新笠通信 奄美電信版

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じしゅうかいしゅう

2009-02-21 05:15:04 | Diaries
私が成人式の時、1997(平成9)年1月5日であったでしょうか
笠利町農村改良普及センターでの町内合同式典に出席しました

この日の私の父の行動が不可解でいまだにふかいをおぼえることがしばしばあります
父(祐男)は自身が創作した歌集数編を長男の成人記念の贈答品として当事の朝山毅町長へ贈るといいだしました

結果として短歌が数ページにわたって綴られた配布物が頒布されたわけです

短歌のそれぞれに創作者(父)の名義は記載されていません

ただ表紙には私の成人式記念というようなタイトルが付され、名義のようなものが識別されるのは表紙の私の名前だけであるわけです

父は自身の創作物を他人(私)の名義で配布することになんのためらいももっていないようでした

私の名義(穂高)は自分のものと思いこんでいるようでもありました

自分の名義で自分の創作物を配布しない手口というのはそばでみていてなさけなさを感じるものでもありました


当事父が町長の名前を持ち出してきたというのはなにかしらこだわりがあったからだと考えられます
因縁をつけれるのは町長ぐらいしか思い浮かばなかったからなのではないかと考えられます


当方としては、ひじょうに、はた迷惑です

私の創作したものではないものが、私の名義で、ばらまかれていたからです

その歌集に私の意思はまったく反映されていません

私はひととおり目を通してもいません


私の父には父が必要なのではないかと思えることがしばしばあります

社会性を構築していく上で、推薦者を少なからず必要とする場面は多々訪れます

誰かの推薦によって、今現在の活動が継続できているということを改めて認識する機会を持つことはたいへん重要なことだと考えられます

推薦によって、上級学校へ進学する、実業社会に参加する

公共職業安定所は、人物を推薦によって実業社会へ送り出すところというのには程遠いものがあるといえます

推薦をするほどに人物に対し責任を持つことはできないためです

墨をつけるわけにはいかないのです


この人物に対し責任を負える人物となるとというように考えるものです

誰の手にも負えないといった状況の中に生活者すべてにコストの分担の必要性といったものが生じます

既存の社会の枠組みの中で誰の手にも負えない人物に対しては領域内の生活者すべての負担によって責任を分担してゆくことになるわけです


公正さを著しく欠くと受け取られる事例については、激しい非難が浴びせられていることが健全な状態であると考えられます


私は朝山氏に父のことで相談に行かなければならない

じしゅうにでも


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