筑波大学硬式野球部のブログ

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1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~山田英温(体育1・広島中等教育)

2024年12月10日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




最終日の2人目の担当は、山田英温(体育1・広島中等教育)です。









平素より筑波大学硬式野球部への多大なるご支援、ご声援、ありがとうございます。


1年投手の山田英温です。大変拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。






私がちゃんと野球を始めたのは広島中等教育学校に入ってからです。



それまで野球は公園でテニスボールを使ってやることしかしてこなかったのにもかかわらず、中等の野球に革命を起こす!と、とても意気込んでいたのを覚えています。





野球のやの字くらいしか分からなかった私は、有名な人がやっている事は大体合っているだろうという考えのもと、自分から野球について調べたりして努力していました。



そんな中、イチローの振り子打法に感銘をうけた当時中学1年生の私は、軸足1本で立ち、前足を後ろに振り、その反動を使って投げるという、振り子投法なるものを生み出しました。



実戦初登板は渾身の振り子投法で挑みました。



結果はどうだったか、全く覚えていません。



しかし、ストライクは入らないわ、入って打たれてもゴロがアウトにならないわで、見かねた相手が全員バントをしてアウトになってくれるという大忖度試合になったことは覚えています。



小さい頃から野球をしてきた皆さんには想像もつかないことでしょう。これが弱小のリアルです。







そして高校に入ります。




私は1年生の頃から背番号1をつけさせてもらいました。




高2の時には公式戦で広島県準優勝のチームにいいピッチングをしたことで、ネットニュースに載ったこともありました。




しかし結局2勝が限界で、高3最後の大会も1勝も出来ずにおわりました。最後の夏大の開幕1週間前、私はチームを巻き込む大喧嘩をしてしまいました。




きっかけは些細なことでしたが、そのせいでチームがまとまりきらなかったと思うと今でも悔しいです。








今現在、私は大好きな同期、先輩と日本一目指して頑張っています。






私の事をキリンと言って可愛がってくれる先輩や、ほぼ同棲している同期達と一緒にやる野球が毎日楽しくて仕方ありません。



日本一になる最後の1球、私が投げることを、ここに誓います。










体育専門学群1年 山田英温
広島中等教育学校

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~山田幹太(体育1・彦根東)

2024年12月10日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本ブログ最終日である本日、1人目の担当は、山田幹太(体育1・彦根東)です。












こんにちは。
筑波大学硬式野球部1年の山田幹太です。

日頃から筑波大学硬式野球部への多大なご支援、ご声援の程ありがとうございます。





ブログ執筆の依頼を受けて以降、2年生の先輩方が書いたブログをたくさん読んでから書き始めています。拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけると幸いです。





今回は自己紹介と今後の目標というテーマで話をしようと思います。



出身は滋賀県の彦根市というところです。滋賀県と言えば琵琶湖と言われますが、実は滋賀県の面積の6分の1しかありません。



けどそれ以外に何も無いので地元について聞かれた時には琵琶湖と言います。彦根には国宝彦根城があり、城下町となっています。小中高と市内の学校に通ったため、電車通は経験がないです。







高校は兄と父の影響もあり彦根東高校に進学しました。



1年の時は内野手をしていたのですが、1年秋の大怪我をきっかけに投手(兼捕手)に転向し、今でも投手を続けています。



高校では勉強と野球漬けの毎日を送っていました。
野球ではこれといった成績も残せず、夏も早く負けたため、つまずくことなく筑波大学に入学出来ました。














ここで少し高校の話をさせてください。



彦根東高校は県内屈指の進学校であり、伝統校です。彦根城のお堀の中に校舎があり、入学は一般のみでみんな受験を経て入学します。



彦根城の中のため観光客への打球の危険を踏まえてグラウンドでは打撃練習ができません。そのため、試合ができるというだけで土のグラウンドである筑波大に入った当初は、いい環境だと思っていました。



彦根東高校も覚えて頂けると嬉しいです。







入学後は新人練や6月練、オープン戦期、秋リーグとあっという間の半年ちょっとを過ごしました。



新人練の後、すぐにAチームに呼んでいただき、リーグ戦にもベンチ入りすることができました。吸収の多い充実した期間となりましたが、大学野球のレベルの高さを実感した苦しい期間でもありました。



また同期の30人には多々刺激を受けました。空きコマに自主練する人、ジムに行く人、勉強する人。



いい仲間に恵まれた気がします。
おかげで高い意識で野球に取り組めています。






そんな一年目のシーズンを終えた今、シーズンオフの期間で大きく成長するためにも来年の個人としての目標を宣言したいと思います。



来シーズンの目標はリーグ戦に登板すること、先発として勝利を挙げること、です。



一年の秋季リーグでは使い所がわからず、登板することができなかったので来季こそは成し遂げたいです。                 














体育専門学群1年 山田幹太
滋賀県立彦根東高等学校


1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~山﨑美智(工シス1・大宮開成)

2024年12月09日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の2人目の担当は、山﨑美智(工シス1・大宮開成)です。













マネージャーを務めております、山﨑美智です。

出身は埼玉県ですが、出生地はつくば市、親戚がつくば市に住んでいる関係で幼い頃からよく遊びに行っていたため、つくばのことを勝手に第二の故郷だと思っています。





12年ほど前、つくば駅前のトナリエにあった冬限定の仮設メリーゴーランドが大好きすぎたあまり、この季節になると毎年あのメリーゴーランドが恋しくなります。




小学校低学年の頃に洞峰公園脇のペデストリアンデッキを自律走行するロボットを見た瞬間、好奇心が掻き立てられたことが筑波大を志した最初のきっかけだった気がします。


私は土木工学を学びたくて工学システム学類に進学したのですが、このロボットはどうやら工シスの研究室が実験走行させていたものだったそうです。

大学入学後に知りました。










前置きはここまでにして本題に入ります。

元々大学野球の試合を観戦することが好きだったため、試合運営に携わってみたいという思いが大半。

あとはほんの少し、狭く限られたコミュニティで育った私は、偏った世界しかしらず、それを常識だと思い込んでいるのではないかと高校生の頃から考えるようになりました。



そのような状態を変えたくて、全く異なることをしてみようと思い、入部に至りました。






先輩方に連盟マネージャーとして活動することになると言われたとき、イメージが鮮明には湧きませんでしたが、実際に活動することで憧れ続けたことができるとわかり、見るもの・やること全てに感動しました。


ですが、その感動よりもはるかに多くの大きな責任をすぐに感じ、身の引き締まる思いになりました。


広い視野を持ち、淡々と仕事をこなしていく先輩や同級生を見て自身の至らなさを痛感し、悔しかったです。


他大学のマネージャーから学ぶべきところが多く、吸収し、部での振る舞いに生かそうと努めています。

極度の人見知りでコミュニケーションが不得手ということもあり、当初は浮き足立っている感覚がありましたが、今は慣れました。










私の筑波大学硬式野球部における4年間の目標は、筑波大学硬式野球部、及び、首都大学野球を大きくするとともに自身を成長させることです。


先輩方が培ってきた知識や経験を学び、受け継ぎながらも革新する、そんなことができるようになりたいと思っております。






至らないところも多々ありますが、何卒よろしくお願いいたします。












理工学群工学システム学類 山﨑美智
大宮開成高等学校

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~宮崎莉央(体育1・柏崎)

2024年12月09日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




残すところ2日となったこのブログ企画!
本日の1人目の担当は、宮崎莉央(体育1・柏崎)です。









筑波大学体育専門学群1年の宮崎莉央です。





私は新潟県の柏崎市で生まれ育ちました。
海と山に囲まれた自然豊かな街です。





自然豊かといえば聞こえがいいですが、とんでもないド田舎です。





最寄りのコンビニは徒歩40分、地域唯一のスーパー矢口商店はレジがなくおばあちゃんがそろばんで会計していました。




不便なこともたくさんありましたが大好きな街です。






自分は兄の影響で小学校から野球を始めました。小学校の時は野球に全く興味がなくただ練習に行っていただけのような気がします。




チームも市内最弱で正直野球を楽しいと感じたことは少なかったです。





中学校も市内最弱で正直野球を楽しいと感じたことは少なかったです。



野球やめろやとツッコみを入れたくなりますが、自分もなぜ続けられたのかよく分かりません。







私が本気で野球に取り組み始めたのは高校からです。




地元の(自称)進学校である柏崎高校に進み、野球もそこそこ強かったので文武両道で頑張ろうととても意気込んでいました。




入学してすぐの春季大会でベスト16に進出し、それまで大会で勝ち上がったことの無い私は勝つってこんなに楽しいんだとワクワクが止まりませんでした。




しかし幸先が良かったのはそこまでで、1年の夏大は初戦敗退、その後試合には出られるようになりましたが、自分の代になるまでは公式戦で一勝することも出来ませんでした。




坊主だったこともあり、学校では非常に肩身が狭かったです。なんやかんやあり三年になってからはそこそこ勝ち上がることができましたが、自分の中では全く満足できませんでした。




このままでは終われないということで野球が強くて勉強もできる筑波大学を目指すことにしました。




苦しい受験を経てやってきた筑波大学。私にとって今の環境は最高です。



同級生に甲子園出場経験のある選手が何人もいたり、先輩には150kmを投げる人がいたりと今までの人生ではない出会いがたくさんありました。



リーグ戦ではプロや社会人に進むような選手のプレーを見る機会が多かったです。



練習でも、本やテレビでしか見たことのなかった川村先生が当たり前のように目の前にいて指導をして下さり、受験を頑張って良かったと心の底から感じています。




今の自分はまだまだ実力不足ですが、この最高の環境の中でもっともっと成長して、リーグ戦で登板します!最後までお読みいただきありがとうございました。








体育専門学群1年 宮崎莉央
新潟県立柏崎高校

1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~御田村樹(体育1・大垣北)

2024年12月08日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の担当は、御田村樹(体育1・大垣北)です。











筑波大学硬式野球部ブログをお読みのみなさんこんばんは。
筑波大学体育専門学群1年の御田村樹です。



日頃より弊部へのご支援とご声援ありがとうございます。



今回のブログでは自分の野球人生を振り返るとともに今後への意気込みを書きたいと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。







私は岐阜県の大垣市で生まれ、そこから30分ほど離れた揖斐郡池田町という地で育ちました。



そして私の野球人生はよくある友達に誘われたからという理由で幕を開けました。小学生の時は温知クラブ(おんちクラブ)という漢字ではよく見えるものの音にするとダサいチームで野球をしていました。



そこでは打ってはクリーンナップ、投げてはエースとチームの柱であり、地元ではそこそこ有名な選手でした。



今思えばこの時期が1番輝いていたかもしれません。









その勢いのまま中学では西濃ボーイズという硬式野球チームに入りました。
自信満々で入ったチームでしたが、野球の精鋭たちが集まるチームのレベルの高さと練習のキツさに圧倒される毎日でした。



これが野球人生初の挫折でした。



投手をやっていたにも関わらず、肩を怪我していた時期にはコーチからブルペンキャッチャーをやるように言われ、スラパンを持っていなかった私はパンツを2枚重ね、その間にファウルカップを入れてブルペンキャッチャーをしたこともありました。



そんな怒涛の3年間を乗り越えて、高校では大垣北高校という地元の進学校に入学します。
そこは公立校とは思えないくらい施設が整っており、ウエイトや野球の練習に打ち込み、投手としてもみるみるレベルアップしていきました。




しかし高校最後の夏は思うような結果を出せませんでした。
それでも自分の可能性を信じ、大学野球をやるという決断をしました。



そうして入学した筑波の野球部。
入部して半年、勉強になることも多い反面、失敗して反省する毎日です。




課題を見つけては解決しようとし、その過程の中でまた課題が見つかるということの繰り返しです。



先が見えない状態で模索する日々ですが、正しい積み重ねはいずれ自分の大きな自信や力につながると信じてコツコツ頑張ろうと思います。



信頼できる同級生と頼りになる先輩たちから多くのことを吸収しリーグで通用する立派な投手になることが今後の目標です。



かつての輝きを取り戻し、素晴らしい仲間とできる限られた時間を大切に取り組もうと思います。



今後とも応援よろしくお願いします。 










体育専門学群1年 御田村樹
岐阜県立大垣北高等学校