「(歌壇が変わって行くことを前提に)自分はいよいよとなれば自分の道を歩むよりはほかに無い。けれども何もほかの人まで自分の後へ(しりへ)を歩んで来ることを強いようとは思はぬからである。・・・歌壇はもっと色変はるであらう。又さうある方がいい。」(斎藤茂吉・「気運と多力者と」)
「作者は同じ詩形にたずさわって、同じような繰返しをしているが、作者自身はそうではなるまい。新には新を積んで前進する覚悟をもっていなければなるまい。」(佐藤佐太郎・「作歌真」)
後進の者たちが自分たちの模倣ばかりをすることを、二人とも喜びはしまい。現に佐太郎の初期の作品を集めた「軽風」は茂吉的な文体の痕跡をとどめながら、「歩道」「しろたへ」「立房」をへて、「帰潮」で確立されたとされる「純粋短歌」という佐太郎独自の歌境。これは齊藤茂吉とも伊藤左千夫とも違うものだった。またその過程で佐太郎が左千夫や茂吉の作品や著作にどう学んだかは、既に記事に書いたところである。
月々の歌会(批評会)は、それを手探りする場である。冒険の場とも言っていい。だから辛辣な批評も苦にはならないし、やめられない。それを結社と呼ぶにせよ同人誌と呼ぶにせよ、集団のなかで揉まれる面白さはそこにある。
もっともそれでめげてしまう人もいるらしい。
「これに懲りずに来月も来て下さいね。」「みんなのなかで叩かれるのもいいでしょう。」
入会直後にかけられた言葉である。