新笠通信 奄美電信版

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このブログにもノバルティスファーマ社やアルジェリアで知られる日揮からアクセスがあるんです 3月4日

2015-03-08 15:57:00 | Diaries
 彼は2013年(平成25年)7月5日に神奈川県鎌倉市の医療法人 沖縄徳洲会 湘南鎌倉総合病院を訪れているようですが、

 ノバルティスファーマ社の製品を使用したことによる副作用が疑われるといった場合などに、
「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」68条の10
病院や医師等の医薬関係者の厚労大臣宛報告義務 が果たされないのではないかと、
奄美群島の住民は大変気にしており、本人からの説明が求められるところであります。
(奄美大島64000人・喜界島7000人・徳之島27000人・沖永良部島13000人・与論島5000人)

【堀法律事務所 2015年1月27日】
 旧薬事法は平成26年11月の改正によって、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」との名称に変更されました。
 略称としては、「医薬品医療機器等法」、あるいはもっと縮めて「薬機法」と呼ばれるようです。
 さて、旧薬事法77条の4の2には、平成15年の改正によって、医薬品・医療用具等安全性情報報告制度が設けられていました(実施要領は平成15年5月15日医薬発第0515014号)。同条2項では、病院等にも報告義務が課せられていますが、あまり現場では周知されていないことも少なくありませんでした。
 先ほど必要があって調べる機会がありましたが、この条文は、現行の薬機法では、68条の10に移動しています。

おんなこどもにたばこの宣伝をさせることがどれだけおぞましいことか知っていますか?

2015-03-03 18:47:22 | Diaries
こんばんは きのうは 鹿児島県内の各高校で卒業式がありましたね。

日本では30年前 1985年頃には 未成年に影響力を持つ芸能人にたばこの宣伝をさせないようになりました。

たばこ宣伝を誰かにさせたいと思っている人は、死ぬ直前、息を引き取る直前まで、「去年は市町村がたばこ税をこれだけ受け取ることができたんだ」と、うわごとを言いながら死んでいくほどの、根性を見せてほしい。

たばこ広告を支持する人は、「痛み止めは断る!たばこをよこせ」 と言って息をひきとるつもりだという覚悟をみせてほしい。公正証書を作成できるようにする必要があるだろう。

実地医家のための会 リレーエッセイ

2015-03-02 01:39:00 | Diaries
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認知症のエピソード

松坂 勲

1927年鹿児島県生まれ
旧制七高、東京医科歯科大学医学部卒業
各地の病院勤務、診療所長、特養ホーム配置医などで地域医療、家庭医療を学ぶ
1963年東京都大田区で開業

 彼女はしきりに家へ帰りたがっていた。「いつまでここにいるの。早く家に連れて帰ってよ」こんな荒っぽい不平を言うようになった。
 76歳の彼女は3か月前、自宅で転倒し起き上がれなくなって地域中核病院に入院した。病院の個室でも慣れない環境に混乱して看護師を怒鳴り暴力をふるったらしい。大腿骨折は治癒したのでリハビリのために現在の施設に転医となった。介護付き老人ホームである。
 この方は、40年ほど前に両親を相前後して亡くし、ずっと独身で通してきた。親戚筋も途絶えて全くの一人暮らしだ。
 いつぞや、真夜中に戸外に飛び出し、徘徊しているところを近所の人に見られているが翌日には本人はそのことを記憶していない。近隣の友人、知人が付き添って神経内科に通院はしていた。
 最近、夜間に幻覚が生じ、枕元に出てきた父親にひどく殴られ、自分も必死に抵抗してパニック状態になったというエピソードもあった。譫妄状態である。
 専門医の検査では認知症(レビー小体型)の診断であった。本人は病識に乏しく、その場限りの会話は普通にできるが、将来の生活設計や今日1日をどうやって生きていくのかがわからなくなっていた。夜間の不穏、譫妄は時々出現する。入院中も淋しくなると携帯で限られた数名の知人を呼び出し要件を言いつけている。他人から忠告や注意を受けると機嫌が悪い。足も弱ってきて一人での外出は許可されていない。
 彼女の場合、終活への準備として一応手は打ってある。遺言書はできており、相続人も承諾を得ている。あとは、成年後見人の選任と委嘱である。現在、家庭裁判所、司法書士への依頼手続きも済ませた。これら一連の措置、手続きも知人、友人、地域の人々に動いてもらい、力を借りて実現した。
 事理をわきまえず、判断能力も薄れて時間軸も失はれつつある。最近、歩行も衰え、栄養も徐々に落ちてきている。施設の処遇が不満なら移転先として高級、良質なケア付き老人ホームを紹介、斡旋してあげるのだが、遠くへの移住には頑として同意しない。
 「最後の療養生活は自宅で送りたい」と望むのは、心底彼女の心の叫びであろう。医師の使命感とは別な問題かもしれない。自宅と家族、地域の人々こそ自分にとって最も安心できる、最も親密な共同体である、という思いが彼女にはまだ根強く残っている。本人の希望に沿い自宅へ帰って在宅で穏やかに暮すのが理想だろう。しかし彼女は今の自分にはそれができなくなってきた、という厳しい現実が把握できていない。
 在宅ケアに踏み切るとしても、それも認知症を抱えた独居生活者である。その困難さは容易に想像がつく。彼女の場合、介護保険の利用枠ではとてもやっていけない。ケアマネジャーを始め地域住民や多様な職種がサポート医を含めて、その人と一緒に歩き、寄り添ってあげるしかない。現場では本当に体をはって心身ともにボロボロになって働いている人もいる。皆で知恵を出し合って生活の質を保証する手立てを講ずる方策を見出すしかない。
 それも、医師、コメディカル、ケアスタッフのそれぞれの専門職の寄せ集めでは意味がない。専門職といえどもそれぞれの立場に踏みとどまっていては良い環境づくりができるとは限らない。みんなが本当の意味の介護サポーターになりきるのは大変に難しい。