新笠通信 奄美電信版

 Copyright (C) 2010 shinkasatsushin All Rights Reserved.

地域包括支援センター

2016-02-13 19:31:09 | Diaries
介護予防プランもしくは介護ケアプランを作成する時には、
夫婦もしくは親子の関係がうまくいっていないということを
兄弟の関係がうまくいっていないということを、
現場ではじめて認識することもあるでしょう。

いずれ老夫婦どちらも介護プランを必要とする時期がくるでしょうが、
同居しているのに事実上祖父の世話は何番目の子が、祖母の世話は何番目の子が
といった具合に、同居しているのに離婚後の独立世帯のようになっていて、
戸籍上の子のすべてに同じような話をもっていても会話が成立しないというか、
夫婦の間で風通し、もしくは、親子間での風通し、もしくはその子達、兄弟の間で風通し、
コミュニケーションがまったく成立していないということがあるため、
介護計画、介護の実施において必要が生じて配偶者や子の誰かに通知したが、
家族内でまったく話が伝わっていないということがおこりえます。

祖父の介護について、祖母の介護についてそれぞれ子の決まった誰か一人に連絡がいっていなければ、
一貫して世話をしている人に直接話を伝えないと、
ほかの兄弟の誰かに話をもっていくたんびに連絡がそこで途絶えて、
日常の介護の実施に支障をきたしてくるでしょう。

介護認定を受けるような大きな病気のあとでないと、夫婦間の風通し、
親子間の風通し、兄弟達子供たちどおしの風通し、関係性に、
もう何年も口をきいていないというほど、関係が破綻している、
離婚といった形が成立していないだけで、子の誰に急に通常介護のことで
必要に応じてその都度話をもっていっても、兄弟間で会話を成立させるのに一苦労、
いろんな子に声をかけてみただけでむだな手間がかさんでいったということになります。

離婚はしていないが同居を続けている、
父、母ともにそれぞれが土地家屋を個別に所有管理していて、父、母のそれぞれが子の誰彼に譲った
譲ることになったという、譲ることになるという事実がまずあるわけです。

父は何番目の子に土地家屋を譲ったのになんで介護のはなしが私のところにくるの?
母は何番目の子に土地家屋を譲ったのになんで介護のはなしが私のところにくるの?

ということなんです。
何番目の子であるわたしは土地家屋はどちらからも譲り受けていないのに、
どうして介護のはなしが急にわたしのところにくるの?
という現実をみていないと、子だったら、兄弟だったら介護に関与して当然だろう
といった良好な家族像、夫婦像、兄弟像はお役所の論理でしかないわけです。

夜逃げした人間を観察してみて

2016-02-13 13:14:33 | Diaries
小中学生ぐらいの子供が何人かいるのに失踪、夜逃げする方もおられると思います。
夜逃げした先でもなにか商売をおはじめになるつもりでしょう。
どんな商売であっても、あなたが発明者、あなたが一番初めに産業化を実現したということなどはありえなく、
前々からその道で生計をたてていた先人がその道で活躍しています。

あなたが夜逃げした先で新しい商売をはじめる、ほかの人も互いに競い合って従事している産業に参入していくことになるわけです。
その商売、その道に合流して活動をはじめるわけですが、新しい土地で、どのような位置づけ、立ち位置を思い描いていますか?

商売を開始するにあたって、この産業ならどことどことどこに自己紹介、あいさつにいくと、すんなりスタートが切られる、
そういったことは言葉や宗教や国が違えども、同じことだと思えますか?思えませんか?

大きい集団であろうと、小さい集団であろうと、新しくどこでどのような役割を担うようになったどのような人物ですと
自分が必要と考える、自分の商売に多かれ少なかれ影響が及んでくると思われるところにはすべてあいさつにいくでしょう。

薬物事件からの復帰といったことも、新しい活動をはじめるにあたって、その活動にどれぐらいの情熱をもってとり組んでいるから
力を貸してくださいとあいさつにまわるといったことと等しいことになるのですが、

新しくはじめた活動に情熱を持てないといったことになると、あいさつにならないでしょう。
夜逃げした人間の絵に描いたようなありきたりのお粗末な顛末を描くことやそれをなぞることは簡単でしょう。
夜逃げしたのに新しく商売をはじめる気持ちがあるということはそれなりに重要な要件ですが、
新しい商売をはじめるにあたってあいさつにまわるという発想がもはやどこかにふきとんでいて、
もっと正確に言うと、学校を出なくても、社会性を習得しなくてもそこそこやってこれたという
境遇、環境に身を置いていたために、まだ自己流で通用する、学校を出なくてもまだまだいける
といったことにこだわっている、ほかの人が身につけた素養を習得しなくてもまだまだいける
といった信念をよりどころにしているところがあるため、他の競い合っている人達とは足並みが
揃うことは難しく、まだまだ自分のかわりに誰かがおぜん立て、挨拶してくれると思っている
ところがあるわけです。

誰もが多くの時間をかけて繋いできた人間の関係性、苦労してある一定の人達にしか通用しない
人としての関係性をひとそれぞれ目に見えない財産として持っているわけです。

いちからほかの人との関係性を組み立てる、維持するのがそれほど優先的なことではない
新しくはじめた活動、それを知らない人たちに説明してまわることは優先的なこととは思えない。
ほかの人と関係を築いていく、培っていくことや新しくはじめた活動にたいして思い入れをもてない、
情熱をもてない、いままではばかしょうじきにそれを態度で示してきたわけですが、
いまも他人と関係を積み上げていくことに対した価値があるとは思っていないとすれば、
それなりのあいさつか、情熱を持っていないのになんであいさつする必要があるのか
といった馬鹿正直な態度が続くでしょう。