短歌の世界で歌人に師事するという事
短歌の世界では「00に師事」とよく言われる。すでに投稿したが短歌は現代の定形詩だが、習得すべき型があり、修練を必要とする。歌舞伎に似ている。
「運河の会」に入会したのは尾崎左永子の作品に魅了されたからだ。しかし尾崎左永子は師事すべき選者の中に入っていなかった。理由はわからない。当時、選者は6人いた。だが短歌に縁のない僕には名前を知らない歌人ばかりだった。
しかも選者に師事するには月々2000円の添削料を払わねばならなかった。当時の僕は添削料を払う経済的余裕がないほど貧乏だった。「運河」の年会費を払うので精いっぱいだった。生命保険を解約し、生活費を切り詰め、自家用車は仕事で使うので手放せなかったが、駐車場の料金の支払いが負担で職場に置きっぱなしだった。だが間もなく自家用車もやめることになる。公共交通を使う方が安上がりなのだ。通帳を見つめて切り詰めるものは全て切り詰めた。
このごろ「運河の会で、長澤一作か、川島喜代詩に師事すればよかったね。」と言われる。この二人の歌人からは折々に貴重な助言を頂いた。特に川島喜代詩には貴重な助言を頂いた。短歌をやめようかと悩んでいたときに、励まされたのだ。その一言がなかったら、僕は今ごろ短歌をやめていただろう。
「運河」の中で歌人に師事できなかったかわりに「運河」の作品批評を何度も読み返し、尾崎左永子の出席する歌会では耳を澄ました。一言一句のがすまいとした。
尾崎左永子が「星座」の旗揚げをしたときすぐに入会したが,ここでも添削料は払えなかった。添削は個人指導だからできれば添削料を払って教えを乞いたかった。
それが出来なかったのでかなり遠回りをしたと思う。だがそのおかげでかなりの独自性が作品に現れる様になった。
貧乏人は短歌の世界でも、かなり不利な条件下にある。だがこれも今となっては僕の財産の一つだ。