「星座かまくら歌会」 2016年6月 於)生涯学習センター
「星座かまくら歌会」の6月歌会が開催された。先月の吟行とは異なって参加者は丹念に推敲した作品を持ち寄った。都市詠、心理詠、自然詠。さまざまな作品が出詠された。だが難しい。短歌は5句31音の短い詩形だが、短いだけに作品の弱点がより鮮明になる。
結句がつけたしのようになる。暗喩がわざとらしくなる。作者だけの独りよがりとなる。主語がはっきりしなくなる。表現が不自然になる。大雑把で漠然としたものになる。
歌歴の長い人が多いので、着眼点は特徴があるものの、工夫の余地はいくらでも出てくる。尾崎主筆でも完璧に満足のいく歌はなかったそうだ。どこかに工夫の余地があるのではないかと思案しつつ作品を発表するそうだ。
だが作品の基本には詩情が表現されているかに第一の問題がある。自分の心を動かしたものを噛みしめる。漠然とした感覚では感想文になる。それを尾崎主筆は「歌は祈り」という言葉で表現する。これは宗教的な意味ではない。自分の心と真向かうということだ。
そうしているうちに自分の歌が出来てくると言う。この歌会では昨年あたりから作者の独特な視点の作品が出詠されるようになった。これを尾崎主筆は「自分の歌を作れ」という。だれにもまねのできない作品だ。
あとは的確に表現できるかだ。ここが難しい。だがその難しさを参加者が受け取れるようになった。
自分の心に真向かうこと、自分の独自性を確立すること。僕の場合に照らし合わせてみる。僕は10年前に胃がんで胃を全摘した。苦しいことこの上もなかった。だが手術の直後は作品化できなかった。自分の体験を客観的にとらえられなかったのだ。10年たって去年の秋あたりから作品化に取り組んだ。作品を60首作り、50首に絞る。「運河」「星座」の歌会で批評を受ける。「詩人の聲」で聲に乗せる。こうして作品が出来上がる。「詩人の聲」は当分おやすみだから、自分で聲を出す場を作ることになろう。
自分の独自性について。様々な詩作品、短歌を読んできた。田村隆一、吉田一穂、西脇順三郎を好んで読んでいる。今度の歌集『聲の力』が、西脇順三郎が好きな作者らしいと批評された。知らず知らずに独自性が出てきたようだ。
社会詠へのこだわりもその一つだ。これについては別に書こうと思う。