筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い⑱(体育4・吉沢礼士/長野、芸術4・和田尚輝/市川)

2024年08月30日 20時00分00秒 | 2024ラストシーズンに懸ける想い
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
 
 
第18回は吉沢礼士(体育4・長野)と和田尚輝(芸術4・市川)です!
 
 
是非ご覧ください!


お疲れ様です。

学生コーチの吉沢礼士です。



普段あまり自分のことを話さないのでこの場を借りて今までの野球人生を振り返りつつお世話になった方々への感謝の気持ちを述べたいと思います。

思いのほか長くなってしまいました。最後まで読んでいただけると幸いです。


小学1年の冬、兄の背を追い長野南リトルに入りました。

入部当初から全国大会を目指していました。

中1で悲願の全国出場を果たし、目標だった全国での1勝を達成した時はとても嬉しかったです。

また中3でシニアの全国を決めた瞬間もとても興奮したことを覚えています。

中村真也に完封された瞬間は思い出したくないです。


小中では野球の上手い仲間に恵まれましたが
それ以上に一生の友を得ることができました。
これからも仲良くしてください。


高校でも兄の背中を追いかけ県立長野高校に入学。

同期や先輩、後輩にも恵まれ楽しい日々を送ることができました。

特に同期は良いやつばかりで楽しかったです。次の年末こそ飲みに行こう。


休校明けからお世話になった武田先生、小池先生。

もう少し早く出会えていればと何回思ったかわかりません。

あの2ヶ月、本気で野球できたからこそ今の自分がいると思います。

最後の大会を一緒に戦えたことを誇りに思います。


「進学校でも甲子園に行ける」
その言葉を信じて入学しましたが、時間も熱意も何もかも足りていませんでした。

コールド負けで高校野球を終えたものの、野球人生はまだ終われないと思い大学野球を志しました。

そしてまたもや兄の背中を追いかけて筑波を志望。

共通テストで並べ替えの問題を勘で当てたり、二次試験のバスケで最後のシュートが偶然入ったりなどミラクルに次ぐミラクルで合格しました。


入部後、新人練では朝練前に今野と塩田とハウスで打ったことやとにかく声を出したボール回しなどが思い出です。トレで蟻川が吐いていたのも懐かしいです。

CB前の飯塚の一言も面白かったです。

そんなこんなで始まった大学野球生活も先述の通りこれまた兄の背中を追いかける形となりました。

兄はリーグ戦に時々ですが出ていました。

そんな姿に憧れ、自分もリーグ戦に出ることが目標でした。


現実は甘くなかったです。

選手時代を振り返ると今でも苦しかったなと思います。

新人練終盤になると周囲とのレベルの差を少しずつ目の当たりにし、腰痛も重なり少しずつペースダウン。

そして寮生と合流して最初の練習で完全にびびってしまいました。

その日のウエイトの前に傳谷さんと寺原さんに辞めたいと伝えました。

少し考えるように言われ次の日の練習と日立第一高校とのOP戦を欠席しました。

みんなには腰の治療のためと伝えました。

あの時のことは4年間で一番後悔しています。

唯一の同期だけでの試合に出られず、自分だけ置いていかれるような気持ちになりました。

しかし、あの時相談に乗っていただき止めてくれた傳谷さん寺原さんには本当に感謝しています。

傳谷さんをはじめ、選手時代にお世話になったスタッフの方々には感謝とともに申し訳ない気持ちが大きいです。

今こうして学生コーチをしているとプライドの塊のような自分がいかに扱いにくい選手だったかを痛感しています。

Bの紅白戦に呼んでいただいたり天王台で4番を打たせてもらったりなど期待していただけたことが嬉しく、しかしそれに応えられなかったことがとても悔しかったです。

しかし、そんな自分にもたくさんアドバイスをいただき粘り強く向き合っていただきました。本当にありがとうございました。

寺原さんにもたくさんお世話になりました。

オフの朝7時から鳥籠で投げてもらうという、今振り返るととんでもないことをお願いしていました。怪我でたくさんお世話になった他、木村さんともつないでいただき二年間選手としてできたのは寺原さんのおかげです。(就活でもお世話になりました)

ここでトレーナーの木村さんへの感謝も述べたいと思います。

木村さんは自分が1、2年のころ筑波大大学院に所属しており不定期で顔を出しては技術指導やトレーニング指導をしてくださりました。

ハウスで自主練をしていたところたまたま遭遇し、そこから指導していただくようになりましました。

技術向上はもちろん指導を通して色々な先輩方と繋がれたことも嬉しかったです。(最近ご結婚されたそうでおめでとうございます)

たくさんの人の支えがあり、一度はやめようと思った道も2年秋まで突き進むことができました。

そして、筑波でも一世を風靡したあの方とP理論との出会いもあり2年秋の天王台でベストナインをいただき、少しは恩返しできたのではないかと思います。

個人的にはあの天王台で全試合フルイニング出場できたことが何より嬉しかったです。
榊原さんに感謝です。


スタッフミーティングで自分は選手を辞め学生コーチになることを決断しました。

あの時期の感情は複雑すぎて表現することは難しいですが心が動く瞬間がたくさんありました。

当時自分は選手を希望していましたが、様々ありスタッフにならざるを得ない流れになっていました。

ある日の夜中、急に電話がかかって春日四丁目の公園に呼び出されました。

行ってみると現四年マネージャーの3人がいました。
飲み帰りでハイテンションの彼らでしたが、急に真面目になり「礼士が選手やりたいなら応援する」と言ってくれました。

自然と涙が溢れてきました。


その後あらためて考え、そんな仲間のために学生コーチになろうと決めました。


こうして始まった学生コーチとしての日々。

偉大な先輩コーチ陣であった森口さん、榊原さん、古市さんには幾度となくご迷惑とご心配をおかけしました。

それでも自分にCチームを任せていただけたことが素直に嬉しかったです。

そして、この一年は優秀な3年コーチ陣に支えられました。頼もしい限りです。

来年のチームにも期待しています。

他のスタッフとも協力して良いチームを作って欲しいです。

まずはこの秋、もうちょっとの間力を貸してください。

困った時は四年生を頼ってください。ボロボロになるまで働きます。


そして同期の野手コーチ3人
Bヘッドに指名してくれたのに十分な働きができなくてごめん。

他にもたくさん迷惑かけたけど、一番頼りになりました。

常にチームの問題と向き合い続ける仕事できついことばかりだったけど、それぞれが役割を地道に積み上げて少しずつ形になっていると思います。

あとちょっと、選手のために頑張ろう。


あとは後輩のみんなに(いつもBを見ているけどA、Cの選手にも)

まずは感謝を述べさせてください。

いつもありがとう。本当によくやっています。

苦しい中でもよく練習し、プレッシャーの中でよく戦っています。

偉そうなことは言えないけど勇気を持っていろんな人を頼ってください。

特にBCチームの選手。
上手くなりたかったら上手い人と練習してください。

何をすれば良いか分からなかったら学生コーチや川村先生に聞いてください。

苦しいことはみんなそうだし当たり前なのでそこから自分がどう行動するかが大事だと思います。

選手時代の教訓から結局偉そうなことを言いました。みんなの今後の活躍を期待しています。

特に財布の紐が硬いこの僕が奮発した後輩には頑張ってもらいたいです。

ね、岡城くん。

あと同郷の佐野匠。いつも言っていますが僕の分までリーグに出て活躍してください。


最後に同期へ
スタッフミーティングをはじめ苦しいことばかりだったけど
その分、優勝したらとんでもないストーリーになると思います。

だからこそ最後まで苦しんで、苦しんで、最後の最後に神宮で笑って泣こう。

塩、航大、星一郎、飯塚
今が一番大変だと思います。

しかし、みんながグランドとスタンドを「繋ぐ」最後のピースなると思うし、なれると信じています。

残されたチャンスを全力で掴んでください。バッピ、ノックやらせてください。

中西、いつもありがとう。


最後の最後に家族へ
お父さん、お母さん
野球を続けさせてくれてありがとう。

何倍にも恩を返せるような立派な社会人になりたいと思います。

その前に僕のラストシーズンを見届けてください。

兄ちゃん、憧れていたわけではないけど背中を追う人生は悪くなかったです。

次は自分の人生を歩もうと思います。結婚おめでとう。



明日7時から堀江にハウスで投げるのでこの辺にしておきます。


体育専門学群4年 吉沢礼士
県立長野高等学校





こんにちは。

筑波大学硬式野球部4年和田尚輝です。


日頃より筑波大学硬式野球部への温かいご支援・ご声援のほど誠にありがとうございます。


文章を書くのが下手で、現在ヒーヒー言いながら卒論を書いている僕ですが、今回は頑張って書きます。皆さんも頑張ってください。

たとえ最後まで読めなくても、このブログが睡眠の質向上に少しでも貢献できれば本望です。


自分の過去を振り返ってみると、大学初めての試合出場直前に鼻を骨折してみたり、何かするたびに肩を外してみたりと苦い思い出ばかり浮かんできました。

少し落ち込んだので、自分のことについては書きません。

周りの人への感謝をここでは書いていこうと思います。


まず、1番に感謝を伝えたいのは両親です。

1人暮らしを始めて改めて親の凄さに気づきました。

毎日すごい量のご飯を食べさせてくれたり、家に出た虫を退治してくれたりして、当たり前だと思っていたことがとても大変なことなんだと感じました。

仕事をしながら子供3人の面倒を見ていた両親を心から尊敬しています。

本当にありがとうございました。これからもお世話になります。


次に面白みのない僕によく接してくれた先輩方へ。

入部してはじめの頃、いじめられるんじゃないかとビクビクしていた僕に、芸専というだけで面白がって沢山の方々が声をかけてくださいました。

とてもホッとして、良いチームだなと感じたのを覚えています。

寺原さんは何度も怪我をした僕にトレーニングの代替案を考えてくださったり、相談相手になってくださったりと、とてもお世話になりました。

卒業されてからもトレーナーとしてのアドバイスをしていただき、感謝してもしきれません。

僕が学生トレーナーになったのも寺原さんによくしてもらい、寺原さんのようになりたいと思ったからです。本当にありがとうございました。

傳谷さんは新人練の頃から何度も自主練につきあってくださり、嫌な顔ひとつせず何時間もノックを打ち続けてくださいました。

現在自分がノックを打つ立場になって、傳谷さんの凄さと優しさを改めて強く感じています。

僕が選手を引退する決断をした時に1番最初に伝えたのも傳谷さんです。

それくらい信頼していたし、お兄ちゃんのように思っていました。

研究室で傳谷さんのラストノックに行けなかったことだけが心残りです。すみませんでした。

もし傳谷さんのノックをまた受けられる機会があれば絶対に行きます。

トレーナーのもう1人の師匠山﨑さんからは、トレーナーとしての知識のほとんどを学ばせていただきました。

今学生トレーナーとしてなんとかやっていけているのは山﨑さんのおかげです。

山﨑さんといったお寿司の味は一生忘れません。本当にありがとうございました。


ここまで書いて卒論の何倍ものペースでスラスラ書けていることに、自分でも驚いています。

ただ、本当は全員にこのくらい書いていきたいところですが、このペースで書いていくと卒論よりもダラダラと長くなってしまいそうなので、少し抑えめで行きます。

捕球から送球の足運びを教えてくださった松木さん。

暗闇で同級生と勘違いしてタメ口で話したにも関わらず、その後もずっと優しく話しかけてくださった中嶋さん。

守備についてのあらゆることを教えてくださった佐野さんと田辺さん。

環境整美局の初代局長として、いまや大所帯となった環境整美局の礎を築いた川原さん。

怪我人のトレーニングについて色々教えてくださった夏目さん。

自分のくり抜いたバットでリーグでヒットを打った時に、ありがとうといってくれた石毛さん。

これでも全く書き足りませんが、たくさんの先輩方から色々と学ばせていただいて今の僕があります。本当にありがとうございました。

次は後輩たちへ。

学生トレーナーとして足りない部分がたくさんあったと思うし、自分でも何をいってるかわからないようなことも多々あったけどついて来てくれてありがとうございます。

グランド外でもボードゲームやスマブラや麻雀など、僕の趣味に付き合ってくれた人が沢山いてとても感謝しています。 

最近寮生の間でスマブラがプチ流行りしていると堀江君から聞きました。卒論、卒制が落ち着いたら僕もまぜてくれたら嬉しいです。

新人練を一緒に乗り越えた今の2年生は特によく交流してくれてありがたいと思っています。

最近2年生の数名からは変な人と言われることが増えて来た気がしますが、僕は変な人ではありません。

これまでは頼りにならなかったと思うけど、残りの期間で頼りになる先輩になって唸らせてやろうと思います。

あと、うまくいけば大学院生、何もうまくいかなければ大学5年生としてこれからもつくばにいると思います。仲良くしてください。


最後に同級生達へ。

コロナの濃厚接触者になったり、怪我しまくったり、なぜか春C秋Cまで忙しい謎カリキュラムだったりで、練習に参加できないことが多くあり、たくさん迷惑をかけました。

僕が行けない日に代わりに練習に行ってくれた学生トレーナーのみんな、特に水口には沢山迷惑かけました。

僕が芸専でなければ、もっと水口は楽できたでしょうに。

それでも芸術の方も応援してくれる水口は聖人すぎます。ありがとう。

みんなとっても優しくて、芸専であることに理解を持って接してくれたこと本当に感謝しています。

これだけ人数が多くて、これだけつながりの強い組織に属するのは、僕にとってもう人生最後になると思います。

だから残りの期間、このメンバーに出会えた感謝を胸に、精一杯チームのために動いて恩返しをしていきます。

そして、この素晴らしいチームで最後は優勝して、笑顔で大学野球を終わる。

これが僕のラストシーズンへの想いです。


芸術専門学群4年 和田尚輝
市川高校


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