岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

星座α26号・作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで

2021年10月14日 16時56分22秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
星座α26号:作品批評。

 人間を詠う

 ・真夜中に電話のコールがとまる歌

 ハットさせられる歌である。作者の心も騒だったに違いない。その一瞬を上手くすくい上げた。

・故郷の料理を作る歌

 コロナによる自粛、家籠り、天候不順と続けば気も晴れぬ。そういう時はなつかしくき味を楽しみたいもの。

・水のように雲のような心を持ちたいという歌

 境涯詠である。愚痴でないのが良い。「短歌は詠嘆の詩形」と良く言われるが、詠嘆と愚痴は違う。この作品のような心を持ちたいと思う。

・筍飯の釜の蓋を取る歌
・沸き立つ湯にアスパラを一気に放つ歌

 いわゆる厨歌(くりやうた)を2種。台所で詠む歌。この場合は料理の歌だが、勢いがあり、出来た料理を食べたいという気持ちが湧き上がってくる。「食べものの歌は旨そうに歌え」とは尾崎主筆の兄弟子、川島喜代詩の言。

・建設職人と目が合う歌

 作者の団地は大規模工事らしい。その工事の職人を温かい目で見ている。「こういう作品こそプロレタリア短歌だ」と私の知人が言う。

・介護の夫の幻覚の歌
・食事したのを忘れる父の歌

 介護の歌だが、相手に対する思いやりが感じられる。ここに良さがある。介護や看病は難儀であろうに。

 他にも紹介したい作品がいくつもあったが割愛した。作者が10人いれば10人なりの人間の営みがある。





この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「星座α」26号:相聞5首 | トップ | 角川「短歌」2021年10月号に... »
最新の画像もっと見る

作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで」カテゴリの最新記事