筑波大学硬式野球部のブログ

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#6 「勘違い」 (平川航/社会3・足立学園)

2021年03月01日 21時35分42秒 | 2021年 俺の話を聞いてくれブログ

こんにちは。筑波大学硬式野球部3年の平川航です。



僕は本音で話すことが苦手です。恥ずかしいので意図的に避けてきました。


しかし林さん→市村→哲司の流れで、もう素直に本音を書いていくしかなくなりました。

なので今回は僕なりに自分の半生を振り返り、僕が思っていることを書いていこうと思います。

拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。

 

 

 

僕は、頭のいい子供だったと思います。

 

 ここで言う「頭のいい」は「勉強ができる」という意味もありますが、今回はその意味合いがメインではありません。
ここでの意味は、「自分の向き不向き」「自分の立場の理解力」「要領がいい」という意味です。

 

小さいころから、自分の能力の限界、器に対する理解があったという自負があります。

ときに他人ができない姿を見て、
「どうして自分の限界が分からないんだろう」「身の程知らずだなぁ」とも思っていました。

と同時に、自分はこうはなりたくないなと思っていました。
だから、不得意なことは早めに見切りをつけて、得意なことに力を注いできました。


不得意なことの筆頭例はサッカーです。幼稚園の頃にサッカーを少し習いましたが全くボールが足につかなかったので、これは向いていないと感じ辞めました。僕とサッカーをしたことがある人なら納得がいくと思います。

具体的に言うと、
リフティング10回できない、ゴールキックを蹴るとほとんど右方向に大きく逸れます。それくらいのレベルです。

 

その一方野球は「俺、向いてる」と思いました。

小学3年生の頃に、4歳上のいとこがカッコよかったこと、1年生の頃から坂本君に誘われていたことから
野球に興味を持ち、通っている小学校の野球チームに体験へ行きました。

すると直感で「これだ!」と、ビビっと来ました。

でも正直体験に行く前から、向いているのではないかとうすうす気づいてはいました。
50m走は学年で1番だったし、ソフトボール投げは学年で2番でした(1位は坂本君)。

こうして将来プロ野球選手になることを夢見て、野球を始めました。


中学生の頃はまだ、当然プロになれると思っていました。

投手をクビにはなりましたが捕手に転向し、足と肩と打撃を活かして比較的早めに試合に出られました。
嬉しいことに地区選抜にも選出されたので、「やっぱりまあまあできるんだな」なんて思っていました。

高校に入ればもっと伸びるのだろう、と自分を疑いもしませんでした。 


しかし現実は甘くありません。


高校入学後は気づけばそれほど身長も伸びず、いつの間にか盗塁される回数が増えていきました。
ノーヒットの試合も増えました。気づけば50m走のタイムは中学3年生の頃が一番いいタイムでした。
強豪校と対戦すると通用しませんでした。

どんどん自分が想像していた成長曲線から離れていきました。

この頃から「自分はプロにはなれないのではないか」という不安が頭にチラつき始めました。

でも小学校の頃からずっとプロになれると思って野球をしてきたので、
「プロになれない自分」なんて認めたくはなくて、目を背けました。

たまたま打てなかっただけ、刺せなかっただけだろうと、自分に言い聞かせました。

 

しかし試合ではやっぱり結果が残せません。

だから「プロになれる」なんてことは自然と思わなくなりました。

いや、思い返すとどこかでまだプロへの未練はあったのかもしれませんが、恥ずかしくてとてもじゃないけど
人には言えませんでした。

 

 

こうして高校野球を終えた自分ですが、高校で野球を辞めようとも思っていませんでした。

それは、心の中で「俺はこんなもんだ」と思いつつも、「まだまだ俺はできる」とも思っていたからです。

自分が井の中の蛙と分かっていながらも、自分に期待している自分がいました。

だから、レベルの高いところで野球をしたらどうなるんだろうと思っていました。

 

しかしそう思ったのには、もうひとつ理由がありました。

それは、
「現実が分かっているふりをして、それっぽい理由を付けて逃げる癖がついている」という自覚があったからです。


高校受験の時がそうでした。進路選択の際、甲子園も狙える強豪校に入ることを考えました。
しかし「甲子園に行けるかもしれない」可能性より、「自分が試合に出られないかもしれない」リスクを恐れてしまった僕は「文武両道のため」「気心知れた仲間と野球をするため」と理由を付けて、強豪校を受験しませんでした。

実際は、逃げただけです。

「競争を勝ち抜いて、甲子園に出る」という覚悟を持てばよかったというだけの話です。

でも先の分からない道が怖くて、踏み出せませんでした。

その後入った高校では最後の夏の大会の結果にはそこそこ満足しているし、第1志望である筑波大学にも入学できたし、
結果だけから見たら十分すぎる高校生活だと思います。過ごした高校生活を全く後悔はしていません。

それでも、僕自身は心のどこかで「逃げた」という感覚を抱え続けていました。


 

自分は、自分が過ごしやすい場所しか選べていない。



井の中の蛙と自覚していてそこから出たいと思っているのに、どんな世界かわからないという不安に負けて
出ることができない。

そんな自分が嫌いでした。

だから僕は、大学くらいは全く通用しなくてもいいから競争する環境に身を置いてみようと考え、筑波大学を
目指しました。

 

 

嬉しいことに受験勉強の成果が実り、筑波大学に合格することができ、野球部に入部しました。

想像以上にレベルの高い環境の中で、上達できるように練習へ取り組みました。

その成果か、幸い何度かAチームに上がることができました。でも、かといって何もできずすぐBチームに落ちる。
そんな日々がずっと続いていました。

 

その日々の中で、自分の中に疑問が浮かびました。

それは「どうして大学まで野球を続けてきたのか?」という疑問です。

プロにはなれない。社会人でも続ける実力はないのに、じゃあどうして?

そして浮かんだ一つの答えは、

「辞めることができなかっただけではないか」という答えでした。

 

自分という人間は、小学3年生で野球を始めた頃から「野球」がアイデンティティだった。「自分は野球に向いている」、そう信じてずっと野球をしてきた。

だから大学に入っても野球を続けるのは自分の中では当たり前だった。

実際のところ野球以外に特にやりたいことは思い浮かばない。だから辞める理由もない。

その野球を辞めてしまったら何が残る?

もし辞めたら自分でこれまでの自分を否定してしまうことになるのではないか?

その「何もなくなってしまった姿」を想像すると怖くて、辞めるという選択ができなかったのではないか?

そんな考えに行き着きました。

でもその答えが100点の正解ではないような気もしていました。

 

 

その後3日くらい悩んでも答えはなかなか出ませんでした。

そんな中寝る前に音楽を聴いていると、ある一曲がめちゃくちゃ沁みました。

それは、あいみょんの「さよならの今日に」という曲です。

「泥まみれの過去が纏わりつく日々だ」という歌詞の始まりがやけにその日は引っかかって、曲を聞き終えた後、歌詞を見ながら曲を聞きました。

するとふと、小学生の頃試合で全く打てず、悔しくて泣きながら素振りをしたこと、中学2年生の頃、全く勝てず監督に
ずっと怒られて辞めようと思ったこと、高校2年生の頃レギュラーを外されて、帯同した二軍の試合でもボロボロで
帰って風呂で泣いたことを思い出しました。

その時、野球を始めたきっかけは「できる楽しさ」「向いてる」だったかもしれない、
けど続けた理由は「できない事への悔しさ」であり、また、それを克服する過程を楽しんでいることに気づきました。

できないとすぐに拗ねてよく親に怒られて、でも出来ないままじゃ嫌で練習して。
そして成果が出たら嬉しくてまた次も頑張って、という感じで気づいたら大学までやっていました。

レベルの低い、井の中の蛙の自己満かもしれないけど、続けてきた原動力は「悔しさ」でした。

本当に些細なきっかけかもしれませんが、あの日に「さよならの今日に」を聞けたおかげで原動力に気づけて、
明日も頑張ろうと思えました。

 

 

さて、ここまでごちゃごちゃと言ってきましたが、結局のところなぜ野球を続けてきたのかに対する答えは、
1周周ってシンプルに「野球が好き」だからだと思います。

だからこそ上手くなれる可能性を自分には期待してしまうし、失敗して落ち込んだとしても簡単には諦められない。

筑波大学に入学して野球部に入部したからこそ、このことに気付けたと思います。

ボコボコにされて、お前はこんなもんだよと教えてもらったおかげで世間知らずにならずに済みそうです。それだけでも大きな価値があると思っています。他人から見れば開き直りだ、言い訳だと一刀両断されるかもしれません。

でも僕が自信を持って価値がある時間だと言えるので、それでいいかなと思っています。

そして高3の時、一歩踏み出してよかったと心から思います。

 

もう一つ気づいたことがあります。

それは、僕も諦めの悪い身の程知らずな人間ということです。

僕は今、Bチームにいます。リーグ戦には一度も出られていません。つまり下手です。


ということは小学生の時に感じた「俺向いてる」という感覚は勘違いだったかもしれません。そして、小さいころから
諦めの悪い人間、身の程知らずは嫌いだったはずなのに、客観的に見たら自分は「1回もリーグ戦に出場できていないのにまだ野球を続けている」人でした。つまり今の僕は、小さい頃の僕がなりたくなかった「諦めが悪い人間」になっていました。

冒頭で自分は頭が良いなんて言いましたが、むしろ逆でした。

でも、そんな自分が嫌いじゃないのでそれでいいと思います。

 

 

野球人生もあと残り1年を切りました。

自己満かもしれないけど、ダサいかもしれないけど、まだできると思えている自分がいるうちは、もう少し自分の可能性を信じて頑張ってみようと思います。

 

長く拙い文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。

 

社会・国際学群社会学類3年 平川航

東京都足立学園高等学校出身

コメント
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