平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第15回は水口耕平(体育4・宮崎大宮)です!
是非ご覧ください!
長いようであっという間だった大学野球4年間が終わろうとしており、まだどこか実感のないまま書き始めたのですが、大学時代を振り返っていきたいと思います。
私は2年の浪人を経て筑波大学に入学しました。
大学4年間は「2浪」という単語がどこに行ってもついてきたような気がします。
入学当時、まだ2浪ということが硬式野球部内に広まりきっていなかった時に3年生だった洲崎さんが同級生ということも知らずに年下の後輩だと思い接してきて「お前なんかかわいいな」って言われた時は気まずさで2浪って言い出しづらかったのを思い出します。
最初は2浪ということがトラブルの元になったり、周りに気を遣わせてしまうのではないか、友達はできないんじゃないかなどの不安がありました。
しかし仲間に恵まれて今では全く2浪ということを忘れるくらい気兼ねなくコミュニケーションを取ることができています。
いつもありがとう。
大学生活を振り返り特に財産と言える2つの経験があります。
一つ目がリーグ戦の出場です。
2年生の時の春リーグではAチームがコロナのクラスターで試合に出場できない時期があり、Bチームが代わりに出場をしました。
私はBチームに所属しておりベンチ入りの連絡が来た時、代打で出られればいいやくらいの感覚でおり、次の日ホワイトボードを見たら4番DHに自分の名前があり、全く心の準備をしていなかったので冷や汗と吐き気が止まらなくなったを覚えています。
試合は負けてしまいましたが、その当時のリーグ戦でMVPだった岩本からもヒットを打ち4打数2安打で打率5割の結果を残すことができました。
その後試合に出る機会はなかったのかって?
実は東海大戦の最終打席にライト前を打って、打球が良すぎたせいかライドゴロになりかけて、慌てて走ったところ全治3ヶ月の肉離れをしてしまい2度とリーグに絡むことはできませんでした笑。
リーグ戦を実際に経験してとても魅力的な場所だと肌で感じることができ、リーグを目指すことの価値を改めて感じることができたし、もう一度あの場所で野球をしたいと思うことができたいい経験でした。
球歴.comのリーグ戦打率5割というページはなんかおもしろいので少しお気に入りです。
二つ目はスタッフミーティングです。
私は最初選手を希望していました。
しかし話し合いを続ける中で、自分がよりチームのために戦力になれる場所はトレーナーではないのかということを考え選手を辞める決断をしました。
スタッフミーティング期間中は全然記憶がないくらいきつい期間でした。
ジムでトレーニングしてた時に絶対俺は選手しかやらない、選手じゃなければ辞めると豪語していた南原がスタッフミーティングで涙ながらに野手コーチになると言ったときは、本当にこころにグッとくるものがあったし自分はあの言葉があったから今のチームがあるんじゃないかと思うくらい大きなものであったと思っています。
ありがとう。
こんなに人とぶつかることもこの先ないだろと思うくらい辛かったし、もう2度とやりたくないスタッフミーティングがあったからこそチームのために頑張ろうという気持ち、この学年のためならやってやるという気持ちが芽生えたと思います。
またトレーナーとして活動するということをきっかけに将来プロのトレーナーになりたいという夢を抱いたので自分の人生には大きな財産となったと思います。
大学4年間は本当に濃いものでありました。
大学野球の思い出なんて語ろうと思えば、死ぬほどたくさんあります。
夜中1人で置きティーをしていたら外国人の2人組のお姉さんがお酒を片手に野球場のベンチに腰掛けてジロジロ見てきて、自分が打つたびに成功したらフゥーみたいな声をあげられて、失敗したらブーイングされたみたいな変な体験から、高校生にトスを投げたら目にボールを当てられて大怪我したり、楽しいものから辛いものまで本当に沢山の経験をさせていただきました。
どの経験も自分にとっては大切な財産です。
長かった大学野球もあと少しで終わってしまいます。正直少し寂しいです。
最後にお世話になった人たちにお礼を申し上げたいと思います。
まず初めに卒業された先輩方、不甲斐ない自分でしたが厳しくも温かいご指導をどうもありがとうございました。
特に自分が選手を続けるために結果を求めて焦っていた時期にたくさんバッピを投げていただいた古市さんやまひろさん、結果が出ないのに少しでもチャンスを与えようとしてくださった傳谷さんや洲崎さん、トレーニングの相談をたくさん聞いてくださった寺原さんには感謝をしています。
またトレーナーになってから面倒を見てくださったおのちゃん、篤樹さん、山﨑さんにもたくさんお世話になりました。
ありがとうございました。
次に後輩、かなり年上の自分だけど、気軽に話しかけてくれてありがとう。
カラオケ行きましょって誘ってくれる岡城や松永、いつも下世話な話で盛り上がってる田代、飲み行きましょって誘ってくれるけど一回も行けてない遠嶋(絶対に今度行こう)他にも沢山の気のいい、かわいい後輩たちに恵まれて本当に幸せです。
いつもありがとう。
次に同期の4年生、遅刻をしてしまったり粗相をしてしまったりなど、迷惑をかけることが多かったと思います。
大変申し訳ありません。
仲間だからと容赦はせずにいうときは厳しく言い合えるそんな筑波大の同期が大好きです。
自分がメンタルが落ち込みそうな時も相談に乗ってくれたり、隠し事はせずになんでも話せる信頼できる仲間に巡り会えて本当に良かったと思います。
いつもありがとう。
次に指導者の皆様、いつも私たちのご指導ご鞭撻の程ありがとうございます。
未熟者の私でしたが、皆様のおかげで4年間成長することができたと思っています。
本当にありがとうございました。
最後に両親、2浪までして大学に入れてくれて、野球を続けさせてくれて本当にありがとう。
大学でプレーしている姿をできれば見せてあげたかったというのが、私の唯一の心残りです。
大学で親元を離れてから改めて気付かされたのは自分は1人で成長してきたような気がしてたけど、そうではなかったのだということを強く感じされられました。
私は土壇場でやらかしたりすることが多かったり、運が悪いと思うことが自分では多いですが、人に恵まれているという点に関しては運がいいと思っています。
大学でも沢山の人に支えられて4年間続けることができました。
それも全て周りの人に助けてもらえる人間になるために、人としての道を示し続けてくれた両親の教えがあったからだと思っています。
本当にありがとうございました。
これからは大人として自立し、夢を叶え恩返しができるように頑張りたいと思います。
とりあえずあと2ヶ月と少し最後まで応援とご支援をいただけると幸いです。
大学野球を振り返ると総じて楽しかったというのが正直な感想です。
あとは最後のリーグ戦優勝で終えることが自分のやり残したことのような気がしています。
最後にこっからラストスパート!
いくらでもジャグ作るし、ノック打つのでどんどん誘ってください!
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
水口耕平 体育専門学群 宮崎大宮高等学校
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