新笠通信 奄美電信版

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すずめがね♪おにわでこちょこちょこちょ

2008-11-01 07:53:12 | Diaries
ちいさい秋ちいさい秋ちいさい秋
みっつめだぉ

ほぉれっ
http://amamiko77.exblog.jp/9508519/

あなたは何歳まで社会体制に不満を持つことができますか

うまくいってないのは他人や家族や社会のせいだと思うことはありますか

事業がうまくいっていないときどういうことに原因があると分析しましたか

20代のときに成功してはいけないと考えられるものに学生運動があります

20代のグループが社会の転換に成功してしまうと
30代40代50代60代70代が転換後の社会から一時的にも退出させられてしまいます
やはり30年40年長く生きた人間の意思決定にはそれだけの厚みがあります

20代の意思決定は薄っぺらいものといわざるをえません
より多くの人間の人生と向き合うには相当の時間を要します

20前半までで向き合えたといえるのはせいぜい親族と学友ぐらいまでのものです
それから社会に合流してなかなか納得できないことを抱えながらも集合の中で生活をはじめるのです

在学時に学生運動を起こしたとして矛先が学校組織に向いたとします
事務局からすればなんのこっちゃいなです
教員団に向かったとすれば門をたたいて通いはじめた塾生が教員に説教をはじめたということになるわけです

指導体系に基いた修業を継続してきている者がある日突然爆発的に理路整然とした悟りを究めたということにしなければ説明がつかないものです

納得できないことがひとつ、またひとつとふえてゆくには条件が整っていることが必要です
納得できないと考えているのは納得できるようになりたいからです

納得できない。そして納得できていないと思っていることは正しい。

正しいと思っていることを説得できればうまくいくと思う

正しいと考えていることを説明するには正しくないと考えている現象を顕在化させ実証しなければならない

実際に進行している既存の社会構造を転換してゆかなければならない

いいんじゃないですか

20代では時期尚早、30代でも時期尚早

在学時は時にあらず
学校を否定すると学校から退出することを促がされて当然です
社会に合流した先ではどうでしょう
業界団体組織と業界を所管する組織
これらはなくてもいいものではありません

学術団体や業界団体組織や所轄組織とのつきあいには手順があるといえます

要望を実現化していく理路整然としたプロセスがあるわけです

公立学校教員が要望を持つ
所轄組織にアクセスすることが必要だと考えるようになるわけです

現状の運営方式ではよろしくない
と考えているわけです

施設監督者にかけあっても進展は期待できない
教員OBが比較的多い委員会にかけあっても進展が期待できない
組合を通すことが所管団体との応対手段としては最適であろうか
国会を通した所管団体との応対は最適なものとなるであろうか

現状の公立学校の運営はよろしくないから私立学校を設立しよう
とまではならないものです

医療をめぐる環境の実態はよろしくない
業界団体の方針は間違っていると名指しで指摘するとどのような効果が現れるでしょうか
所管団体では有効な方策は示せないと訴えるとどのようなよい効果が現れるでしょう
大学の運営方法は適切ではないと主張するとどのような効果が現れるでしょう

大学で続いている慣行にならっている人とはいっしょに仕事をしたくない
業界団体で続いている慣行を支持する人とはいっしょに仕事をしたくない
所管団体のような仕事の進め方の人とはいっしょに仕事できない

というようなことを言っている30代が発生したとします

上官のような存在の者がこのようなことを知るとこれはまずいと考えます

いっしょに仕事をしたくないのはこっちのほうだという意思表明を業界団体や大学や所轄団体が示すのも時間の問題だろう

学生運動、労働運動につながるものをみることができます

業界の慣行には確かに改善の余地もあったでしょう
1970年代と1990年代とでは社会運動環境ががらっと変わってきます

1970年代といえば学生運動に続く70年安保闘争の余韻が残っていた時代であるといえます
その時代を象徴する気運というのがあるものです

大型団体にレッテルをはられると国内では長くもたないものだと考えられます
大型団体の影響を受けないやり方で業務の拡大を続ける

本流は明らかに大学や業界団体です

大学を嫌うと大学から相手にされない
業界団体を嫌うと業界団体から相手にされない

そうなると人体実験例が報告されるのも必然の流れとして発生してくるわけです

大学や業界団体に頭を下げても門前払いされる下地は昨日今日で整えたものではありません

有権者に頭を下げる容易なほうを選んできたともいえるわけです

一連の活動は労働運動であるといえるわけです

譲渡・贈与・寄進
これら私有財産にまつわる独自の所見が一般化されることを望んでいるわけです
私有財産のあり方に言及するというのはとても性急なことです
私有財産・自由競争の否定につながります
勤務時間と勤務外時間
勤務外時間は私有財産の一部だと考えられます
勤務外時間を否定するような見解を一般化することは危険なことであるといえます

理想的な労働者像というものをうたってしまっているからです
理想的な労働者像の現実化を急ぐことはやりすぎです

共同体内の人間はこのように時間を消費するべきだといった計画は
Communism社会でたてられるべきものだからです
医療サービスの共同財産化を実現する思想になるわけです

サービス業はマネジメントという観点からは慈善事業とすることができません
特定のサービス業を計画経済社会的手法で全国一律に運用してしまうと
いくつかの社会主義国家で発生した失敗とまったく同じような現象が発生してしまいます

完全に自由競争化すると過疎地と高リスク部門は自然に人手不足になるでしょう
実際は純粋な自由競争は行なわれてなく
地方公共団体の存在によってサービスエリアの偏りの修正が実現されると考えられるわけでした
地方公共団体がサービスエリアの補正を実現する重要な役目を果たすと考えられるのです

地方公共団体では医療過疎に歯止めをかけることができなくなっている要因は分析することができるものです

過疎は個人で対策をたてるものではありません
地方公共団体では医療サービス資源の配置適正化に限界が生じている事実があるわけです



団体員の兵隊化を連想させるものがあるという感想を残しておけば十分なのでしょうか
人生観は実に多様化しています
1970年代と1990年代ではあきらかに異なるのです
労働観の多様化
どうしてここまで息の詰まるような窮屈な労働観を示してしまうのだろう

集中力を持続しなければならない場面での緊張感といったものは必要だといえます

ストレスを張りぱなっしにするとのびきってしまうものです

社会契約上団体に拘束されていても精神まで拘束される現代人はそういません

あくまで自主的・自発的な動機による献身というものが尊重されるべきだと考えられるわけです
指示されて、強制されて献身的体裁を保つというようなことは一時的なものでしかありません

精神の自由さまでもが奪われてしまうような管理感を与えてしまうのは考えものだといえます


納得できない原点をさぐってみると
共感できない生き方をしている人物が気にいらないということに行き着くのでしょうか

それは当時の制度運営者側、管理者、財務権限者、ルーツでたどると旧士族の後継へとも繋がっていくのでしょう


冒頭の話に戻すと
年がら年中社会構造に対しての不満を口にしている親を見る子供の試練には大きなものがあります
計算して、行動して変えようとしたことが変わっていないと
変えたいと考えている限り
生きている間は理想を唱え続けなければなりません
変わらないことが確定している事柄に固執して
いつまでもなにかのせいとしておかなければならなくなります

この人の王室嫌いは変えようがないな
王室が嫌いなら嫌いでいいんじゃないの
嫌いでいることでうまくいきているのだろうから
ぐらいにさばさばとらえるものです

王室嫌いになりませんかというようなことにまきこまれてしまうことは人々みながおそれることです

現代の人生で最初から最期まで王室との接点なんてあるものではないのだから
好きだからどうした嫌いだからどうしたというようなものではないのです

嫌いな人は嫌いな人なりに器用に生きているものでしょう


それから世の中には様々な業界が存在しますが
事業がうまくいかなくなるたびに世の中が悪い政治が悪いといって
政治に参加しようとしてしまうと
そういう人を見てしまうと
すべての産業において政治がよくないからこの事業はうまくいっていないというような人がでてきてしまうでしょう
うまくいっていない理由をすべて政治に求めていくことができてしまうのでしょう

うまくいっていないのは社会のせいだ
そういうことでそこから進展がみられることはないでしょう

王室嫌いの人の不満が生きているうちに解消されることはないでしょう
不満が解消されていない親を目にする子供の不満が解消されることも少ないでしょう
今私が生きていることに充実感を覚えたり幸福感を覚えているといったそばで親にこのことについては納得できないとはじめられると
不満を覚えている今を生きていることにつきあわなければならなくなります

おもうようにならない現象のゆえをエンドレスできかされることになります

とにかくみんなよくがんばった
この人の言うようなことだけがとおっていったら相当面白味のない社会が実現されるであろうといった予感は誰もが抱くことができるものです
こういう人だけがいてしまってはいけない
いろんな人がいなければいけない
予測外、想定外の偶然も重なりながら前進していくほうが断然よいわけです

一元管理経済が万能であるという社会、強制管理色のみられる社会では未来になにかを見つけようとするものは現れないものです

この人にとってのみやびとはどのようなものが該当するのだろう
この人にはみやびだけがないということもあるのだろうか
管理社会下での指定、推奨される余暇とはどのようなものだろう
オンタイムでの行動が完全に予定されオフタイムでの行動も予定されたように消化しなければならないというように全時間にわたって行動予定を与えられる社会とはどのようになるのでしょうか

学業期間・社会人の期間を通じて携わっていることが自然に自発的となってきている以上に理想的なことはないといえます
自発的に・自主的にそうなってきてはいないことについて影響を与えようとするとそれは従わせるということになります

やはり従わせたいと考えていることは解消しないものであるといえます
従わせたいという願望が前面に出てしまってはうまくいくものもなかなかうまくいかないと考えられます

20代30代はこのように従わせたいといってくるようなことが目に見えているので
敷居は十分に積んでおくことが経験を積んだものがやっておくべきことだといえます

若年期には簡単に突破できなくて当然なのが正常で健全な社会だといえます
若い者の若いときの考え方にひっくり返されるような社会では成熟した社会であるとはいえないと思います

社会運動の機軸はメディアへと比重が移ってきているものです
本流は一貫して政治の側が担い続けます
そしてメディアの側は各方面に質問を行います
もうひとつはボランティア団体によるパトロールです

おやすみの方はおもしろくないことに首を突っ込まないように
運動家は自分が活性化するような活動に励んで
今日も元気にすごしましょう

かわいいななつのこがあるからよん

2008-11-01 00:43:03 | Diaries
こんばんはっ ほたぞうです

時代を読むとはどういうことでしょう

1960年前後に学生だった人たちは
日米安全保障条約に反対する運動に直面しています

労働組合の求心力・帰属意識というものは戦後、低下の一途をたどっています
労働組合の加入者数をそのまま得票数として換算しても正しい数値は得られないといえます

労働組合活動に熱心かどうかは世代により大きな隔たりが見られてくるようになるものです
組合運動に熱心な層は高齢である層に偏っているものです
高齢になるにつれ組合への帰属意識も高くなっていることがわかるものです

現代人は会社の中で労働組合に加入していても組合に対して特別に帰属意識を持っているものではありません

待遇改善に余地があり、改善要求内容に妥当性がみられるのは、社会が成長段階にあるときです
社会組織が成長中にあり、経営体の成長に見合った個人の待遇面での向上が実現されていないとき
当然改善の余地があり、要求を行う必然性が生じます

経営体の成長に見合った個人の待遇が要求によって実現されたのならば
改善の余地はなくなり、要求を行う必然性は消滅します

経営体の成長度と個人の待遇には適切といえるバランスがあると考えられます

高度成長期は1973年に終わりました
個人の待遇の急激な向上もここでブレーキがかかるのが必然です

次に1991年まで安定成長期がやってきます
1987年からはバブル景気そしてバブルの崩壊がやってくるのですが

自然・適当といえる日本経済の成長は1985年で終了しています

バブル景気時の経営体の成長度を個人待遇判定の指標として照らし合わせることは不適切であるといえます

経営体の健全な成長が進展した好景気として評価することはできないためです

健全とはいえない例外的な好景気の時の経営体を巡る環境もまた例外的な一過性のものにすぎないわけです

1985年前後の経営体と労働者間でどのような合意が実現されていればもっとも理想的であったかと考えると
1985年におけるもっとも理想的な労使間合意像というものをひとつの指標として現在の現実的な労使間合意内容を検討することができます

経営体は発足する時期がまばら、成長過程時期もばらばらで統一された指標を用いることは困難です

経済成長の状況を時系列に表現する指標でそこそこ一貫性を認められるものは日経平均株価のようなものです

物価指数なども重要な指標となりますがここでは平均株価を経済成長指標として使用します


経営体の成長度が日経平均株価に連動しているものとしてとらえると・・・


日経平均が7000円台という記録的な安値は2003年にもありましたが
それより昔にさかのぼると1983年まで存在しません

経済指標が25年前の数値を示すという、ことの重大さがわかりますでしょうか

日経平均が万能な経済指標であるとするのならば、

なにもかもを25年という四半世紀前の数値に変更してしまうことでだいたいのことはうまくいきます

経済指標だけが25年前にタイムスリップしているというのであれば問題ないでしょう

9000円台といってもそれは1984年に記録していた数値です


株価というのは将来の期待を数値で表現しているものです

現在表示されている数値と現実に発生する経済情勢にはタイムラグが発生してきます

現在示されている数値は経済の実勢を反映しているのではなくて、正確に半年後ということではないですけれど、

半年後や1年後といった近い将来の経済情勢を反映しています


これから、示された株価の数値に応じた、経済動態が現実化されていくわけです

25年前のあたいを再現することで乗り切れる危機がふえてきます

25年前の数値に近づけるということが何を意味するかわかりますでしょうか

現在の数値をできるだけ維持してゆくには正社員の絶対数を変更してゆくしかありません

実際1990年代に発生した現象です