・けだものは食べもの恋ひて啼き居たり何というやさしさぞこれは・
「赤光」所収。斎藤茂吉が患者の死を悼む歌は「赤光」のなかで何連かに分かれている。「狂人守」「葬り火(はふりび)」「冬来」と続く。
そのなかに「けだもの=動物」を詠んだものが何首かある。西郷信綱はこういう。
「自殺した狂者の火葬に立ちあったあと、作者の足はまるで逃げるように動物園へといそぐ。」
「< にんげんの世 >はその自明性を失い恐ろしいものへと転化し、むしろ< けだもの >の世界の方が好ましくなる。」(西郷信綱「斎藤茂吉」)
しかし、僕はこれを「命をいとおしむ歌」だと感じている。患者の死を悼んで、火葬に付したあと、人間と動物の分かちなく、「命」というものに思いを凝縮しているように思える。「死にたまふ母」や「おひろ」「おくに」の相聞のようにである。
その点、第二歌集「あらたま」の巻頭歌が「・・・たまきはるわが命なりけり」であることは極めて暗示的である。
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