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実地医家のための会 リレーエッセイ

2015-03-02 01:39:00 | Diaries
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認知症のエピソード

松坂 勲

1927年鹿児島県生まれ
旧制七高、東京医科歯科大学医学部卒業
各地の病院勤務、診療所長、特養ホーム配置医などで地域医療、家庭医療を学ぶ
1963年東京都大田区で開業

 彼女はしきりに家へ帰りたがっていた。「いつまでここにいるの。早く家に連れて帰ってよ」こんな荒っぽい不平を言うようになった。
 76歳の彼女は3か月前、自宅で転倒し起き上がれなくなって地域中核病院に入院した。病院の個室でも慣れない環境に混乱して看護師を怒鳴り暴力をふるったらしい。大腿骨折は治癒したのでリハビリのために現在の施設に転医となった。介護付き老人ホームである。
 この方は、40年ほど前に両親を相前後して亡くし、ずっと独身で通してきた。親戚筋も途絶えて全くの一人暮らしだ。
 いつぞや、真夜中に戸外に飛び出し、徘徊しているところを近所の人に見られているが翌日には本人はそのことを記憶していない。近隣の友人、知人が付き添って神経内科に通院はしていた。
 最近、夜間に幻覚が生じ、枕元に出てきた父親にひどく殴られ、自分も必死に抵抗してパニック状態になったというエピソードもあった。譫妄状態である。
 専門医の検査では認知症(レビー小体型)の診断であった。本人は病識に乏しく、その場限りの会話は普通にできるが、将来の生活設計や今日1日をどうやって生きていくのかがわからなくなっていた。夜間の不穏、譫妄は時々出現する。入院中も淋しくなると携帯で限られた数名の知人を呼び出し要件を言いつけている。他人から忠告や注意を受けると機嫌が悪い。足も弱ってきて一人での外出は許可されていない。
 彼女の場合、終活への準備として一応手は打ってある。遺言書はできており、相続人も承諾を得ている。あとは、成年後見人の選任と委嘱である。現在、家庭裁判所、司法書士への依頼手続きも済ませた。これら一連の措置、手続きも知人、友人、地域の人々に動いてもらい、力を借りて実現した。
 事理をわきまえず、判断能力も薄れて時間軸も失はれつつある。最近、歩行も衰え、栄養も徐々に落ちてきている。施設の処遇が不満なら移転先として高級、良質なケア付き老人ホームを紹介、斡旋してあげるのだが、遠くへの移住には頑として同意しない。
 「最後の療養生活は自宅で送りたい」と望むのは、心底彼女の心の叫びであろう。医師の使命感とは別な問題かもしれない。自宅と家族、地域の人々こそ自分にとって最も安心できる、最も親密な共同体である、という思いが彼女にはまだ根強く残っている。本人の希望に沿い自宅へ帰って在宅で穏やかに暮すのが理想だろう。しかし彼女は今の自分にはそれができなくなってきた、という厳しい現実が把握できていない。
 在宅ケアに踏み切るとしても、それも認知症を抱えた独居生活者である。その困難さは容易に想像がつく。彼女の場合、介護保険の利用枠ではとてもやっていけない。ケアマネジャーを始め地域住民や多様な職種がサポート医を含めて、その人と一緒に歩き、寄り添ってあげるしかない。現場では本当に体をはって心身ともにボロボロになって働いている人もいる。皆で知恵を出し合って生活の質を保証する手立てを講ずる方策を見出すしかない。
 それも、医師、コメディカル、ケアスタッフのそれぞれの専門職の寄せ集めでは意味がない。専門職といえどもそれぞれの立場に踏みとどまっていては良い環境づくりができるとは限らない。みんなが本当の意味の介護サポーターになりきるのは大変に難しい。