ブナの木通信(『星座74号』より)
素材を「われ」に引き寄せて作品化する。ポイントの一つは、切実な当事者意識である。そこに他人事でない独自性が生まれる。
(娘にキャベツを刻む歌)
「娘」と表記して「こ」と読ませるのには無理があり、三句目が7音の字余りになるが、内容が深い。細かい事情が省略されている。
(震災の被災地に雪が降り積む歌)
震災から四年。あの時も雪が降った。「き」という、過去のに経験した事実をあらわす助動詞の用法によって、当事者としての切実感が出た。文語の効用は、この辺にもあろう。
(東京空襲などの難を逃れた歌)
上二区に切実感があり、他人事となるのを回避した。社会詠成立の条件でもあろう。
(来年の自分が命を永らえているかはわからないと思いながら日本酒を飲む)
越後の銘酒の賞品名がはいっているが、一首が軽くならなかったのは、上二区の自己凝視の表現があるため。
(思い出の木々が伐られて秋の風が吹く歌)
「伐られて」とあるので、枝打ちされたのだろう。夫との想い出への愛おしみも感じられる。
(全身が寒い朝の川岸に川の水が氷る音の歌)
「しばれる」は「ひどく寒い」、「しが」は「氷、つらら」の方言。この方言が、その土地ならではの味を出した。奇を衒っての方言の使用ではない。
(傍らの夫が新聞をめくる音に平和を感じる歌)
(夕暮のバールにやってきた黒いマントの男の歌)
*この二首は紙数の関係で批評文を書かなかったので、ここに書きます。*
一首目。「戦争法案」が審議されている。戦争と平和の問題が戦後七十年の間に幾度も問われてきたが、現在もこの問題が大きく問われている。この一首は理屈でなく「平和」を感じたところに特徴がある。実際のに平和とはこのようなものだろう。
二首目。「バール」とは酒場を意味する。スペインなどの南欧での酒を出す軽食堂である。夕暮のバールに黒いマントを纏った男がはいってきた。事実としてはそれだけなのだが、一種独特の雰囲気を醸し出す作品だ。