の身分構造も親の身分構造も

農村部の親は教員をヒエラルキーの頂点として扱うので本音はなかなか耳にできないといえます

意見をしない親社会がもともとありました

身分が高い職員にはそもそも意見をしない社会というのができていました

はじめから目上の人には意見をしないという社会が完全にできあがっていたのでした

若いうちは年上ばかりなので意見をする若者はきちがい扱いされやすい状況がありました

昔から続いている慣行ほど便利なものはありません

そんな社会で自己主張をするもなにもないものです

自己主張しないようにプログラミングされているのだから誰も自己表現をしなくなって当然です

そういった空気の中で自己表現していくにはさわらないように避けられている腫れ物そのものになるほどの気合を要します

団体と表現者の関係ほど微妙なものはありません

団体の職員は本質的な疑問をもつと務まりません

あるのは現実の空気だからです



災害はちょっとした工夫で最小限に抑えられると考えられます

訓練がしっかり行われていれば万が一のときにもっとも効果が発揮できます

非常時にもっとも役に立つかは誰もがすぐ気づくだろうと思われます