今日は壊れかけのRADIOと桜です
まずはさびから
思春期に少年から大人に変わる道を探していたけがれもないままに飾られた行き場のない押し寄せる人波に本当の幸せ教えてよ壊れかけのRADIO
華やいだ祭りの後静まる街を背に星を眺めていたけがれもないままに遠ざかる故郷の空帰れない人波に本当の幸せ教えてよ壊れかけのRADIO
遠ざかる溢れた夢帰れない人波に本当の幸せ教えてよ壊れかけのRADIO
カラオケを歌う機会があっても自分で選曲することはあまりありません
知っている曲が多いというのも考え物です
どうしてもベストチョイスをしてしまおうとするので曲を絞ることができなくなって考えがまとまらなくなってしまいます
この間はSAND’S BARでこの2曲を選択してもらって歌いました
コブクロとか言われてもピンときません
桜という曲を知らないかといえばそうでもないのです
知ってるけどアーティストのことはよくわかりません
さっそくさきほどのさびへ
1990年7月発表
当時レコードからCDへと音楽記録メディアの移行が一通り完了していたと記憶しています
ラジオ文化、テレビ文化についても平行して当時の背景をイメージしたいのですがよくわかりません
一般には民放テレビ番組が全盛期だったと考えられます
トレンディードラマが主流になり始めた頃です
少なくともラジオ放送の全盛期は過ぎ去っていたのではないかと思われます
CDラジカセを手に入れた中学校の時はAM放送のオールナイトニッポンなどを聞いていたものです
とんねるずの全盛期時代でフジテレビ番組をよく見ていました
火曜日のニッポン放送の番組をカセットテープに録音して聞いていたりもしました
FM放送はHNKしか受信できません
布袋寅泰のミュージックスクエアを聴いていたりしました
現在聞くことはほとんどなくなりましたが聞くとすれば火曜日の爆笑問題の文化放送の番組などかもしれません
まあそれはおいといて現在ラジオ視聴は主流ではないといえます
奄美では地域限定のコミュニティーFM局が今年5月に開局しとってもフレッシュなメディアという印象があります
ほぼ毎日地域ゆかりのゲストを迎え楽しいトークが展開されています
明日30日の夕方は高校の同窓が出演するらしいので聴くかもしれません
都市で活躍している人たちがひっきりなしに出演してくれたら楽しいものになりますね
内地で生活している人たちの元気な声が聞けることは島の人にとってなによりものプレゼントになります
徳永英明のこの曲について展開したかったのですがまたいつか機会があったらにします
とかいいながらほんの少し
現在位置で感じている強い印象と時間の経過
最終回を迎えてしまったラジオ番組と祭りのあと
お気に入りの番組が終わってしまったら心の中にぽつんと穴があいてしまったかのように感じる人も多くいるわけです
終了してしまった後にさみしさを感じさせるほどの存在になってしまうこともあるわけです
好きな人へのアクセスが閉ざされてしまったような状況
失恋したことをリアルに受け入れなければならなくなってしまった状況
よくわからなくなってきたのでこのへんで
次に桜
カラオケで歌っている間は一音一音丁寧に発声することしか考えていないので歌詞のイメージなどまったく頭の中に浮かんでいないわけです
それでいちいちあとになって歌詞を読み直してみたりするわけです
名もない花には名前をつけましょうこの世に一つしかない冬の寒さに打ちひしがれないように誰かの声でまた起き上がれるように
これで十分ですね
いやもひとつ
桜の花びら散るたびに届かぬ思いがまた一つ涙と笑顔に消されてくそしてまた大人になった負いかけるだけの悲しみは強く清らかな悲しみはいつまでも変わることの無いなくさないで君の中に咲くLOVE
桜の季節は別れと分かれですね
桜の季節を起点とした前後の生活環境を天秤にかけることはできません
桜の季節にお別れしてしまった環境はもう2度と帰ってくることはありません
学校から社会へ出て行くときにお別れが訪れます
社会へ出てしまうと学校を卒業する時ほどのインパクトのあるお別れというものにはめったにお目にかかれないものです
別れた後になって残しておきたかったメッセージというものが次から次へと出てくるものです
分かれた後にどうにかメッセージを届けることができないものかと悩んでしまいます
忘れ去られてしまう前にありったけの想いをぶつけるチャンスがくるのを待ち望むものです
学校時代に誰かを想うことができるということはよいことです
社会人になると中高生のような恋をすることができなくなるからです
学生時代に残っていた直感というもののまわりが社会の常識的な情報というものですっかり覆いかぶさせられてしまうので恋愛をできる人などほとんどいなくなってしまうのです
追加するとすれば
あなたと誰かのこれからを春の風を浴びて見てる
そうは言うけどなかなかできるものではないですよ
完全に忘れちゃったほうがまだ苦労しなくてすむと思うのに
結局見続けちゃっているうちにいっそう忘れられなくなってしまいますよ
そういうわけで君のことが好きでしたということです
しかもこれからも想ってますということです
誰かが現れるなど夢にも思ってないということです
これはちょっと言いすぎです
風船がふくらんでしまいました
誰かこの風船を届けてください
北風に変わる前に
まずはさびから
思春期に少年から大人に変わる道を探していたけがれもないままに飾られた行き場のない押し寄せる人波に本当の幸せ教えてよ壊れかけのRADIO
華やいだ祭りの後静まる街を背に星を眺めていたけがれもないままに遠ざかる故郷の空帰れない人波に本当の幸せ教えてよ壊れかけのRADIO
遠ざかる溢れた夢帰れない人波に本当の幸せ教えてよ壊れかけのRADIO
カラオケを歌う機会があっても自分で選曲することはあまりありません
知っている曲が多いというのも考え物です
どうしてもベストチョイスをしてしまおうとするので曲を絞ることができなくなって考えがまとまらなくなってしまいます
この間はSAND’S BARでこの2曲を選択してもらって歌いました
コブクロとか言われてもピンときません
桜という曲を知らないかといえばそうでもないのです
知ってるけどアーティストのことはよくわかりません
さっそくさきほどのさびへ
1990年7月発表
当時レコードからCDへと音楽記録メディアの移行が一通り完了していたと記憶しています
ラジオ文化、テレビ文化についても平行して当時の背景をイメージしたいのですがよくわかりません
一般には民放テレビ番組が全盛期だったと考えられます
トレンディードラマが主流になり始めた頃です
少なくともラジオ放送の全盛期は過ぎ去っていたのではないかと思われます
CDラジカセを手に入れた中学校の時はAM放送のオールナイトニッポンなどを聞いていたものです
とんねるずの全盛期時代でフジテレビ番組をよく見ていました
火曜日のニッポン放送の番組をカセットテープに録音して聞いていたりもしました
FM放送はHNKしか受信できません
布袋寅泰のミュージックスクエアを聴いていたりしました
現在聞くことはほとんどなくなりましたが聞くとすれば火曜日の爆笑問題の文化放送の番組などかもしれません
まあそれはおいといて現在ラジオ視聴は主流ではないといえます
奄美では地域限定のコミュニティーFM局が今年5月に開局しとってもフレッシュなメディアという印象があります
ほぼ毎日地域ゆかりのゲストを迎え楽しいトークが展開されています
明日30日の夕方は高校の同窓が出演するらしいので聴くかもしれません
都市で活躍している人たちがひっきりなしに出演してくれたら楽しいものになりますね
内地で生活している人たちの元気な声が聞けることは島の人にとってなによりものプレゼントになります
徳永英明のこの曲について展開したかったのですがまたいつか機会があったらにします
とかいいながらほんの少し
現在位置で感じている強い印象と時間の経過
最終回を迎えてしまったラジオ番組と祭りのあと
お気に入りの番組が終わってしまったら心の中にぽつんと穴があいてしまったかのように感じる人も多くいるわけです
終了してしまった後にさみしさを感じさせるほどの存在になってしまうこともあるわけです
好きな人へのアクセスが閉ざされてしまったような状況
失恋したことをリアルに受け入れなければならなくなってしまった状況
よくわからなくなってきたのでこのへんで
次に桜
カラオケで歌っている間は一音一音丁寧に発声することしか考えていないので歌詞のイメージなどまったく頭の中に浮かんでいないわけです
それでいちいちあとになって歌詞を読み直してみたりするわけです
名もない花には名前をつけましょうこの世に一つしかない冬の寒さに打ちひしがれないように誰かの声でまた起き上がれるように
これで十分ですね
いやもひとつ
桜の花びら散るたびに届かぬ思いがまた一つ涙と笑顔に消されてくそしてまた大人になった負いかけるだけの悲しみは強く清らかな悲しみはいつまでも変わることの無いなくさないで君の中に咲くLOVE
桜の季節は別れと分かれですね
桜の季節を起点とした前後の生活環境を天秤にかけることはできません
桜の季節にお別れしてしまった環境はもう2度と帰ってくることはありません
学校から社会へ出て行くときにお別れが訪れます
社会へ出てしまうと学校を卒業する時ほどのインパクトのあるお別れというものにはめったにお目にかかれないものです
別れた後になって残しておきたかったメッセージというものが次から次へと出てくるものです
分かれた後にどうにかメッセージを届けることができないものかと悩んでしまいます
忘れ去られてしまう前にありったけの想いをぶつけるチャンスがくるのを待ち望むものです
学校時代に誰かを想うことができるということはよいことです
社会人になると中高生のような恋をすることができなくなるからです
学生時代に残っていた直感というもののまわりが社会の常識的な情報というものですっかり覆いかぶさせられてしまうので恋愛をできる人などほとんどいなくなってしまうのです
追加するとすれば
あなたと誰かのこれからを春の風を浴びて見てる
そうは言うけどなかなかできるものではないですよ
完全に忘れちゃったほうがまだ苦労しなくてすむと思うのに
結局見続けちゃっているうちにいっそう忘れられなくなってしまいますよ
そういうわけで君のことが好きでしたということです
しかもこれからも想ってますということです
誰かが現れるなど夢にも思ってないということです
これはちょっと言いすぎです
風船がふくらんでしまいました
誰かこの風船を届けてください
北風に変わる前に
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