星座かまくら歌会2016年5月6日 鎌倉生涯学習センター
星座かまくら歌会は毎月第一金曜日に開催される。今回は鶴岡八幡宮の周辺で吟行したのち生涯学習センターで歌会を行った。
昨年も初夏の時期に吟行が行われた。尾崎左永子主筆は「即詠」と呼ぶ。即興で作品を創作するので実力が試される。作品の完成度は今一つでも大学の口頭試問の趣がある。自分の実力がいやが上にも表れる。吟行はそのようなものだ。
鎌倉の街を素材にしたので、ここに一つの難しさがある。参加者は鎌倉をよく知っているので、ほかの都市に住む人にはわからないものになってしまう場合が多々ある。
例えば「神殿」という言葉。参加者の間では鶴岡八幡宮とわかるが、一般的にはギリシャ神殿の印象が強い。そこに難しさがある。だが自分の作品を客観的に見る好機だ。僕は「かながわサロン」も含めて3回目の経験だった。
相聞を詠んだが少し過剰な表現となってしまった。内容がわざとらしくなったのだ。尾崎主筆からもそこを指摘された。しかしそのアドバイスがきっかけで、相聞50首詠の最後の一首が出来上がった。尾崎主筆に直されたのではない。大事なことを示唆されたのだ。
即興だから作者の弱さが現れる。焦点がボケる、大袈裟になる、感傷的に流れる、言葉のつながりに無理がでてくる、一本調子になる、固有名詞に頼ってしまう、一人合点の作品になる、平凡になってしまう。
だが即興ならではの良さもある。作者の新鮮な発見が作品化されるのだ。あらかじめ用意した作品では通用しない。そこに難しさと面白さがある。
歌会終了後に尾崎主筆の話を聞くのも面白い。歌会の終盤と懇談会で聞いた内容。
「本質をつかんで余剰は捨象せよ」「人の心に真っすぐに飛び込む歌を詠め」「『茂吉秀歌』は勉強になるので読むのがお薦め」
斉藤茂吉に学べということだが、これは茂吉の表現をまねろということではない。もののとらえ方、もののみかた、着眼点、言葉の工夫。こういう先人の知恵に学べということだ。
短歌を多少なりとも本気で読む人は、斉藤茂吉、佐藤佐太郎の二人の巨匠を、いかに超えるかを考える。超えられなくても考える。少しでも近づこうとする。こうした環境で短歌に取り組めることを幸せに思う。