ギターを持って歌い出してから30年以上経つ。 還暦になったから、子育てが済んだからと昔触ってた楽器を持ち出して歌ってるんじゃない、ずっと歌い続けてきた。二十歳の時、親父が死んだ時も、家に帰れないくらい仕事が忙しかった30代の頃も、人生で大失態をやらかした40代の頃も、俺は一度もリタイアしたことがない。 なのに歌が下手なのはどうしてかって? それは訊かないで、本当に下手だからでしょうが。(苦笑)
ただ一度だけ、持っているギターをすべて売ってしまった事がある。 大借金を抱え、仕事もなくし、携帯電話を組み立てる夜勤のバイトに通ってた3か月間・・・でもそれも友人、竹本君、そっさんのおかげで音楽自体を辞めることにはならなかった。 竹本君からは「兄貴、音楽だけは絶対に辞めやんといてくれ!」との電話を、バイト先に向かう途中にもらった。 ギターを売ってしまった僕を気遣い、そっさんは「このギター持っといて!」と家に遊びに来てジャガードを置いて帰った。 このふたつのエピソードは、ずっと忘れることはないだろう・・・そして30年以上経ったいまでも歌い続けてるわけだが、今日、仕事で車を走らせてるときにFМラジオから流れてきた浜田省吾の「彼と彼女と週末に」を久しぶりに聴いて、俺は若き頃、真剣に音楽の世界を夢みてギターを買った頃の気持ちを思い出した。 誰もが思うことかも知れない、「音楽で世の中を変えてやるんだ」という熱い思い(苦笑)
今じゃ、音楽業界の裏の裏というカラクリさえ知ってしまって、そんな夢など全く興味はないが、そんなカラクリに騙されながらも、夢をみさせてもらったことには感謝しようと思う。 ただ今は歌う理由というか意味が違ってしまった。
それは単に「生きがい」で片付けるほうが解りやすいのか、あるいは「生きていくため」「生きていく糧」と言ったほうが正直なのか・・・でも、今日は浜田省吾のその曲を聴いた時に、まるで記憶喪失が戻るかのような状態に心がかすかに動いたことは確か・・・「ちょっと、姿勢を正そう。」うまくは表現できないけれど、そんなふうに思ったんだ。
偽り物、作り物の歌詞は歌いたくない、露骨であれ、あからさまであれ己の体験、己の言葉を歌い続けること、立ち位置・スタンスを勘違いして歌わない、音楽を仲良しごっこに使わない。 そして、顔や体形はどうにもならんにしても、歌う姿は「カッコよく」なくちゃいけない。 そんなことをずっと思ってこのブログに書き留めた。 少なからずとも俺にはまだ「少年の頃の熱き想い」の火種は残っているようだ。
ただ一度だけ、持っているギターをすべて売ってしまった事がある。 大借金を抱え、仕事もなくし、携帯電話を組み立てる夜勤のバイトに通ってた3か月間・・・でもそれも友人、竹本君、そっさんのおかげで音楽自体を辞めることにはならなかった。 竹本君からは「兄貴、音楽だけは絶対に辞めやんといてくれ!」との電話を、バイト先に向かう途中にもらった。 ギターを売ってしまった僕を気遣い、そっさんは「このギター持っといて!」と家に遊びに来てジャガードを置いて帰った。 このふたつのエピソードは、ずっと忘れることはないだろう・・・そして30年以上経ったいまでも歌い続けてるわけだが、今日、仕事で車を走らせてるときにFМラジオから流れてきた浜田省吾の「彼と彼女と週末に」を久しぶりに聴いて、俺は若き頃、真剣に音楽の世界を夢みてギターを買った頃の気持ちを思い出した。 誰もが思うことかも知れない、「音楽で世の中を変えてやるんだ」という熱い思い(苦笑)
今じゃ、音楽業界の裏の裏というカラクリさえ知ってしまって、そんな夢など全く興味はないが、そんなカラクリに騙されながらも、夢をみさせてもらったことには感謝しようと思う。 ただ今は歌う理由というか意味が違ってしまった。
それは単に「生きがい」で片付けるほうが解りやすいのか、あるいは「生きていくため」「生きていく糧」と言ったほうが正直なのか・・・でも、今日は浜田省吾のその曲を聴いた時に、まるで記憶喪失が戻るかのような状態に心がかすかに動いたことは確か・・・「ちょっと、姿勢を正そう。」うまくは表現できないけれど、そんなふうに思ったんだ。
偽り物、作り物の歌詞は歌いたくない、露骨であれ、あからさまであれ己の体験、己の言葉を歌い続けること、立ち位置・スタンスを勘違いして歌わない、音楽を仲良しごっこに使わない。 そして、顔や体形はどうにもならんにしても、歌う姿は「カッコよく」なくちゃいけない。 そんなことをずっと思ってこのブログに書き留めた。 少なからずとも俺にはまだ「少年の頃の熱き想い」の火種は残っているようだ。