〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)5

2017-08-02 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
簡素とゆたかさ(続き)  前近代日本文明の最末期の実像を目撃し体験した彼ら異邦人が、何よりまずその物質的な豊かさに目をとめ記録したことは、私たちに驚きと、ことによると深い疑念をももたらすかもしれない。繰り返すが、それは私たちに長年染み込んできた、「搾取され窮乏する民衆」という既成の江戸時代のイメージとあまりにかけ離れた証言だからである。しかし本書が指摘しているとおり、それを善意の誤解やエキゾチ . . . 本文を読む

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)4

2017-08-02 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
古き日本文明の姿 では、本書が取り上げている異邦人の証言とは、そもそもどのような性質のものなのだろうか。  〔ある外国人からの引用について〕それは情景の素描に過ぎず、「国民、生産物、商業、法律等々についての正確な情報」はまったく存在しない。彼が感受した〝日本〟は、そういう客観的情報などによってではなく、このような第一印象の素描によってしか伝えられないような何ものかだったのである。……だがこうい . . . 本文を読む

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)3

2017-08-02 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
文化人類学的方法とその妥当性 さらにより根本的な問題として、歴史とはそれを見る者の視点すなわち史観次第で、あらゆる読込みが可能であるという事実がある。そのことは、前述のように日本人自身が自己の近しい過去にあらゆるネガティブな読込みをしてきた実例があるだけに、私たちにとっては理解しやすい。そしてまた、特定の史観に基づいて文献史料に記された当時の社会のタテマエを分析すればするほど、かえって実態を読 . . . 本文を読む

書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)2

2017-08-02 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
視点―歴史観の問題 しかし内容に入る前に、従来日本で江戸時代がいかに語られてきたかを前提にしなければ、本書の画期的意義が掴めないのではないかと思う。 「江戸時代」と言われて、私たちは何をイメージするだろうか。「身分制度の地獄」において「武士の収奪と百姓の貧窮」が常態化していて、にもかかわらず「懐かしき庶民の生活」は「義理と人情の浮き世」であり、しかし結局それは「チョンマゲと鎖国の遅れた社会」、 . . . 本文を読む