『定年』 現代短歌社 刊 佐倉東雄(さくらあずまお)著
歌集『定年』は佐倉東雄氏の第三歌集である。この歌集を恵贈されたとき、正直言って職場での繰り事が多いと思った。これは表題からの連想である。
しかし実際に読んでみると、職場詠、心理詠、家族詠ともの、すぐれた作品が多く脱帽した。
先ず職場詠
・公僕はさびしきものぞ定型の言動にして固を失へり・
・定年を境に勤めを持たざれば紛れなき吾と日々向き合へり・
・残業を終へて小暗き居酒屋にしたたかに酔ふひとり来たりて・
・たはやすく従属するは知恵ならん組織の中の務むる人ら・
これらの作品群は職場での個別具体的なものが見事に捨象されて、詩へと昇華している。一人の人間の生き様(いきよう)も表現されている。
・逡巡がもたらす苦痛を鎮めんと珈琲を喫む夜半の机に・
・からだ重くこころ思ければ晴天と言へど余白のごとき一日・
・選択を迫られしとき損得の思ひなければ決断はやし・
なにを「逡巡」したのか、なぜ「からだとこころが重いのか」、何の「選択」を迫られたのか。一切説明がない。読者への連想の余地を残しつつ、暗示にとどめられている。短歌は「一人称の文学」「暗示の文学」とも言われるが、それらが佐倉氏独自の視点で作品化されている。
また広く題材がとられているのも特徴の一つだ。作者の目は職場のみに限定されず、家族や社会へも向けられる。時おり「運河」誌上に紹介される氏の旧作には、「神輿を担ぐ」という、気風のいい作品があるが、血脈であろうか、その気質は御次男が継がれているようだ。
・神輿担ぐ支度しをれば余所に住む弐男も担ぐと急遽来たりぬ・
・われに似て神輿好きなる弐男なり揉み合ふ中にゆがむ顔みゆ・
・屋号にて呼び来たる店の次々と閉ぢて旧道のさびれてゆけり・
また境涯詠にも見るべきものが多かった。
・病室に身を横たへて十日間春の疾風(はやち)をいくたびも聞く・
・体重のいくばく減りたる原因を癌の浸潤と知るよしもなく・
これらは、愚痴ではない。自己凝視であり、詠嘆である。読者に不快感を与えない。
この表現の幅が、着実な自然詠の表現力に支えられていることも見落とせない。目に見えるものを確かに捉え詠めるからこそ、表現の幅も、個性も出て来るのだ。
・川波の逆巻くままに冬海に注ぎてゐたり午後出でくれば・
・冬近き山ふところに竹叢のくもりにふれて沈痛のさま・
・薄明の湾を出でゆく漁船あり灯す灯りの音なくゆれて・
・三鉢の藤の花房それぞれに色をたがへて重からず咲く・
純粋短歌「東雄風」の完成を喜びたい。